あなたが囁く不倫には、私は慟哭で復讐を。
宅配業者
母親は仙石の家に大智が戻ったら知らせると言い残し玄関の扉を閉めた
(大智が帰ってくる!)
この状況で両家の内情を知っている大智の帰国は心強かった。これで仙石の義父母や実家の両親に《《紗央里の存在を知られる事なく》》穏便に離婚の原因を性の不一致などと無難な理由を付けて協議離婚の席に着く事が出来る。
(私が我慢すれば全て丸く収まる)
そうすれば医師である吉高の名誉を傷付ける事なく、幼い頃から弱視の自分を実の娘のように可愛がってくれた仙石家と田辺家はこれまでと同じ様に付き合いを続ける事が出来るだろう。
(悔しいけれどね)
明穂は青い油性マジックで丸を書き込んだSDカードをカメラ本体に差し込み起動させた。そこには3年前の大智の後ろ姿が写っていた。液晶画面を指でなぞると熱い涙がはたはたとこぼれ落ちた。
ピンポーーン
「あれ、お母さん忘れ物かな?」
明穂が玄関の扉を開けるとそこには青と白の横縞模様の服を着た人物が立っていた。見慣れた柄に明穂がサンダルを突っ掛けて手を伸ばすと両手で持てるサイズの段ボール箱を手渡された。
「宅配便です、仙石明穂さんにお荷物です」
「はい」
「印鑑は不要です」
「ありがとうございます」
鳩時計は16:00、4回鳴いて巣箱の中に戻って行った。宅配便はいつもの配達時間より遅く、配達員も小柄で意図的に低く装った声色をしていた。
(軽い)
荷物は段ボール箱の大きさの割に軽かった。明穂は恐る恐るガムテープを捲ると封を開けた。中にはビニール製の梱包材が詰められそれを避けるとふわふわした手触りの塊が入っていた。
(耳、それに長い、尻尾?)
それは力無くだらりと垂れ、胴体には切り込みがあった。
「きゃっ!」
思わず放り投げようとしたがそれは生温かい内臓ではなく小粒の発泡素材のビーズで指先や手のひらに静電気を伴って貼り付いた。安堵の溜め息が漏れた。
「ぬ、ぬいぐるみ」
腰が抜けた明穂はそれを掴むと段ボール箱の中に押し込み封をした。「これは吉高に見られてはならない」そんな気がして物置の奥深くに仕舞うと周囲に散らばったクッションビーズを掃除機で吸い込み始めた。
ガチャ
「ただいま」
いつもより随分早く帰宅した吉高からはいつもの様に薔薇の匂いがした。先週は紗央里が生理だったようで7日間面白くない顔をしていた。
「明穂どうしたの」
「なにが、あ、おかえりなさい」
「ただいま、この惨状はなに?」
「あぁ、クッションが破れちゃって掃除してたの」
「僕に貸してごらん。ほら、明穂にも付いてる。ガムテープで取るからそこに座って」
「うん」
こんな時は今までと何ら変わらず優しい。けれど2年間、いや20年以上自分は吉高の本質を見抜けなかった。
「どうしたの、悲しそうな顔をして」
「お気に入りのクッションだったの」
「また買えば良いさ、今度買いに行こうよ」
「そうね」
(私が貯めたお金で買うのね)
明穂は大智の手紙について言及しようかと口を開きかけたがその言葉を飲み込んだ。「今じゃない、今は言う時じゃない」そうもうひとりの明穂が囁いた。
夕飯の食卓はぎこちない笑顔で遣り過ごした。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
明穂は隣で寝息をたてる吉高の面差しに大智を重ねた。同じ顔、同じ声、もしかしたら大智も女性に対して不埒なのだろうかと一抹の不安が残った。
(そんな事ない)
意味の無い心配事を掻き消し寝返りを打ったその時、夕方に届いた宅配便の段ボール箱の事を思い出した。開封した時はその中身に気が動転し慌てて物置に押し込んだが配達伝票は貼られていただろうか。明朝、吉高が出勤してからでも確認すれば良いのだが段ボール箱が気になって眠れず目が冴えてきた。
(どうしよう)
明穂は音を立てない様に身を起こすとカーテンから漏れる月明かりの薄暗がりの中、手探りで階段の手摺りに掴まった。
ギシ ギシ ギシ
いつもより鮮明に聞こえる階段の軋む音、緊張で耳の中が充血し脈打った。フローリングの冷たさに足裏が安堵し、常夜灯を頼りに物置へと向かった。扉を開けるとセンサーが反応してダウンライトが点いた。腕を伸ばし段ボール箱の角を掴んだ。引き摺り出す。
(ーーーー!)
明穂の懸念は当たった。段ボール箱に配達伝票など貼られていなかった。あの配達員は宅配業者では無かった。自然と行き着く先は紗央里しか居なかった。腹を掻っ捌いた猫のぬいぐるみを明穂に手渡したのは夫の浮気相手、いや肉体関係がある不倫相手の女性だった。
(住所を知られていた、名前も)
紗央里が吉高の跡を尾行したのかもしれない。馬鹿げた話だが情事の後に気が緩んだ弾みで吉高が自宅の話しをしたのかもしれない。どちらにせよ謂いわれの無い恐怖が足元から這い上がった。 段ボール箱を物置に押し込むと明穂は手洗いを済ませて階段を上った。見遣ると寝室の扉の隙間から白い明かりが漏れそれは不規則に点滅した。
(LINEメッセージ、よくそんなに話す事があるわね)
明穂は意図的に寝室に向かう廊下で足音を立てた。慌てふためいた雰囲気に紛れて明かりは消え、吉高は何事も無かったかの様に明穂に背中を向け寝た振りをした。
(馬鹿にしてる)
いくら妻の目が不自由であっても夫の変化に気付かない訳がない。そんな事すら推し量れない程に紗央里に夢中なのだろうか。高学歴であろうと大学病院の医師であろうと今の吉高は一個の人間として最低、最悪だ。
(ーーーー)
紗央里が玄関先に現れる迄は吉高の地位や体裁に傷を付けるまいと思っていた。然し乍らいざ現実となると沸々と怒りが込み上げて来た。
(吉高は許さない、紗央里も許さない)
ただ吉高の不倫相手が紗央里という名前で小柄である事以外なにも分からない。興信所に依頼しようにもキャッシュカードは吉高が管理し月々の小遣いなど高が知れていた。
(どうしよう)
やはり頼みの綱は大智。明穂は帰国の日を指折り数えた。
(大智が帰ってくる!)
この状況で両家の内情を知っている大智の帰国は心強かった。これで仙石の義父母や実家の両親に《《紗央里の存在を知られる事なく》》穏便に離婚の原因を性の不一致などと無難な理由を付けて協議離婚の席に着く事が出来る。
(私が我慢すれば全て丸く収まる)
そうすれば医師である吉高の名誉を傷付ける事なく、幼い頃から弱視の自分を実の娘のように可愛がってくれた仙石家と田辺家はこれまでと同じ様に付き合いを続ける事が出来るだろう。
(悔しいけれどね)
明穂は青い油性マジックで丸を書き込んだSDカードをカメラ本体に差し込み起動させた。そこには3年前の大智の後ろ姿が写っていた。液晶画面を指でなぞると熱い涙がはたはたとこぼれ落ちた。
ピンポーーン
「あれ、お母さん忘れ物かな?」
明穂が玄関の扉を開けるとそこには青と白の横縞模様の服を着た人物が立っていた。見慣れた柄に明穂がサンダルを突っ掛けて手を伸ばすと両手で持てるサイズの段ボール箱を手渡された。
「宅配便です、仙石明穂さんにお荷物です」
「はい」
「印鑑は不要です」
「ありがとうございます」
鳩時計は16:00、4回鳴いて巣箱の中に戻って行った。宅配便はいつもの配達時間より遅く、配達員も小柄で意図的に低く装った声色をしていた。
(軽い)
荷物は段ボール箱の大きさの割に軽かった。明穂は恐る恐るガムテープを捲ると封を開けた。中にはビニール製の梱包材が詰められそれを避けるとふわふわした手触りの塊が入っていた。
(耳、それに長い、尻尾?)
それは力無くだらりと垂れ、胴体には切り込みがあった。
「きゃっ!」
思わず放り投げようとしたがそれは生温かい内臓ではなく小粒の発泡素材のビーズで指先や手のひらに静電気を伴って貼り付いた。安堵の溜め息が漏れた。
「ぬ、ぬいぐるみ」
腰が抜けた明穂はそれを掴むと段ボール箱の中に押し込み封をした。「これは吉高に見られてはならない」そんな気がして物置の奥深くに仕舞うと周囲に散らばったクッションビーズを掃除機で吸い込み始めた。
ガチャ
「ただいま」
いつもより随分早く帰宅した吉高からはいつもの様に薔薇の匂いがした。先週は紗央里が生理だったようで7日間面白くない顔をしていた。
「明穂どうしたの」
「なにが、あ、おかえりなさい」
「ただいま、この惨状はなに?」
「あぁ、クッションが破れちゃって掃除してたの」
「僕に貸してごらん。ほら、明穂にも付いてる。ガムテープで取るからそこに座って」
「うん」
こんな時は今までと何ら変わらず優しい。けれど2年間、いや20年以上自分は吉高の本質を見抜けなかった。
「どうしたの、悲しそうな顔をして」
「お気に入りのクッションだったの」
「また買えば良いさ、今度買いに行こうよ」
「そうね」
(私が貯めたお金で買うのね)
明穂は大智の手紙について言及しようかと口を開きかけたがその言葉を飲み込んだ。「今じゃない、今は言う時じゃない」そうもうひとりの明穂が囁いた。
夕飯の食卓はぎこちない笑顔で遣り過ごした。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
明穂は隣で寝息をたてる吉高の面差しに大智を重ねた。同じ顔、同じ声、もしかしたら大智も女性に対して不埒なのだろうかと一抹の不安が残った。
(そんな事ない)
意味の無い心配事を掻き消し寝返りを打ったその時、夕方に届いた宅配便の段ボール箱の事を思い出した。開封した時はその中身に気が動転し慌てて物置に押し込んだが配達伝票は貼られていただろうか。明朝、吉高が出勤してからでも確認すれば良いのだが段ボール箱が気になって眠れず目が冴えてきた。
(どうしよう)
明穂は音を立てない様に身を起こすとカーテンから漏れる月明かりの薄暗がりの中、手探りで階段の手摺りに掴まった。
ギシ ギシ ギシ
いつもより鮮明に聞こえる階段の軋む音、緊張で耳の中が充血し脈打った。フローリングの冷たさに足裏が安堵し、常夜灯を頼りに物置へと向かった。扉を開けるとセンサーが反応してダウンライトが点いた。腕を伸ばし段ボール箱の角を掴んだ。引き摺り出す。
(ーーーー!)
明穂の懸念は当たった。段ボール箱に配達伝票など貼られていなかった。あの配達員は宅配業者では無かった。自然と行き着く先は紗央里しか居なかった。腹を掻っ捌いた猫のぬいぐるみを明穂に手渡したのは夫の浮気相手、いや肉体関係がある不倫相手の女性だった。
(住所を知られていた、名前も)
紗央里が吉高の跡を尾行したのかもしれない。馬鹿げた話だが情事の後に気が緩んだ弾みで吉高が自宅の話しをしたのかもしれない。どちらにせよ謂いわれの無い恐怖が足元から這い上がった。 段ボール箱を物置に押し込むと明穂は手洗いを済ませて階段を上った。見遣ると寝室の扉の隙間から白い明かりが漏れそれは不規則に点滅した。
(LINEメッセージ、よくそんなに話す事があるわね)
明穂は意図的に寝室に向かう廊下で足音を立てた。慌てふためいた雰囲気に紛れて明かりは消え、吉高は何事も無かったかの様に明穂に背中を向け寝た振りをした。
(馬鹿にしてる)
いくら妻の目が不自由であっても夫の変化に気付かない訳がない。そんな事すら推し量れない程に紗央里に夢中なのだろうか。高学歴であろうと大学病院の医師であろうと今の吉高は一個の人間として最低、最悪だ。
(ーーーー)
紗央里が玄関先に現れる迄は吉高の地位や体裁に傷を付けるまいと思っていた。然し乍らいざ現実となると沸々と怒りが込み上げて来た。
(吉高は許さない、紗央里も許さない)
ただ吉高の不倫相手が紗央里という名前で小柄である事以外なにも分からない。興信所に依頼しようにもキャッシュカードは吉高が管理し月々の小遣いなど高が知れていた。
(どうしよう)
やはり頼みの綱は大智。明穂は帰国の日を指折り数えた。