君のヒーロー
「皆本、今何してるんだろう……」
「……気になる?」
「うん」
「会えたら嬉しい?」
「……うん。今なら会いたい、かな」

 会いたい。そのたった一言が言えないで、その一回が実現しなくて。

「……実は今日、水川の内定を祝う為にスペシャルゲストを呼んでいます」
「……え?」

「入ってどうぞ!」という呼び掛けで私達の個室の扉が開かれる。するとそこには遅れてくる予定のいつものメンバー二人の他に、おずおずとどこか恥ずかし気に入ってくるその人の姿が。

「……皆本?」
「……久しぶり。内定おめでとう」

 そう言って私の前に座った彼は、高校時代よりもどこか大人びた雰囲気を纏いつつも、やっぱり変わらない穏やかな笑顔を見せる、紛れもなく皆本本人であった。

「せっかくのお祝いだし何か特別なことしたいねってなってさー。そういえば沙奈って皆本と仲良かったよねって話になって」
「連絡したら来てくれるっていうから呼んじゃいましたー! どう水川、嬉しい?」
「……っ、う」
「う?」
「嬉しい……」
「! やったー! 大成功〜!」

「皆本ありがとー!」、「乾杯だー!」と、飲み物が届いてからはもうみんな大盛り上がりだった。ちょうど皆本の話をしていたけれど、あれも全て作られたシナリオ通りの流れだったのだろう。皆本を懐かしんで、会いたい気持ちが募ってからのご本人登場に、私の心は動揺しっぱなしだった。
 皆本が居る。本当に、目の前に。
 うっかり嬉しくて口元が緩むのを必死に抑え込んだ。つい格好つけたがってしまうのはもう性分なので仕方ない。

「水川、元気だった?」
「うん。皆本は?」
「元気だよ。なんか水川大人っぽくなったね」
「……皆本もじゃん」

 昔から落ち着いていて物静かなタイプの人だったけれど、今の皆本はその空気感のまま大人びた男性になろうとしている。それは子供の頃にはわからないでいた彼の異性としての魅力の一つだった。
 ……いや、わからないでいた訳じゃない。私は大学時代、ずっと後悔していた。なんであの時皆本に聞かなかったのだろうと。会わないでいる間、私はずっと皆本のことを考え続けていた。
 ——今夜、止まっていた時間が動き出す瞬間がきたのかもしれない。
 期待に胸が膨らむ中、ふとグラスを握る皆本の左手に視線が動く。

「……あ」

 声が出て、しまったと思った。でももう、それどころじゃない。

「皆本、それって……」
「うん? あ……」

 きらりと光る、薬指の銀色の指輪。

「……うん。水川に言われるとちょっと恥ずかしいな」

 照れくさそうに首を傾げる皆本から目が離せなかった。心臓の音が耳元で聞こえるくらいにどくどくと響いていて、辺りの喧騒がやみ、皆本の声だけがその隙間をすり抜けてはっきりとした音でここまで届く。

「婚約したんだ。来年結婚する予定」


『——もう最悪!』

 もうすぐ高校卒業という頃合いで、当時二年間付き合っていた彼氏に振られた。ペアリングまでもらって、ずっとこの先も一緒にいられるものだと信じて疑わなかったのに、その日は突然やって来たのだ。
 私はいつもの如く大泣きしながら、皆本の隣で溜まった鬱憤を吐き出していた。

『いらないから返すって言ったら、“あげたものだからそっちでなんとかして”だって。舐めてんの? こんなの捨ててやる!』
『えー、もったいない』
『もったいない⁈』
『いやなんか、物に罪は無いのにと思う……』
『じゃあそんなに言うなら皆本にあげる!』
『え⁉︎ いらないよ!』 
『皆本細いし私のでも入るんじゃない? つけてあげるから手出して』
『えぇ……無理だよ……』

 こうなった私は絶対に折れないと知っている皆本は言われるがままに左手を差し出すので、私はその薬指に指輪をはめようとした。——が。

『〜〜入んない!』
『そりゃあそうだよ、いくら細いとはいえ男の指なんだから』
『じゃあ皆本がこれなんとかして! 私はもう知らない!』
『そんな横暴な……わかったよ』

 まるで呪いの指輪を見るみたいな顔をして渋々受け取る皆本に、『ほら、捨てるしかないじゃん!』というと、『そうだね』と納得していた。もったいないというのもつい口からでた特に深い意味のない言葉であったらしい。

『……綺麗だから取って置けばいいのにと思った』
『あのさ、誕プレ程度ならそうするよ。でもこれはペアリングとしてもらった物だから』
『そんなに違うもの?』
『そりゃそうだよ! 指輪を送る時は一世一代の覚悟を持ってもらわないと』
『付き合ってるだけなのに大袈裟……』
『女子はそれくらいときめくものなの! 憧れなの!』
『憧れか……』
『だから皆本も女子に渡す時は覚悟を持ってね。私もいつか素敵なのもらって見せつけてあいつを見返してやる』
『でも男って案外見てないよ? 何つけてるとか、何着てるとか』
『でも好きな人のは確認するでしょ? 女子は絶対そう! 左手の薬指なんてすぐ目に入るよ!』
『……そっか……』

 そう言って、ぼんやり空を見上げて考えごとを始める皆本を見て、私はやれやれと思う。全くこの人はそういうことに疎いんだから。もう高校も卒業するっていうのに……。
 ……そうだ、もう卒業するんだ私達。皆本とは違う大学に行くから、もうこうやって学校帰りに二人で会うこともなくなる。良く考えたら私、小学生の頃からずっと皆本にお世話になってるな……今だって愚痴ってるし、皆本の大事な青春時代を私の為に消費させちゃったのかも……?
 と、思いついた途端、自分がとんでもないことをしでかしてしまったのではと事の重大さに気がついた。
 そうか、だから皆本はそういうことに疎いんだ。今まで皆本からそういう話を聞いたことがないし、ずっとそんな気配がこれっぽっちもなかったのは、きっと全部小学生の頃から私が皆本の時間を奪ってきちゃったからなんだ!

『み、皆本!』
『?』

 だってこんな無害ですって顔をした皆本だって、いつかは好きな子に指輪を送る男になるんだから! 私にかまってばかりじゃ皆本の人生が全然先に進めない!

『私ね、皆本に感謝してる。すっごくすっごく。でも頼り過ぎてたなって、今気がついた。ごめんなさい』
『へ? いや頼られてるって感覚はあまりないけど……』
『頼ってるよ! 皆本が居たから今日までやってこれたんだよ!』
『それは俺の方だよ。だから、』
『だから! これからは皆本に頼らないで頑張っていこうと思う!』
『……え?』

 皆本が固まって、ぎこちなくこちらを見たことに私は気が付いた。けれどこれが最善の方法だと思ったから、私は皆本の様子を気にすることなく話を続けた。

『甘え過ぎてたなって思うの。お互いが居ない人生も歩むべきというか。大学は別だし、きっと良い機会だと思う』
『…………』
『今までありがとう。皆本のおかげで笑っていられたよ。だからこれからはお互いの為に、もう頼らないようにするね』
『……うん。わかった』

 そう言って、小さく微笑む皆本。その笑顔は寂し気で、悲し気で、でも、どこか納得して諦めたようにも見えて。
 え、なんでそんな顔するの?と聞けないまま、私達は卒業を機に疎遠になってしまった。
 頼らないようにすると言った手前、ちょうど良く連絡する口実が見つからず、次に会った時に何を話したら良いのか、どう接したら良いのか、あの笑顔を見てからずっとわからなくなっていた。
 皆本は、私と一緒に居てくれるつもりだったのかな。
 大学生になって色んな人に出会ったけれど、皆本ほど優しくて穏やかで私を受け入れてくれた人は居なかった。皆本ほど私が守ってあげないとと思えるような人は居なかった。皆本の前でしか、全てを曝け出して泣きじゃくることが出来なかった。皆本は、私にとって一番真っさらな心の隣に居てくれる人だった。
 皆本はあの日、何を思ったの?

 ——その答えが聞けると、思ったのに。


「俺さ、ずっと水川に憧れてたんだ。一人で真っ直ぐ突き進む勇気が眩しかった」
「……うん」

 一人じゃないよ。皆本が居たよ。

「彼女が俺のことヒーローみたいだって言ってくれて、俺、その瞬間心にあった全部のわだかまりがなくなった感じがして。この子だったんだって思ったらストンと腑に落ちたんだ」
「……そっか」

 幸せそうに笑う皆本の笑顔は変わらず穏やかだけど、あの頃と違ってもう不安気な様子はない。

「俺がこうなれたのは全部水川のおかげだから、だからその報告と、あとおめでとうって俺のヒーローに絶対伝えたかった。今日水川に会えて、本当に嬉しい」
「うん。私も」

 ……そっか。皆本は今、本当に幸せなんだ。
 良かった。皆本が幸せになれて。

「来てくれてありがとう。婚約おめでとう、皆本」

 もし、大学時代に勇気をだして連絡していたら。
 もし、あの日に笑顔の理由を訊ねていたら。
 もし、もう少し早くこの恋の存在に気づけていたら。
 そんな事を言い出したらキリが無いけれど、どうやら私の遅咲きの恋は今日この時を持って終わりを迎えたらしい。

 「幸せにね」

 泣かずに言えた私の事を褒めたいと思う。
 私はもう、君の前で泣かないよ。
 だって私は君のヒーローだから。
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