『異質のススメ』他人と違っているから個性、変わっているから貴重。
「離婚して落ち込んでいる時に一日中音楽を聴きまくっていたのですが、突然変な音が聞こえ始めたのです。ビリビリというような雑音でした。なんだろうと思ってネットを外すと、ゴムが劣化しているのが目に入りました。よく見ると一部は破れていて、そこが共振してビリビリという音を発していたのです。それでも聴き続けているとどんどん酷くなっていったので、思い切ってゴムを全部剥ぎ取りました。すると、低音がまったく出なくなりました。唖然としました。離婚直後でお金がまったくなかったので買い換えることもできず、泣きそうになりました。その時、棚の上にあったガムテープが目に入りました。離婚した妻が自分の荷物を段ボールに詰めた時に使ったガムテープです。それを見た瞬間、何故か閃きました。スピーカー本体とウーファーをガムテープで繋いで固定すればいいのではないかと。善は急げで適当な間隔を空けてガムテープを貼っていきました。すると、音が戻ったのです。ビリビリ音が消えて元の音に戻りました。嬉しくて思わずガッツポーズをしていました」

 それだけでも最高なのに、その上、年を追うごとに音が良くなってきたのだという。
「信じられないかもしれませんが、本当なんです。この前オーディオ専門店で外国製の高級スピーカーから出る音を聴いてきたのですが、それらにも引けを取らない音が出ているように思います」
「確かに素晴らしい音だと思いますが、それがガムテープと何か関係あるのでしょうか」
「そうですね~、素人なのでなんとも言えませんが、木材が乾燥してきたことに関係があるのではないかと思っています」
 密閉していたウーファーのゴムが取り除かれて空間ができ、それによってスピーカーの大部分を占める木材の乾燥スピードが上がったことが影響していると考えているという。
「本当のことはわかりませんが、穴が空いて木材が内部から乾燥したことと、穴が空いてバスレフのようになったことの二つが好影響を及ぼしていると勝手に考えているんですよ」

 それからネットを戻して、わたしの対面に座り、「ピンチはチャンスという言葉がありますが、このスピーカーによって正にその経験をさせてもらいました。離婚、金欠という大ピンチの中、ウーファーを支えるゴムの劣化という信じられないことが重なり、これ以上はないというほど落ち込みました。しかし、どういう訳かガムテープの貼付という奇策が思い浮かび、それが音質の向上に繋がりました。それは、追い込まれた時に諦めなかったからだと思います。なんとしてでも解決したいと心底から望んだからだと思います。ピンチに屈しなかったからだと思います」と確信に満ちた声を出した。
 正にその通りだと思った。
 逆境の中にこそ絶好の機会が潜んでいるのだ。
「話はちょっと飛躍するかもしれませんが、人生においても同じなのです。その大小にかかわらず常になんらかのピンチが襲ってきます。その時、多くの人は恐怖に(おのの)いたり委縮したり閉じこもったり通り過ぎるのをただ待っていたりします。しかし、それは本当にもったいないことだと思います。ピンチは自己を変革するまたとない機会なのです。正にチャンスなのです。だから、それを活かせるかどうかによってその後の人生が変わってくると言っても過言ではありません」
 そして眼力の増した視線がわたしを真っすぐに捉え、核心へと切り込んでいった。

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