『異質のススメ』他人と違っているから個性、変わっているから貴重。
 そこで会話が途切れてしばらくのあいだ風に頬を撫でられながら歩いていると、右側に駅が見えてきた。
 そろそろお別れだなと思っていたら、教授が立ち止まって左の方を指差した。
「ここを真っすぐ行くと、信号の手前に『太宰治文学サロン』というのがあるのよ。作品の展示だけではなくて、当時の三鷹の写真とか地図なんかもあるし、ボランティアの人が色々教えてくれるから(ため)になると思うわよ。次、三鷹に来ることがあったら行ってみたらいいわ」
 ねっ、というふうに見つめてから目の前の階段を上りだした。
 付いていくと上り切ったところにコンビニがあり、その先にスーパーがあった。
 結構人で賑わっていた。
 
「最近読んだのはね」
 突然話題を変えて、うふっと笑った。
「ダンテの『神曲(しんきょく)』なの」
 またうふっと笑った。
 しかしなぜ笑ったのかわからなかったので「ダンテって、かなり昔の人ですよね」と返すと、なんの躊躇もなく「1265年頃にフィレンツェで生まれた人よ。イタリア最大の詩人と呼ばれているわ」と正確な答えが返ってきた。
 感心していると、「大好きな女性がいてね、ベアトリーチェって言うんだけど、片思いのままでその女性が亡くなってしまったの。嘆き悲しんだダンテは彼女に会うために架空の世界に身を投げたの。それは地獄、煉獄(れんごく)へと旅する物語になったんだけど、煉獄で巡り会った彼女に天国を案内してもらうという幸運な結末を描いたの。現世で叶わなかった想いを詩の中で遂げたのよ。かわいいと思わない」とまたまたうふっと笑った。わたしはどう反応していいかわからなかったので黙って聞いていたが、「これから読もうとしているのはね」とまたまたまたうふっと笑って、「百年の孤独なの。知ってる?」と覗き込むように顔を見られた。
「いえ。でも、お酒なら知っていますけど」
 同じ名前の麦焼酎があるのだ。
 上品なウイスキーのような味がして、入手困難になるほど人気のある焼酎だ。
「その名前の由来になった小説なの。ガルシア=マルケスというコロンビアの作家が書いたものよ。ノーベル文学賞も受賞している人なの」
 そこで駅に通じる建物の自動ドアが開いた。

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