『異質のススメ』 他人と違っているから個性、変わっているから貴重。
「その頃にはもう社長を辞めていた」
 創業以来共に歩んできた藤沢武夫副社長と共に身を引いたのは1973年のことで、その潔さに世間から絶賛を浴びたらしいが、その反動は大きく、経営スタイルは大きく変わっていったのだという。
「本田さんはカッコ良さに拘っていたから、もし彼がずっと社長だったら実用一点張りの車なんか出さなかったはずだ」
 その時、この前読んだ本の中で笑っている本田さんの顔が思い浮かんだので、「もし生きていたらN-BOXのことをどう評価したと思う?」と訊くと、「さあね。まあ、最初に造ったのが軽自動車だったし、その時の設計思想がエンジンルームなどの機構スペースを最小限にして車のスペース効率を高める『ユーティリティー・ミニマム』だったから今の設計思想に文句はないと思うが、デザインに対してはどうかな? 流線型のレーシングカーが大好きだったから口を挟みたくなったかもしれないな。でも第一線を引いたあとは経営に口を出さなかったみたいだから、気に入らなかったとしても何も言わずにニコニコしていたのかもしれない」と遠くを見るような目になったが、「自分の息子を会社に入れなかったほどの人だから、後継者に会社を任せた以上は口を挟まなかったんだろうね」と付け加えた。
 そして、「ただ、誤解されないように言っておくがN-BOXは決して悪い車ではない。というより、これだけ売れているのだから満足度が高い車のはずだ。でもね」とまた残念そうに首を振った。
「お父さんにとっては興味の対象から外れているということね」
 しかし父は反応せず、「でも、飛行機には大いに期待している」と言った。
 HONDA JETに無限の可能性を感じているのだという。

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