乃々と貸別荘の話
プロローグ
乃々はその時、コーヒーゼリーを食べていた。
片付いたダイニングにはいつもと違ったところは何もなくて、母親と乃々のマグカップもキッチンに片付けたばかりだった。
透明な焦げ茶色のコーヒーゼリーはスプーンで掬うと震えて、乃々はゼリーを食べる時はいつも夏を思い出した。
母親が受話器を取ったので、乃々はテレビの音量に気づき、リモコンを取った。
「まあ?。本当に?。共同で?。嘘みたい」
笑い声を立てた母親の会話に、乃々は聞き耳を立てた。
母親は電話線を指に巻き付けながら、会話からは、格安、という単語や豪華、という言葉、それから別荘、という言葉が聞こえた。
多分、これは良い知らせに違いない、と乃々は思った。
乃々がたっぷり取り分けたコーヒーゼリーを食べ終わって、お皿を流しに持っていく頃になって、母親はやっと電話を切った。
「貸別荘に行くことになったわよ。夏いっぱい。」
受話器を置くと、晴れやかな顔で母親が言った。
「貸別荘?」
「大学時代の友達のご家族。破格で、新しいプール付きの別荘を共同で貸してくれるんですって。」
母親は言った。
「お父さんには悪いけど私とあなただけね。向こうのご家族も来るのはお母さんと子供だけなんですって。」
「ふーん」
「あなたと同じ歳の男の子だそうよ。すぐ準備しなさい。今年は楽しみだわ」
乃々は、親が付けていた歌番組のスイッチを切って、まだ見ぬ別荘を想像した。