乃々と貸別荘の話
蒼空は、乃々に好意をよく表現して喋った。
好意は意地悪な形を取ったり、そっけない声音で言われたりしたが、乃々は蒼空が自分を想っているのは、なんとなくかんで分かる気がした。
「お前の事を、おばさんが捨てたら良いね。」
親達が買い物に出てしまった後のリビングで、ソファに座った蒼空が言った。
「友達みんなが、お前を虐めればいい。兎小屋の兎も、お前に寄り付かない。一人ぼっちで、誰からも相手にされなくなると良い」
乃々は、蒼空の向かい側で、リビングの壁に寄りかかったまま、辟易して俯いた。
蒼空は、座ったまま、隣にあった夏用のタオルを、両手で掲げて伸ばして、満足げに目を細めた。
蒼空から見て、リビングの天井は高く、二階のロビーの卓球台が、もしかしたら隙間の開いた手摺から見えているかもしれない。
「好きだっていうのが僕だけで、周りに僕しか居なくて、僕からお前が離れられなくなると良い。」
蒼空はタオルを降ろして乃々の方を向いた。
「ね。そう思わない?」
蒼空がにっこり笑った。
そうだね、とも言えない乃々は、蒼空から目を逸らして、困った顔をして、床の隅を見た。
乃々は、絵を描くのが好きだった。
特別うまくはなかったがそれなりになんでも描けて、乃々は将来はピアノの先生よりは画家になりたいと思っていた。
その日蒼空親子は出かけていたので、乃々が部屋で一人絵を描いていると、カチャリ、とドアを開けて母親がやって来た。
「買い物に行くわよ。」
乃々は、居間のテーブルの上でケーキを食べる蒼空を描いていた所だった。
母親が言った。
「準備しなさい。服はそのままでいいわ。」
母親はもう支度をしていて、鞄を肩にかけていた。
「早く。」
乃々は、描いていた絵はテーブルに置きっぱなしにして、ベットルー厶にいつも持っていくポシェットを取りに行った。
車はのんびり山道を下った。
フロントガラスに匂いのするチャームがくっつけられていたが、運転がうまいので、少しも揺れなかった。
「何描いてたの?」
運転をしながら、母親が聞いた。
「蒼空くん」
乃々は答えながら、持たされた母親の鞄を膝の上から脇にずらした。
車の窓を少しだけ開けると、町中へ出るまで外は緑の木々がずっと連なっていて、坂を下ってくる間乃々は黙ったまま映画の田舎道の感じを思った。
────蒼空くんも一緒に来れば良かった。
乃々は、明るい店の駐車場に降りながら、蒼空や別荘の事を思った。
スーパーは空いていた。
乃々と母親は脇に積んであるカゴを取って中に入った。
明るい店内の大きな棚に隙間なく商品が並んで、その間を人が何人かゆっくりと歩いていく。
乃々はカートを押している母親の後ろを歩きながら、商品を興味深く眺めた。
「別荘生活も酣ね。」
缶詰のコーナーでトマトの缶を取りながら、母親が言った。
「乃々食べたい物言いなさい。買っていくから。蒼空くんは肉、って言ってたわよ。」
乃々は棚の下の段に積み上げられた魚の缶詰を見ていた。
サラダに合う物が欲しいのだが、どれが合う魚なのか分からない。
「ピザは買った……と。」
母親は同じ中身の違う会社の缶詰を見比べた後、しゃがんで缶詰をいじっている乃々を横目で見て言った。
「蒼空くんとは大分仲良くなったんじゃない?。夏休みにお友達ができるって良いことね。」
ツナの缶詰を取って頷いた乃々から、母親は缶詰を取り上げた。
「学校のお友達とはまた別でしょう。こまめに連絡し合えると良いんだけど。」
頷いた乃々に母親が次に言ったのは思いもしない事だった。
「どうせなら家で食べないような物にしなさい。……明日、もう一人男の子が来るわよ」
カートの中の丸い缶詰が、カゴの端に転がって行った。