乃々と貸別荘の話
次の日、手紙を出しに行くというので、乃々は麦わら帽子を被って母親に付いていった。
外は緑の道で風が心地良く、木陰の影はくっきりしていて見上げると頭上には葉っぱのアーチが良く出来ている。
赤いポストは別荘からまっすぐな道を行った緩やかな坂の下にあった。
母親が手紙を出したのを受け取ると、乃々はポストに手紙を投函した。
乃々親子はもと来た道を手を繋いでのんびり歩いて行った。
玄関ホールに入ると足音がして、蒼空がリビングから出て来た。
「おかえり。」
蒼空が言った。
「どこ行ってたの?。出掛ける時は先に言えよな。」
「ポスト。手紙出しに」
乃々が応えた。
蒼空が言った。
「庭にハンモックがあるからこれから見に行ってくる。」
乃々が靴を脱ごうとすると蒼空は裸足に青いビーサンを突っかけて、乃々の前に立った。
「お前も行くの。」
乃々と蒼空は玄関から外へ出た。
別荘の庭は広く、柵の周りには鬱蒼と木が生えていて、芝地の緑はきらきら輝いていた。
空には見事な入道雲が浮かび、夏の訪れという感じがする。
蒼空と乃々は広い庭の隅っこまで歩いて、外がどうなってるか見た。
囲いの外は、木が分厚く茂っているが、木の隙間をよく見ると青っぽい建物が小さく見えた。
向こうには多分もう一軒同じ様な別荘があるのだろう。
木陰のカラフルなハンモックに座って、乃々は別荘を眺めた。
庭から見える別荘は、夏の家という感じで、雰囲気よく絵画的に見えた。
蒼空は座らずに立ったまま、乃々と同じ様に別荘の方を見ていたが、ふいに、目を落として、地面を指さして言った。
「虫が居る。」
夏草に隠れて歩いていた甲虫が、前足を宙に浮かせて動かした。
蒼空がしゃがんだので、ハンモックから降りて乃々もしゃがんで、のろのろと進む甲虫を見た。
「夏だな。」
蒼空が言った。
「夏休みの宿題終わった?」
「終ってない。」
「だろうな。お前っていかにもそういう感じ。僕は大体終わったよ。日記と作文だけ持ってきてる。」
虫をてのひらに乗せながら蒼空が言った。
「夏の思い出。僕は別荘の事を書く。お前もそうしな。」
「何を書くの?」
「プールの事とか、見える景色の事とか。お前の事も書こうかな。」
蒼空が言った。
「乃々、手出して。」
蒼空のてのひらの甲虫は乃々に向かってぎこちなく不気味に動いていて、乃々はぎょっとして立ち上がった。
蒼空は不敵な笑みを浮かべた。
「しょぼいね、お前って。」
蒼空が膝から立ち上がった。
乃々の腕を掴んで引いて体の距離がぐっと近くなる。
乃々の首の後ろに右手を伸ばして、さらさらの黒髪が肌に当たりそうな耳元で囁いた。
「背中に入れたよ!」
乃々は慌てて服をばたばたさせた。
「今頃お前の背中を這い回ってるね。仲良くしな。」
乃々は泣き顔になって、一生懸命服から虫をはたき落とそうとした。
「蒼空くん、意地悪だよ」
恨み声で口を開いた乃々に、蒼空がぱっとてのひらを開いて見せた。
虫はさっきと同じ様に、てのひらの上をのろのろ這って居た。
「嘘に決まってるよ。」
蒼空がからからと笑った。