乃々と貸別荘の話
4宿題
「友達に会いに行くから、今日はあなたはお留守番よ」
ワンピースを余所行きのノンスリーブに着替えながら、乃々の母親が言った。
乃々は、居間の小さな丸いテーブルで母親のメモ帳に、ボールペンで落書きをしていたところだった。
別荘を描いたつもりの建物は斜めにひしゃげていたが、乃々はそれを結構うまく描けてる、と自分で思っていた。
母親は脱いだワンピースを緩めに畳むと、居間にやって来て、ソファから鞄を取った。
ポーチの中の、細いネックレスは、母親が人と会うとき必ず付けるアクセサリーだ。
「お昼には帰ってくるから。お土産を買ってくるわ。蒼空くんに遊んで貰いなさい。……聞いてるの?」
鏡の前に座りながら、母親は乃々に顔をしかめて見せた。
母親が出掛けてしまった部屋のドアを閉めた乃々は、卓球台のあるロビーを通り過ぎた。
無人のロビーは明るく静かで、がらんとしていて避暑地の雰囲気がある。
階段まで来て、乃々は蒼空の真似をして手摺に片足を乗せてみたが、途中で怖くなって足を降ろした。
乃々は、階段を歩いて降りていった。
蒼空の部屋をノックすると、カチャリ、と戸を開けて蒼空が出て来た。
「お母さんが出掛けちゃった」
乃々が言った。
「じゃあ今日は一日中僕んとこだな。入って。」
蒼空に言われて、乃々は部屋に入った。
一階の蒼空の部屋からは、広い庭の緑が一面によく見える。 向こうの方にプールも見えたが、窓から顔を出さなければそれは近くには見えなかった。
部屋の奥へと進むと、居間のソファに座って蒼空の母親がお茶を飲んでいた。
「あら乃々ちゃん。お母さんは?」
「今日は乃々のママはお出掛けだって。」
蒼空が代わりに答えて、ソファに腰掛けた。
ソファは各部屋に2つずつしかないので、乃々は蒼空のソファに遊びで体重をかけながら立っていた。
「別荘生活、する事ないしな。大人なら人に会うのも手かも。」
「する事なくって幸せよ。蒼空、今日は何にもないから、あなた先に宿題でもしたら?。」
蒼空の母親が蒼空を見た。
「やっても良いけど。いつでもできるしな。」
「まあそうだけど、早い方が良いでしょう。乃々ちゃんも一緒にどう?。乃々ちゃんも、宿題先に終わらせた方が良いでしょう?」
「……」
「そうしな、乃々。」
蒼空が言った。
「今日は自習ね。作文書こうっと。母さん、原稿用紙ある?」
「買ってあるわよ。今出すわ。」
「乃々、お前も宿題持ってきな。見てやるから。ダイニングで今日は勉強。」
乃々と蒼空はダイニングに行った。
ダイニングには吹き抜けがあって、天井には木でできたお洒落なファンが回っている。
蒼空は椅子を引いて座ると、一枚木の大きなテーブルに、原稿用紙を置いた。
「何書こうか。乃々、お前の学校作文の宿題でた?」
蒼空が聞いた。
「うん」
乃々が応えた。
「まだやってない。」
「教えてやる。書きやすい思い出を選ぶのがコツ。書きにくい題材を選ぶと、書く手が止まっちゃうって。さて。」
シャーペンをカチっと鳴らし、蒼空は作文を書き始めた。
乃々は、しばらくぐずぐずしていたが、ようやく、蒼空の隣で、部屋から持ってきた算数のプリントを始めた。
「蒼空くんって、友達と遊ぶ時、家で遊ぶ外で遊ぶ?」
計算した答えを升目に書き込みながら、乃々が聞いた。
「外。僕もだけど、体動かすの好きな奴多いから。」
「鬼ごっこする?」
「ボールで遊ぶ。女子居ない。楽しいよ。」
「ふーん」
乃々は、鉛筆の後ろに顎を当てた。
「蒼空くん、嘘をついた事ある?」
「ない」
蒼空が答えた。
「一度も?」
「うん。」
「もし嘘をついた時にバレちゃったらどうする?」
「付かないって言った。最初から付かない。集中しろよ」
「蒼空くん、お天気の事考える?」
「考えない。」
シャーペンを滑らせながら、蒼空はなんとも思ってなさそうな調子で答えた。
乃々は、苦手な計算を、辛抱強く見直しをしながらゆっくり解いた。
「乃々」
作文用紙から目を上げないまま、蒼空が単調な声で呼んだ。
「何?」
乃々は二回目の見直しをしているところだった。
「お前、好きなやつ居る?」
出し抜けに蒼空が聞いたので、乃々は計算を止めた。
「居ない。なんで?」
「友達が女子に、ラブレター書いたんだ」
「へえ。どうだった?」
「まだ付き合わないからって言われた。普通に仲良くしてるよ。そいつとばっか遊んでる。」
「ふーん、良いね」
「うん、将来は結婚するって言ってるって。約束もしたらしいよ。……それで、お前は居ないんだね。」
ふ、と口元を綻ばせた蒼空は、顔を上げて頬杖を付いて、もしできない所あったら教えてやる、と乃々に言った。