乃々と貸別荘の話
5ひまわり畑
乃々が朝起きてリビングに降りていくと、キッチンで母親達がサンドイッチを作っていた。
「あら、乃々。早いじゃない」
マーガリンを塗る手を止めて、母親が乃々に言った。
パジャマ姿の乃々は目を擦った。
今朝見た夢には蒼空が出てきて、夢の中で、2人は同じ学校に通っていたのだ。
「今日はひまわり畑に行くわよ」
乃々の母親が言うと、キッチンで食パンを切っていた蒼空の母親が乃々に向かって笑顔を作った。
「晴れて良かったわ。天気予報では、雨って言ってたの」
「ほんとに」
乃々の母親が言った。
「今が一番綺麗に見える頃なのよ。カメラ持っていかなきゃ」
乃々の母親は今度は卵のボールにマヨネーズを入れて混ぜ始めた。
白いお皿にバジルの葉が刻んである。
「蒼空くんはもう着替えてるわよ。朝ご飯も食べてる。あなたもさっさと食べちゃいなさい」
乃々は走って洗面所に向かった。
車の中は快適だった。
エアコンを効かせて、軽快に車を走らせながら、母親2人は子供達の将来の話をしていた。
「医者になってくれたらなあ。私子供の頃から、頭良いの好きなのよ。」
蒼空の母親が言った。
「お医者は子供が大変よ。うちは高望みしないわ。ピアノの先生になってくれても良いけど、やっぱお嫁さんよねえ」
蒼空と乃々は、後部座席で話をしていた。
「もしも朝が来なくなっちゃったら遊ぶ時面白いね。夜中にみんなでパーティしたら楽しくない?」
「ふーん。誰かさんが昨日の夜、ゲームしてるうちに僕の部屋で寝入っちゃったから、僕仕方なくもう一つの部屋で寝たけどな。そういう風にならなくなってから言いな。」
目的地に着いて、車から降りると、外は一面のひまわり畑だった。
大振りな黄色いひまわりが所狭しと咲いて、遠く、向こうの方には、霞んだ青い山が連なって見えて、その上に雲が浮かんでいる。
乃々はポシェットの肩ひもをドアに挟んでしまって、もう一度ドアを開けて貰わなければならなかった。
「ドジ。」
蒼空が呆れ顔をした。
「綺麗ねえ!」
車から降りた乃々の母親が、ひまわり畑を見回して言った。
「綺麗なひまわり。」
ポシェットをドアから外して、サンダルを履き直した乃々に蒼空が言った。
「乃々空青いよ。この夏はきっと終わらないね。」
乃々と蒼空の母親はカメラであちこちにシャッターを切った。
ひまわりは背が高く、比べると立っている乃々の身長よりもゆうに大きかった。
並んでいるひまわりは全然揺れないので、一本一本が独立したモニュメントの様に乃々には感じられた。
ひまわり畑の奥まで歩いてしまってから、乃々は、ポシェットのキーホルダーがない事に気が付いた。
キーホルダーはフルーツの形のもので、誕生日会の時に友達とお揃いのを選んで買って貰った物だった。
ここへ来る途中でどこかに落としてしまったらしい。
写真を撮っている母親達と蒼空に背を向けて、乃々は元来たひまわり畑の道を走った。
キーホルダーは、カラフルなので下へ落ちていれば目立つはずだったが、入口まで戻っても見当たらなかった。
乃々は下を向いてあちこち探したが、諦めて、ひまわり畑を戻った。
────また、同じ道を来たような気がする。
乃々は、元来た道を来たつもりだったが、進んだ先に蒼空や母親の姿はなかった。
周りを見回そうとしても、乃々より背が高いひまわりに遮られて、今居る場所以外見えない。
ひまわりは列になって並んで沢山咲いていて、一人きりで見るとなんだか責められている気がした。
仕方なく入口に戻ろうと走ると、今度は入口が見当たらなかった。
「お母さーん!。蒼空くーん!」
乃々は歩きながら呼んだ。
声が大きければ見つけて貰えるかもしれなかったが、大声を出しなれない乃々の声は不安であまり通らなかった
「蒼空くーん!」
声は次第に涙交じりになった。
乃々は歩きながら泣いた。
────もしここに一人で置いていかれたらどうしよう。
そういう不安は時々本当になる様な気がした。
乃々が、でたらめに歩き回っていると、ふいに、こっちへ走ってくる素早い足音が聞こえた。
「こら!」
ふいに蒼空の姿が近付いて来たと思ったら、頭にゴツンと一発入れられて、乃々は痛っと呻いた。
目を開けるとしかめっ面をした蒼空が自分を見下ろしていた。
「探し回った。何やってたんだよ。」
「キーホルダーなくして、探してたんだけど、なくて」
「入口に戻ればいいだろ。一人でうろうろして。何考えてんだよ。」
「戻ろうとしたんだけど戻れなかったんだよ」
「道をちゃんと見てないからだろ。ったく馬鹿なんだから。」
「見てたよ……」
「嘘付くな。見てなかったの、迷子になるんだから。」
蒼空はまだべそをかいている乃々の手を取った。
「泣き虫。ったくもう。」
蒼空が言った。
「僕の側から離れるな。帰るぞ。」
一面のひまわり畑を、手を引いて歩いていく蒼空に、乃々は、引っ張られながら、まだ、迷子になったさっきの事を思っていた。