獣人の里に流れ着きましたが、夫の番犬ぶりのおかげで穏やかな日々です。

5 狼さんこんにちは

 ミカが自分の雑な認識能力を実感したのは、深い深い夜の中頃。
「狼さんだったんですね……」
 ラウルは犬獣人ではなく、狼獣人だった。それはそれとして重大な事実だったが、こんな夜更けに思うのはもっと直接的な事実。
「起きたか。寝顔もかわいかったが、そのかわいい声が聞きたかった」
 ミカの子どもみたいな声に、蕩けるような甘く低い声が重なる。
 暗闇の中でふたり、何をしたかと言われれば……この後に及んで言い訳できないけれど、ミカにも言い分はある。
「ラウルさん、えっと……素朴な疑問なのですが」
「うん? 夫婦の間に隔たりはよくないな。何でも言ってくれ」
 ラウルが掠れた甘い声で問いかける。
 ミカはそんなラウルの犬っぽさが愛おしくて、思わずその頭を撫でそうになって……この調子でここまで流されてきたことを思い返して、言葉を続けた。
「狼さんって、いっぱい食べるんですね……?」
「違うぞ? ミカがかわいいからだ」
 さらりと答えたラウルに、ミカは不思議そうに問いかける。
「私の平凡な顔と体のどこに、そんな喜ぶところがあるものでしょうか」
「初めて見たときから尻尾を振っていたのが見えなかったか? 番いがこんなにかわいくて、自慢したくてたまらなかった。くりくりした目も、小さい鼻も、ほっこり笑う顔も」
 ミカの首筋でふんふんと鼻をならして、ラウルはうれしそうにつぶやく。
「近くだととろけるくらいにいい匂いもするし。もっと食べたい」
「ええと、今日はいっぱいいっぱいなので、明日……」
「明日も約束してくれるんだな! 任せてくれ。今日は最大限手加減したから、明日はもっと励む」
 ラウルは尻尾を嬉々として振ってから、まるで疲れなど感じさせない目で笑って言う。
「ミカ、可愛くて……もう、可愛くてたまらなくて。食べたくて、どれだけ食べても足りなくて」
「そろそろ足りてくれませんか……?」
 ミカの控えめな訴えは、狼の本性をむきだしにした獣人にはとても難しい提案だったらしい。
「ミカ……」
「そんな子犬みたいな目してもだめです……。今日は、ここまで……よいしょ」
 ミカがよろよろと体を離すと、ラウルは目に見えてしょげて言う。
「俺のこと、嫌いになったか?」
「ラウルさん?」
「人には獣人と違って……「離別」というものがあるって、聞いて」
 それは先ほどまで甘い声音でささやいていた獣人と同一人物とは思えないほどの、真っ暗な声音だった。
 ミカはまだその心の全部を知らないながらも、ちょっとだけ笑って言う。
「なんでそうなるんですか。こんな……過多なくらいいっぱい求められて、私だってうれしかった」
 ミカはラウルの青い瞳をみつめてから、ちょっと照れて目を逸らす。
「わかりましたよ。好きでいてくれることは十分わかりました。……だから今日は寝ましょう? 明日からだって毎日夫婦でいるんですから、ゆっくりいろんなこと進めていけばいいでしょ?」
「そう……だな。獣性に囚われてたかもしれない」
 ラウルは今度はミカの体を優しく包むと、こつんと額を合わせて言った。
「ミカ、愛してる」
「……改めて言われると照れますけど。……はい、私だって愛してますよ」
 だから寝ましょうと、ミカはもう一度言った。
 ラウルは仕方なさそうに目を閉じて、ミカはようやく一息ついたのだった。
< 5 / 6 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop