獣人の里に流れ着きましたが、夫の番犬ぶりのおかげで穏やかな日々です。

8 警護所のお客さん

 ミカがラウルの家に来て三日過ぎた頃、警護所にお客さんが来たらしい。
 三日の間、日中でもラウルは時々やって来て、ミカとお昼やおやつを一緒に食べていた。だから忘れていたが、彼は日中、警護官というお仕事をしている。
 警護官……お巡りさんかな?とミカは思っていたが、ちょっと違うらしい。
 それがわかったのは、ミカが警護所に差し入れを持って行ったときだった。
 ラウルの家のキッチンの使い勝手がわかってきて、その日のミカはアップルパイを焼いてみた。それで意外と上手に出来たので、ほかほかのうちにラウルに食べてもらいたかった。
 ラウルの家は大きさも場所も、警護所の別棟みたいなものだ。家の裏口から出てイチイの木を三本通り過ぎると、警護所の裏門がある。
 ミカは警護所の裏門の前に立つと、くす玉みたいな呼び鈴の紐を引く。
「ごめんくださーい」
 呼び鈴はコロンコロンと音を立てて、しばらくすると扉が向こうから開いた。
 戸口に現れたのは十代の半ばくらいの少年で、くしゃくしゃっとした赤毛に小さな丸い耳が出ていた。
 あ、かわいい。ミカがそう思って頬を綻ばせると、少年がごくんと息を呑んで声を上げた。
「お、女の子……! ほんとに来たんですね。甘い匂いがするのは僕の妄想じゃなかったんだ……!」
 ミカはその驚きの言葉を聞いて、失礼にならない程度に想像を巡らせる。
(獣人の里って男子校みたいなとこなのかなぁ)
 女の子であるというだけで驚かれるのだから、よほど獣人の里は女性が少ないのだろう。
 獣人の少年はかぁっと顔を赤くして、恥ずかしそうにうつむく。ミカは安心させるようにゆっくり言葉をかけた。
「突然来てしまってすみません。警護所のラウルの妻です」
「は、はい! 聞いています。な、何かありましたか?」
 少年の顔は真っ赤で、言葉もつっかえながらだが、話し方は利発な感じがする。ミカはほのぼのしながら言葉を続けた。
「アップルパイを焼いたので、よかったらみなさんで食べてください」
「え、ええっ!」
 少年は赤茶色の瞳を見開いて、一瞬言葉も忘れたようにミカを見た。
 ミカはきょとんと首を傾げて思う。
(私、何か驚くようなこと言ったかな。それとも、獣人さんってアップルパイ食べないのかなぁ?)
 ミカが考えを巡らせていると、唐突に獣人の少年が後ろに引っ張られた。
「……ミカは優しいだけだ。誤解するんじゃない、ルツ」
 いつ来たのか、ラウルが少年の肩をがっちり掴んで低い声で言った。
 ミカはちょっと申し訳なさそうにラウルに言う。
「ラウルさん! ごめんなさい、いきなり押しかけて。迷惑でしたか?」
 するとラウルは少年に向けた低い声は嘘だったように、いつもミカにかける優しい声音で言う。
「全然迷惑じゃない。仕事中にもミカの顔が見れるなんて、仮住まい暮らしもいいものだと思ったんだ。もちろんアップルパイは全部俺が食べる」
「あはは。ラウルさんはいっぱい食べますねぇ」
 ミカは屈託なく笑い返して、紙包みをラウルに差し出す。ラウルも笑顔でアップルパイを受け取って言った。
「来てくれてありがとう。それで、今日はちょっと遅くなるから先に夕飯を食べていてくれるか?」
「そうなんだ。お仕事、大変ですね」
「ああ。客が来ていて……」
「その子が里に流れ着いた人間の女の子?」
 話の途中に声が割り込んできて、ミカはぱちくりとまばたきをする。
 そのとき、ラウルは鋭い目をして口の端を下げた。それがラウルのしかめ面だとミカが気づいたときには、誰かの声はミカに向いていた。
「……かわいい。王都に持って帰りたいな」
 縞模様の耳と尻尾を持った背の高い獣人が、ミカを見下ろしてにやりと笑ったのだった。
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