獣人の里に流れ着きましたが、夫の番犬ぶりのおかげで穏やかな日々です。
9 虎獣人の誘惑
ミカは警護所のお客さんにもアップルパイを振舞おうとしたが、物理的にラウルに阻まれた。
ラウルはミカを警護所の中に入れてくれて、椅子まで用意してくれたのだけど、ミカの斜め前に立って周りに圧をかけていたから。
ラウルのその様子に、警護所のお客さんはからかうように言う。
「僕を警護してくれたときよりよっぽど真剣じゃないか」
お客さんの名前は、ジオスと言うらしい。下働きらしい少年がジオス様と呼ぶのを聞いた。
でも、「様」と言うならたぶん偉い人だ。ミカはそんな人の前で自分だけ座っているのは緊張したが、ラウルは「ミカは座っていていい」と言うものだから困りながら椅子にかけていた。
ラウルはジオスにしれっと言葉を返す。
「番い以上に真剣に警護する相手なんていない」
「君、王都への護衛はもう引き受けないなんて言うんじゃないだろうね?」
この辺りで、ミカはラウルの仕事は、警察官というよりボディガードに近いんじゃないかと気づいていた。
ジオスの問いかけを聞いて、ラウルは真顔で言い返す。
「ミカのここでの生活が落ち着くまでは村を離れない。ミカが新婚旅行に王都へ行きたいと言うなら喜んで連れて行くが」
ラウルさん、新婚旅行なんて考えてくれてたんだぁ。うれしいなぁとミカは素直に頬を綻ばせたが、ジオスはそんなミカの表情に目を猫のように細めて言う。
「率直で、笑顔が柔らかい子だね。流れ着いた境遇にも落ち着いているし……番犬の番いには惜しい」
ジオスは一歩ミカに近づいて少し屈んだ。ラウルはそれ以上ミカに近寄るのは許さないとばかりに、ミカの前に大きな手を出して阻む。
ジオスはそんなラウルに構わず、猫なで声でミカに問いかけた。
「ね、お嬢さん。僕と王都に来ないか? 彼の番いになったことは気にしなくていい。王都には番いの匂いを消す方法もある。僕の家に来れば、たくさんの使用人に囲まれて裕福な生活ができるよ?」
ミカは、どうやら彼はお金持ちなのだとわかった。あと、彼の目つきといい話し方といい、彼はネコ科の獣人らしい。
縞模様の耳や尻尾から察するに、虎だろうか。怒らせたら怖いだろうか。でもラウルがついていてくれるから大丈夫だと安心していられた。
ミカは素朴な目でジオスを見上げて言う。
「ラウルさんとの暮らしは、気持ちがほっこりして楽しいです」
獣人の里の暮らしはいろいろ戸惑うことはあると言われているけれど、今は元いた世界のように、お腹が空いて苦しんでいるわけではない。不特定多数に食べられる心配もしなくていい。
ミカは朗らかな表情でラウルを見上げて笑う。
「……使用人に囲まれていなくてもいい。私はここでふたり、ラウルさんと暮らしていけたら幸せです」
あ、でも新婚旅行は行ってみたいです。ミカがはにかんで付け加えると、ラウルにぎゅっと抱きしめられた。
「ら、ラウルさん。ここ、人前……っ!」
「俺の番いはなんて優しくてかわいいんだ……!」
ミカはうろたえたが、ラウルは感極まったようにミカを抱きしめて離さない。
ちょっと酸欠になったミカだったが、ラウルの腕の中が温かくて、やっぱりここがいいなぁと思う。
自分はたぶんこの世界のことをほんのちょっとしか知らなくて、ジオスのいた王都というところも全然わからないけれど、ラウルという獣人の優しさは知っている。ラウルがミカに与えてくれた、労わりや慈愛の形は目にしている。
そのままミカは結構長いことラウルに抱きしめられていたが、やがてひょいとラウルに抱き上げられた。
「ラウルさん?」
「ミカの匂いだけの家に戻りたくなった。わがまま、いいか?」
ラウルが甘えるように言うので、ミカはなんとなくよしよしとラウルの頭を撫でた。
「甘えんぼさんですね。ちょっとだけですよ」
その様子を見ていたジオスは、気に入らなさそうに鼻を鳴らしてミカに言う。
「犬は一度懐くと誇りも矜持もなくすところが残念だな」
「ラウルさんは犬じゃないです。狼さんです」
ミカはその言葉にむっと言い返したが、ジオスは喉を鳴らして笑っただけだった。
ジオスは不遜な調子で言葉を続ける。
「僕はしばらく警護所に滞在する。王都の話が聞きたければいつでもどうぞ。……あと僕は、言い返す強い子も好みなんだ。覚えておくといいよ」
ミカはラウルに抱っこされたままジオスをにらんだが、ジオスは楽しげに肩を揺らして踵を返した。
縞模様の尻尾をひらりと揺らして出て行く様が、どこか不穏だった。
ラウルはミカを警護所の中に入れてくれて、椅子まで用意してくれたのだけど、ミカの斜め前に立って周りに圧をかけていたから。
ラウルのその様子に、警護所のお客さんはからかうように言う。
「僕を警護してくれたときよりよっぽど真剣じゃないか」
お客さんの名前は、ジオスと言うらしい。下働きらしい少年がジオス様と呼ぶのを聞いた。
でも、「様」と言うならたぶん偉い人だ。ミカはそんな人の前で自分だけ座っているのは緊張したが、ラウルは「ミカは座っていていい」と言うものだから困りながら椅子にかけていた。
ラウルはジオスにしれっと言葉を返す。
「番い以上に真剣に警護する相手なんていない」
「君、王都への護衛はもう引き受けないなんて言うんじゃないだろうね?」
この辺りで、ミカはラウルの仕事は、警察官というよりボディガードに近いんじゃないかと気づいていた。
ジオスの問いかけを聞いて、ラウルは真顔で言い返す。
「ミカのここでの生活が落ち着くまでは村を離れない。ミカが新婚旅行に王都へ行きたいと言うなら喜んで連れて行くが」
ラウルさん、新婚旅行なんて考えてくれてたんだぁ。うれしいなぁとミカは素直に頬を綻ばせたが、ジオスはそんなミカの表情に目を猫のように細めて言う。
「率直で、笑顔が柔らかい子だね。流れ着いた境遇にも落ち着いているし……番犬の番いには惜しい」
ジオスは一歩ミカに近づいて少し屈んだ。ラウルはそれ以上ミカに近寄るのは許さないとばかりに、ミカの前に大きな手を出して阻む。
ジオスはそんなラウルに構わず、猫なで声でミカに問いかけた。
「ね、お嬢さん。僕と王都に来ないか? 彼の番いになったことは気にしなくていい。王都には番いの匂いを消す方法もある。僕の家に来れば、たくさんの使用人に囲まれて裕福な生活ができるよ?」
ミカは、どうやら彼はお金持ちなのだとわかった。あと、彼の目つきといい話し方といい、彼はネコ科の獣人らしい。
縞模様の耳や尻尾から察するに、虎だろうか。怒らせたら怖いだろうか。でもラウルがついていてくれるから大丈夫だと安心していられた。
ミカは素朴な目でジオスを見上げて言う。
「ラウルさんとの暮らしは、気持ちがほっこりして楽しいです」
獣人の里の暮らしはいろいろ戸惑うことはあると言われているけれど、今は元いた世界のように、お腹が空いて苦しんでいるわけではない。不特定多数に食べられる心配もしなくていい。
ミカは朗らかな表情でラウルを見上げて笑う。
「……使用人に囲まれていなくてもいい。私はここでふたり、ラウルさんと暮らしていけたら幸せです」
あ、でも新婚旅行は行ってみたいです。ミカがはにかんで付け加えると、ラウルにぎゅっと抱きしめられた。
「ら、ラウルさん。ここ、人前……っ!」
「俺の番いはなんて優しくてかわいいんだ……!」
ミカはうろたえたが、ラウルは感極まったようにミカを抱きしめて離さない。
ちょっと酸欠になったミカだったが、ラウルの腕の中が温かくて、やっぱりここがいいなぁと思う。
自分はたぶんこの世界のことをほんのちょっとしか知らなくて、ジオスのいた王都というところも全然わからないけれど、ラウルという獣人の優しさは知っている。ラウルがミカに与えてくれた、労わりや慈愛の形は目にしている。
そのままミカは結構長いことラウルに抱きしめられていたが、やがてひょいとラウルに抱き上げられた。
「ラウルさん?」
「ミカの匂いだけの家に戻りたくなった。わがまま、いいか?」
ラウルが甘えるように言うので、ミカはなんとなくよしよしとラウルの頭を撫でた。
「甘えんぼさんですね。ちょっとだけですよ」
その様子を見ていたジオスは、気に入らなさそうに鼻を鳴らしてミカに言う。
「犬は一度懐くと誇りも矜持もなくすところが残念だな」
「ラウルさんは犬じゃないです。狼さんです」
ミカはその言葉にむっと言い返したが、ジオスは喉を鳴らして笑っただけだった。
ジオスは不遜な調子で言葉を続ける。
「僕はしばらく警護所に滞在する。王都の話が聞きたければいつでもどうぞ。……あと僕は、言い返す強い子も好みなんだ。覚えておくといいよ」
ミカはラウルに抱っこされたままジオスをにらんだが、ジオスは楽しげに肩を揺らして踵を返した。
縞模様の尻尾をひらりと揺らして出て行く様が、どこか不穏だった。