恋とキスは背伸びして
迎えたバレンタインデー当日。

美怜はミュージアムで通常業務を終えると、ロッカールームで私服に着替えてから本社に向かった。

これからルミエール ホテルに行くが業務時間内ではないし、スーツだとカップルのお客様の中で浮いてしまって雰囲気を壊しかねない。

そう思い、オフホワイトのスカートにネイビーのノーカラージャケットを合わせた、少しかしこまった印象のコーディネートにした。

電車で向かう途中、カバンの中の二つの包みが潰れていないか確認する。

バレンタインデーに会うとあって、美怜は卓と成瀬にチョコレートを用意していた。

ふと周りを見ると、いつもよりカップルの姿が多い気がする。

これからデートに行くのだろう。
腕を組んで顔を寄せ合い、楽しそうにおしゃべりしている。

(今頃ルミエールでも、たくさんのカップルが素敵な時間を過ごしてるのかな。チョコレートケーキ作りも賑わってるといいな)

そんなことを考えているうちに、あっという間に本社の最寄駅に着く。

いつものように本部長の執務室に向かうと、既に卓の姿があった。

「お疲れ様です。卓、早かったんだね」
「ああ。なんかうちのオフィス、定時になったら一気にみんな帰っちゃってさ。一人で取り残されて居心地悪いから、俺もさっさと切り上げてきた」
「そっか。やっぱりバレンタインって、恋人がいる人にとったら特別な日なんだね」

すると成瀬がデスクから声をかけてきた。

「そんな日に定時後も仕事の予定入れるなんて、本当に大丈夫なのか?二人とも」
「私は大丈夫です。でも巻き込んじゃってごめんね、卓」
「いや。どうせ何も予定ないし、一人でいるより気が紛れていいよ」
「そう?良かった。本部長も、お忙しいのに申し訳ありません」

美怜の言葉に成瀬は首を振る。

「とんでもない。礼を言うのは俺の方だ。二人にはどれだけ感謝してもしきれない。いつも仕事に真摯に取り組んでくれてありがとう」

いいえ、と微笑むと、美怜はカバンから包みを取り出した。

「本部長、私からもこれを。もう既にたくさん贈られていらっしゃるとは思いますが」

そう言って成瀬にチョコレートを手渡す。

「ありがとう。実は一つももらってなかったから嬉しいよ」
「ええ?嘘ですよ、そんなの」
「そう言われるとグサッと傷つくんだけど」
「え、本当に?だって秘書さんからは?」
「今日は会ってない。役員会議以外はずっと一人でここに籠ってたし」

そうなんですか、と美怜は腑に落ちないながらも引き下がる。

「卓にも、どうぞ。いつもお世話になってます」

にっこり笑う美怜から、卓はありがとうと少し照れながら受け取った。

ブルーのリボンが掛けられたシルバーの包みを両手に持ち、くすぐったいような何とも言えない気持ちになる。

中学生か?と自分に呆れながらカバンにしまうと、ん?と美怜が首を傾げた。

「卓、ひょっとしてチョコレートすごくたくさんもらったの?」
「いや、そうでもないけど」
「だってパンパンに溢れてるよ?ほら、カバンからこぼれ落ちそうになってる」

美怜が指差した先を見て、成瀬が「うわっ」と声を上げる。

「富樫。どんだけもらったんだ?下駄箱開けたらザー!ってやつか?」
「成瀬さん、オフィスに下駄箱あるんですか?」
「じゃあ、あれだ。休み時間に行列作られるってやつ。それともあれか?トイレから戻って来たら、机の中がチョコだらけ」
「成瀬さん、ここは学校じゃありません」
「くー!余裕だな、富樫。今夜はお前が大人に見えるぞ」
「いつもは子どもだみたいに言わないでください」

二人のやり取りに、美怜がふふっと笑う。

「なんだかいつもと会話が逆だね。卓、ほんとに今夜はかっこいいよ」

え…と、卓は言葉に詰まる。

顔が赤くなるのを感じて、慌てて立ち上がった。

「それよりそろそろ行きましょう」
「そうだな。今片づけるから少し待ってくれるか?」
「はい」

成瀬がパソコンの電源を落とし、加湿器やエアコン、部屋の電気もオフにする。

「じゃあ行こうか」

コートとカバンを手に歩き出した成瀬に続いて、美怜と卓も部屋を出た。
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