恋とキスは背伸びして
(あった、ここか。へえ、予想より随分大きくてオシャレな建物だな)

パンフレット片手にたどり着いた真っ白な外観のミュージアムを、成瀬は感慨深げに見上げる。

以前からあるショールームとは別に、企業ミュージアムとして四年前に建てられたことは知っていたが、はっきり言ってどういうものなのかは大して気にしたことがなかった。

本社に併設されたショールームは自社製品がずらりと展示され、実際に目で見て手で触れながら選べる為、営業部の社員が取引先への提案や、商談のクロージングに活用しており、かつては成瀬も何度も利用していた。

対してこのミュージアムは、外観も洒落た造りの独立した建物になっており、紹介映像のエリア、展示物のエリア、デザインやレイアウトの体験コーナー、テーマごとに家具を並べたモデルルーム、そして実際にそこで製品を購入できるオンラインショッピングコーナーなど、多岐に渡って楽しめるコンテンツが揃っているらしい。

果たしてどんなところなのだろうと思いながら、成瀬は建物の裏口に回り、警備員に声をかけてからセキュリティゲートにIDカードをかざして中に入った。

廊下を進むと大きな窓のオフィスがあり、中にいた営業部長と同じくらいの年齢の男性が顔を上げる。

目が合った成瀬がお辞儀をすると、にこにこしながら立ち上がって近づいて来た。

「やあ、君が成瀬くんかい?」
「はい。初めまして、入江課長」
「おお、噂には聞いていたが、なかなかのいい男だね。これで仕事もバリバリこなすんだろ?いやー、パーフェクトじゃないか。弱点はあるの?」

…は?と成瀬は面食らう。

「ほら、どんな人にも意外な一面はあるだろう?それを知ってこそ、その人と腹を割って話せるようになるからさ。ちなみに私は、女房にはまったく頭が上がらない」
「は、はあ。私はまだ独身ですので、実際どうなるかは分かりかねますが…」
「君もきっと同じかもよ?ははは!まあ、冗談はさておき。早速ご案内しようか。初めてなんだってね、ミュージアム」
「はい。今日はしっかり勉強させていただきます。よろしくお願いいたします」
「うん。じゃあ行こう」

成瀬を促した入江は、廊下を進んだ先の扉を開けて、ミュージアムのエントランスホールに出た。

「本社のショールームは一般開放はされずに、いわゆるB to Bの企業間取引に使われているだろう?だがこのミュージアムはそれだけではない。企業への営業活動やコミュニケーションツールとしても活用しているけど、一般のお客様にも開放して、認知獲得といったブランディングの役割もしているんだ」

話しながらミュージアムの入口に足を踏み入れた入江は、ふと成瀬を振り返った。

「君は営業畑出身だよね?ショールームでは、営業の社員は取引先の企業に何を説明しているの?」
「はい。先方にとって我が社のどの製品が一番ふさわしいか、どんな製品なら喜んでいただけるか、その時々で最善のご提案ができるよう心がけております」

入江は頷くでもなくその言葉を聞くと、話を続けた。

「うちのミュージアムチームのメンバーは、営業マンの十倍の知識量を備えていると言っても過言ではない」
「ええ?!十倍ですか?それは一体どういう類の…」
「創業から現在までの我が社の百年以上の歴史、創業者の想いや経営理念、CSRやサステナビリティといった社会的責任と取り組み、製品へのこだわり、製造プロセス、デザインのコンセプト、製造から流通までの管理とノウハウ、数え上げればキリがない」

そう言って入江は、受付カウンターのスタッフに軽く手を挙げてからIDカードでゲートを通り、成瀬もそれに続く。

ミュージアムの高い天井からは自然光が降り注ぎ、外観とは違って内装は木材がふんだんに使われていた。

広々とした開放的な空間のあちこちで、様々なコンテンツを楽しむ来場者に、ワンピースの制服姿の女性スタッフが何人か笑顔で接客している。

「ここは予約をすれば誰でも入れる無料の施設だ。家族連れ、カップルといったごく普通のお客様に紛れて、同業他社の偵察もやって来る。なんなら毎年、新入社員の研修にここを使っている企業もある」
「研修に?自分の会社ではなく、うちを使って、ですか?」
「そうだよ。悪びれる様子もなく、皆スーツを着て来てね。『いいか、これが今世間で一番売れている製品だ。アイデアをしっかり持ち帰れよ』なんて、ふんぞり返って新人にレクチャーしてる」

成瀬は信じられないとばかりに目を見開く。

「よろしいのですか?ここをそのように利用されても」
「ん?まあね。いいんじゃない?それだけうちがすごいって認めてもらえてる訳だしさ。さすがに自社の製品を一般のお客様に売り込もうとしたり、うちの製品の悪口をこれ見よがしに話し始めたら止めるけどね」
「はあ…」

思ってもみなかった話に半信半疑になる成瀬に、入江は笑い出した。

「ははは!さては信じてないだろう?じゃあ、インカムを着けてみるといいよ。それが一番分かりやすい」

入江は受付カウンターへ行き、女性スタッフに声をかけると、無線機を二つ手にして戻って来た。

手渡された一つを成瀬も着けてみる。

するとすぐに女性スタッフ達のやり取りが聞こえてきた。
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