恋とキスは背伸びして
「そろそろ行こう。部屋まで送るよ」

立ち上がった成瀬に、美怜も「はい」と返事をして、軽くテーブルを片づける。

「ありがとう」
「いえ、そんな」

優しく微笑む成瀬に美怜も笑顔を返し、二人で部屋を出た。

「えっと、十八階だよね?」
「はい、そうです」

部屋の前まで来ると、成瀬は美怜にカードキーを手渡す。

「はい、これ」
「ありがとうございます」
「お疲れ様。今夜はゆっくり休んで」
「はい。本部長もお疲れ様でした」

そう言って部屋に入ろうとする美怜に、成瀬は矢継ぎ早に念を押し始めた。

「明日の朝、起きたら内線して。一緒に朝食を食べに行こう」
「はい、分かりました」
「部屋に入ったら、ちゃんとチェーンも掛けて。あ、今どきはチェーンじゃないか。なんだっけ?ほら、カチャッて掛けるやつ。開けたらガキンッてなって…」
「ドアガードですね」

美怜が淡々と答えると、ドアガード?!と目を丸くする。

「初めて聞いた。ドアガードか…。なるほど。じゃあ、それをちゃんと掛けてね」
「はい、せん…。あ、いえ」
「ん?なに?」
「いえ、何でもございません」

さり気なく取り繕う美怜に首をひねってから、あ!と成瀬は声を上げた。

「今、先生って言っただろ?」
「言ってません!まさかそんな!滅相もない!」
「その焦り方、間違いないな」
「いえ、あの。修学旅行の時を思い出して、懐かしいなってふと思って」
「それで先生ね」
「それは、その…。申し訳ありません」

勢い良くお辞儀すると、成瀬は美怜の頭にポンと手を置く。

「いいよ、お父さんよりはマシだから。実際俺も教師の気分だったしな。それより、一人で眠れる?」
「は?あの、私そんなにお子様ではないんですけど?」

それこそお父さんみたいでは…、と美怜が戸惑っていると、成瀬は気まずそうに頬を掻いた。

「いや、その。落ち込んだ時にあの曲を聴いてボロボロ泣くって言ってたから…」

ん?何のこと?と首を傾げてから、ああ!と美怜は思い出す。

「大丈夫です。あの曲が好き過ぎて涙なくしては聴けないだけで。それに私、人より涙腺が緩いみたいで」
「確かに。他人のプロポーズに感激して泣くくらいだもんな」
「お恥ずかしい。私が泣くのなんて、雨が降るのと同じくらい日常茶飯事なんです。なので本当にお気になさらず。それでは失礼いたします。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

美怜はもう一度頭を下げると、カードキーをかざしてそそくさと部屋に入った。

ドアを閉める寸前、まだそこにとどまって自分を見守ってくれている成瀬の優しい眼差しに気づいて、思わずドキッとする。

小さく会釈してドアを閉めると、美怜は、はあーっと息を吐き出した。

(三人でいる時は平気なんだけど、本部長と二人になると変な感じがしちゃう)

胸に手を当てて、ふうと気持ちを落ち着かせると、とにかく早く寝ようとベッドに向かった。
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