エリート狼営業マンの甘くてズルい魅惑の罠
「とにかく、体に気を付けて、本当、無理なくね……」
「ありがとうございます」
あくまで一社員の身ではそうとしか言えないのか、山江さんは困ったように苦笑して、私の肩を優しくさする。
私もなるべく角が立たないように微笑んで返し、特にこれと言って送別会とかそういうもののお誘いもなかったため、昨日までと同じように、極々いつも通りの状態で最後の仕事を済ませ、デスクの片付けをしてから職務を終えた。
「課長、5年間大変お世話になりました」
「ん?ああ、君か。いやぁ本当になぁ。全く社の決定には残念でならないよ。君の今後の一層の活躍を祈っているよ」
帰り際、会社を出る直前に例の上司のデスクを訪れて声をかけると、あからさまな態度で眉尻を下げて見せる向かいのその男に、私のこめかみがピクリと動く。
本当に、人をイラつかせることが天才的に上手いクソ上司だ。
ここまでくると尊敬の念すら抱いてしまう。
「いえ……。社員証は受付に返しておきますね。それでは失礼します」
お気持ち程度に頂戴した同僚たちからの餞別の菓子折りが入った紙袋を手に、私はペコリと頭を下げて会社を出た。
ああ、これでまごうことなき無職!ニート!職探し真っ最中!残念アラサーの爆誕だ。
ま、まあ。来週には社員寮を出るとは言え、まだギリギリ行くあての家はあるわけだし。
年内退去とは言われていたけれど、年末にバタバタとするわけにもいかないし、出来ることならクリスマス前には転居を済ませて、穏やかな聖夜と新年を迎えたい。
こういうとき、実家が同じ関東圏内のエリアにあって良かったと心から実感する。
少し前、実質クビを言い渡されたあの日のうちに、毎月の送金履歴のスクショだけが送信された、父親とのメッセージアプリのトーク画面を開き、私は久方ぶりにちゃんとした“文字”を発信していた。
その内容は既読にはなったものの返事はなくて、まあ無言は肯定とか了承とかって言うし、みたいな能天気な解釈をしていた私は、それ自体を特に気にすることもなく、以降もいつも通りの生活を送っていたわけだけど。
事が進展したのは、それより後のことだ。