今更だけど、もう離さない 〜再会した元カレは大会社のCEO〜
 いきなり突きつけられた名刺にはちらりと一瞬だけ視線を送った後、伸也は困ったように人差し指で鼻の頭の掻く。

「あー、彼女に受付して貰いたんだけどな」
「……田上さんのお知り合い、ですか?」

 さすがの横取り君も、コネ案件までは手が出せない。急激にテンションの下がった店長に、伸也は嬉しそうに答えた。

「婚約者候補、ってところかな?」

 向かいにいる瑞希の顔を覗き込んで、確認するように聞いてくる。さすがに子供の父親ですと紹介する訳にもいかない。瑞希は曖昧に笑って誤魔化した。
 上司が元の席に戻って行くのを確認すると、瑞希は頭を仕事モードに切り替える。伸也に対してはいろいろ言わなきゃいけないこともあるが、まずは目先の仕事をこなす方が先だ。産後に今の代理店に勤めるようになってからは1年だが、その前も同業種の別代理店に3年ほど勤務していた。業界歴は店長よりも実は長いのだ。法人案件が美味しいことは十分に理解している。

「新規10台って、既存回線はあるの?」
「今、営業が使ってるのは別のとこだから、多分無いかな」
「そう、じゃあ支払い実績がないと法人でも最初から10台は審査通らないかも。先に数台だけで、残りは来月とかになることもあると思ってて」
「別に急いでないし、何でもいいよ」

 法人でも個人でも、複数台をまとめて新規登録するには台数制限がかかることがある。最初は3台だけ通して、残りは初回料金の支払いを確認してから、というのがよくあるパターンだ。

「とりあえず、試しに審査通してみるね」
「任せる。これ、登記簿と俺の名刺ね。あと印鑑と通帳だっけ」

 予め調べておいたらしく、登録に必要な物を瑞希の目の前に並べていく。本来なら経理が管理しているだろう銀行印や通帳をCEOが気軽に持ち歩いてる状況に、瑞希は首を傾げた。間違いなく、これは彼の本来の仕事ではないはずだ。

「瑞希と拓也が生活できてたのは、ここのおかげだからね。ちゃんと恩返ししなきゃ」

 経理の人間が止めるのを振り切って、自らが行くと無理を通して来た。誰かに任せるのは簡単だが、それでは瑞希の信頼は取り戻せないだろう。
 コピーを取りに離れた瑞希の後ろ姿を、伸也は熱い瞳で眺める。
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