今更だけど、もう離さない 〜再会した元カレは大会社のCEO〜
KAJIコーポレーション本社ビルにある会議室にて、全ての取締役が出揃ったところへ、最年少でもある伸也が姿を現す。共に入室したのは社長秘書である鴨井と、グループ関連会社ADコーポレーション社長の安達健一。
「なんだ、今日は父兄参観か?」
どこからともなく聞こえて来たヤジに、一同から笑いが起こる。ここにいる者達にとって、伸也はただのお飾り社長に過ぎないことがよく分かった一幕だった。自分の立っている土壌の危ういさに、伸也は改めて身を引き締める。たった一度の失敗が命取りになる。
「本日集まっていただいたのは、新しい社内施策について、まずは取締役であるみなさんにご周知いただく為です」
「ああ、病児保育室を設置するってやつか。託児所のある会社なんて、今時珍しくもないと思うんだがな」
伸也のすぐ手前に座る専務の錦織が否定しつつも興味深げに聞く体制に入ると、ざわついていた他の者達も静まり始める。若い世代の多い派閥を抱えているから、専務に対しても施策についての問い合わせが多かったに違いない。
「詳細の説明と指揮は、看護関連ということで医療機材の取り扱いがあり、地域の小児科との連携が取り易いADコーポレーションに業務を一任するつもりです」
続いて入室してきたADコーポレーション社員からのプレゼンは、たった一日でよくまとめたなと思う量のデータを用い、子育てとの関わりの薄い者にも理解しやすいものだった。
「今回ADコーポレーションでは、現役で子育て中の社員を中心としたチームを作って、この施策の実行に当たる予定です。なので、よりリアルな意見を反映できるでしょう」
一通りの説明が終わった後は専務派からの質疑が多く、それに対してはADコーポレーション社長が自ら答える場面もあって、ただ父親だから任されたという訳でないことは明らかだった。
「本社では社内携帯のキャリア見直しによって通信費の大幅削減に成功しています。その浮いた資金を回すことで、前年と同等の運営費で賄えると考えています」
「将来的には託児所の設置も視野には入れておりますが、すでにそれぞれが保育所などの預け先を確保している今は、早急に必要とされているのは病児の預け先です」
「感染症や重度の病児の場合は自宅待機になりますが、子供は熱があるのに元気だったり、前日の嘔吐を理由に通園できなかったりすることも多く、そういった軽症の子供達の預かり先の確保は、円滑な職務遂行に繋がることと思います」
質問が出揃い終わると、伸也はそれぞれの顔を見まわした。業績に直結しないことには興味のない者もいれば、納得したように頷いている者など、反応は様々。福利厚生への興味は、上に立つほど薄れていくのだろうか。
「うちの娘も子供を理由に仕事を辞めたクチだ。今後はそういった者の復職も増えるかもしれませんな」
資料に目を落としながら、錦織が思慮深げに呟く。定年まで全うできる自分は、専業主婦の妻がいたおかげで子供を理由に休むことは一度も無かった。けれど好きな仕事に就いたにも関わらず、娘は共働きを続けられずにリタイアせざるを得なかった。実家の近くに居れば預かってやることもできただろうが、遠く離れていれば実の親でさえ手助けできない。
「定年まで残り僅かだが、出来る限り支持させていただきましょう」
騒めいていた会議室を、錦織の低い声が一瞬で制圧する。彼の判断を表立って反対できる者は、この場には誰一人としていない。何か言いたげな神崎ですら、今はぐっと言葉を飲み込んでいる。
表情は終始厳しいまま隣に座っている父が、テーブルの下で小さくガッツポーズを決めるのを伸也は見逃さなかった。
「なんだ、今日は父兄参観か?」
どこからともなく聞こえて来たヤジに、一同から笑いが起こる。ここにいる者達にとって、伸也はただのお飾り社長に過ぎないことがよく分かった一幕だった。自分の立っている土壌の危ういさに、伸也は改めて身を引き締める。たった一度の失敗が命取りになる。
「本日集まっていただいたのは、新しい社内施策について、まずは取締役であるみなさんにご周知いただく為です」
「ああ、病児保育室を設置するってやつか。託児所のある会社なんて、今時珍しくもないと思うんだがな」
伸也のすぐ手前に座る専務の錦織が否定しつつも興味深げに聞く体制に入ると、ざわついていた他の者達も静まり始める。若い世代の多い派閥を抱えているから、専務に対しても施策についての問い合わせが多かったに違いない。
「詳細の説明と指揮は、看護関連ということで医療機材の取り扱いがあり、地域の小児科との連携が取り易いADコーポレーションに業務を一任するつもりです」
続いて入室してきたADコーポレーション社員からのプレゼンは、たった一日でよくまとめたなと思う量のデータを用い、子育てとの関わりの薄い者にも理解しやすいものだった。
「今回ADコーポレーションでは、現役で子育て中の社員を中心としたチームを作って、この施策の実行に当たる予定です。なので、よりリアルな意見を反映できるでしょう」
一通りの説明が終わった後は専務派からの質疑が多く、それに対してはADコーポレーション社長が自ら答える場面もあって、ただ父親だから任されたという訳でないことは明らかだった。
「本社では社内携帯のキャリア見直しによって通信費の大幅削減に成功しています。その浮いた資金を回すことで、前年と同等の運営費で賄えると考えています」
「将来的には託児所の設置も視野には入れておりますが、すでにそれぞれが保育所などの預け先を確保している今は、早急に必要とされているのは病児の預け先です」
「感染症や重度の病児の場合は自宅待機になりますが、子供は熱があるのに元気だったり、前日の嘔吐を理由に通園できなかったりすることも多く、そういった軽症の子供達の預かり先の確保は、円滑な職務遂行に繋がることと思います」
質問が出揃い終わると、伸也はそれぞれの顔を見まわした。業績に直結しないことには興味のない者もいれば、納得したように頷いている者など、反応は様々。福利厚生への興味は、上に立つほど薄れていくのだろうか。
「うちの娘も子供を理由に仕事を辞めたクチだ。今後はそういった者の復職も増えるかもしれませんな」
資料に目を落としながら、錦織が思慮深げに呟く。定年まで全うできる自分は、専業主婦の妻がいたおかげで子供を理由に休むことは一度も無かった。けれど好きな仕事に就いたにも関わらず、娘は共働きを続けられずにリタイアせざるを得なかった。実家の近くに居れば預かってやることもできただろうが、遠く離れていれば実の親でさえ手助けできない。
「定年まで残り僅かだが、出来る限り支持させていただきましょう」
騒めいていた会議室を、錦織の低い声が一瞬で制圧する。彼の判断を表立って反対できる者は、この場には誰一人としていない。何か言いたげな神崎ですら、今はぐっと言葉を飲み込んでいる。
表情は終始厳しいまま隣に座っている父が、テーブルの下で小さくガッツポーズを決めるのを伸也は見逃さなかった。