今更だけど、もう離さない 〜再会した元カレは大会社のCEO〜
「個人的な理由、ではないですね――先代の意向に沿っただけです。鍛冶の親族を本社置かないというのは、創業以降の暗黙の了解です。現に彼が居た短期間で、社内には誤った噂での混乱が生じていましたし」
「いや、その噂はあながち間違ってはいないんじゃないかね。鍛冶の血縁者で継ぎ続けるのなら、本家筋の正統性を主張してもおかしくはない」
「KAJIコーポレーションには鍛冶の名が必要だということでしょうか?」
「当然だ。先祖代々の家を守っている本家筋の出である彼は、しかるべき場所でもっと評価されても良いはずだろう」

 やはり神崎は何か大きな勘違いをしていると、伸也は呆れを含んだ溜息をついた。

「そもそもこの会社は鍛冶宗助が個人で創業したものです。常務は鍛冶一族が創ったとでも思い込んでおられるようですが、そうではありません。あと、人事部の資料を見る限り、彼の仕事ぶりは本社に引き抜くほどでも無いように思います」

 それから、と伸也は立ち上がってデスクの引き出しから茶封筒を取り出してくる。先日に母から渡された物だ。それから出した書類を二人の前に広げてみせる。

「先程、常務はおっしゃっていましたが、彼の実家である先祖代々が守ってきたという家なのですが――」

 伸也が神崎達の前に出したそれは、北関東の山間にある土地の権利書。そこに記載された住所に鍛冶陽介は目を剥いた。間違いなくそれは、自分の生家のものだ。しかも、伸也によって指示された所有者名を見てみれば、安達百合子の名が表記されている。それ以前の所有者名は鍛冶宗助の名。祖父が亡くなった今、娘である百合子がそのまま相続したことになっている。

「祖父が陽介の父親と取り交わした念書も残っています。それには工面した金額と同等額での買戻しには無利子で応じると記載してありましたが、すでに昨年で期限切れになってますね」
「……俺の実家、が……?」
「おじさんからは何も聞いてない? うちの母が確認したら、返済は無理だから年内には開け渡すって言ってたらしいけど」

 ただ長子が途絶えなかっただけの家系、百合子の呟きの真意はここにあった。本家の子、分家の子と区別していた割に、金に困れば親戚だからと都合良く泣きついてくる。先代が無情にも返済期限を設けていたのは、そういった積み重なる腹立たしさからなのだろう。
 茫然として固まって動けなくなった陽介は、念書に書かれた見慣れた父の署名をじっと見つめるしかできない。

「ま、この件は母からも好きにしていいって言われてるから、何とかしてあげれると思うけど」
「ごめん、助かる……」

 使えそうな駒を新たに手に入れたと思っていた神崎は、「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てて部屋を出て行く。完全な弱みを握られている鍛冶陽介では、伸也の対抗馬にはなり得ない。
 その後ろ姿を、鴨井は苦笑を堪えながら見送った。
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