今更だけど、もう離さない 〜再会した元カレは大会社のCEO〜

41.あの時のこと(伸也ver.)2

 事前に知らされていた住所を頼りにタクシーで乗り付けた自宅マンションは、KAJIコーポレーションの本社ビルからたった二駅のエリアにあった。駅前には大きな公園もあるせいか駅近の割には静かで、単身者向けよりはファミリー層向けの背の高いマンションが立ち並んでいる。所謂ベッドタウンなのだろう。

 エントランスに横付けにされたタクシーからスーツケースを下ろすと、伸也はポケットから鍵を取り出す。帰国前に必要書類と共に本社から送られてきたそれは、不動産屋が管理の為に付けていた安っぽいタグがぶら下がっている。

 エレベーターを使って辿り着いた新居は、5階の角部屋の2LDK。渡米前に住んでいたワンルームとは比べ物にならないほど広く、築浅なのか小綺麗だ。引っ越し業者によって事前に運び込まれていた荷物は、以前に使っていた物がほとんど。ワンルームを引き払った後に一旦は実家に戻された物をそのまま持って来たのだろう。見覚えのある物ばかりだ。

 家具や家電の一部は勝手に設置されていたが、それ以外は段ボールのまま部屋の隅に積み上げられている。箱の側面に記載された内容物のメモの字には見覚えはない。知らない内に、知らない人達によって勝手に居場所を変えられてしまった荷物達。自分自身とまるっきり同じ扱いだと思ったら、笑いすらこみあげてくる。

 引っ越しの段ボールどころか、持って帰って来たスーツケースすら、中を開ける気にもならない。全てがどうでもいい。


「そろそろ、一度休憩されてはいかがですか?」

 視察や会議でぎっしりと詰め込まれたスケジュールの中、鴨井が両手に持っていたカップの一つを伸也のデスクの上に置いた。「ありがとうございます」と礼を言ってから手を伸ばした伸也は、湯気の立つその温かさを手の平で感じるも、すぐには口を付けようとしない。ただ、カップの中で揺れる珈琲を眺めている。

 社長室の応接ソファーの隅に静かに腰を下ろしながら、鴨井はどうしたものかと首を捻った。いつも自分が一息つくタイミングで伸也にも休むよう促してみるが、あまり効果が見えない。いくら若いと言っても、その内に身体を壊してしまうのは目に見えていた。彼の仕事への打ち込み様は、まるで何か……。

「何か、大きな心配事でも?」

 そう、仕事をすることで何かを考えないようにしているかのようだった。
 親ほど歳の離れた秘書の不意の問いかけに、伸也はえっと驚き顔を上げる。祖父の屋敷で子供の頃にも何度か顔を合わせたことのあるベテラン秘書には、自分のような若造のことなどお見通しということなのだろうか。
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