今更だけど、もう離さない 〜再会した元カレは大会社のCEO〜
「田上さんに移動の話が出てるんだけど、吉崎君からは聞いてるかな?」

 前任の店長でもあった古賀マネージャーからの電話を受けたのは、瑞希が昼休憩を終えて店へと戻ってきてすぐだった。子育てにも理解のあった元上司は、今は数店舗を統括するエリアマネージャーとして本社で勤務している。おそらく、この会社に入ってから一番信頼できる上司だろうか。

「いえ、聞いてないです。移動って、どこにですか?」
「北町店になんだけど――」
「え、吉崎店長と一緒にってことですか?」
「そう。サブとして。もし通い辛いのなら、断ってくれても別にいいんだよ」

 折角近くなった瑞希の勤務先が、さらに遠くなってしまうことは古賀もちゃんと把握しているようだった。管理職以外の遠距離通勤は強要しないのがこの会社の唯一の長所だ。
 吉崎が瑞希のことを指名したのは、KAJIコーポレーションから回ってくる法人契約をそのまま転勤先に引っ張っていきたいからというのがバレバレだ。

「そうですね、子供の保育園もありますし、私は今の店のままがいいです」
「だよね、了解」

 あっさりと瑞希の希望を承諾すると、古賀は「じゃあ、西川さんに代わってくれる?」と恵美への電話の取次ぎを指示する。

 ――私が断ったから、代わりに恵美が移動になる?

 瑞希とは違って強い法人のコネがある訳ではないが、恵美は今の店でもサブの一人として仕事をこなしている。他店へ引き抜かれる理由は十分にあった。
 今の代理店に入ってからずっと一緒にやってきた親友が離れてしまう可能性に、瑞希は寂しさを覚える。瑞希の複雑な身の内にも動じず、普通に接してくれる友人は何物にも代えがたい。

「あ、お久しぶりです。え、えっ、……はい?!」

 バックヤードにある電話を恵美に取次いで、先に店頭へ戻ろうとした瑞希だったが、背後で素っ頓狂な声を上げる同僚を振り返った。目をぱちくりさせながら、狼狽えた表情を見せていた恵美は、去りかける瑞希の制服のベストの腰の辺りを掴んで引っ張った。「ここに居て」ということだろうか。

「いや、無理ですって! 他に居ないんですか?!」

 受話器を握り締めながら、首をブンブンと横に振っている恵美は、瑞希が足を止めた後もずっと掴んだまま制服から手を離そうとしない。

「……いや、そうかもしれないですが。本当、無理です」

 瑞希の制服を掴んでいた手を離すと、恵美は手近にあったメモ用の裏紙にボールペンで走り書きする。

『私が店長やれ、って』

 何度も首を振って拒絶の言葉を繰り返している同僚へ、瑞希は満面の笑みで大きく頷いて見せた。彼女が店長をするのなら、今まで以上に仕事を頑張れること間違いなしだ。

『恵美なら余裕!』

 裏紙に書き足されたメッセージに、西川恵美は諦めたように大きく溜息をついた。

「せめて、店長代理とかにしてください……」
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