超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
 公園には、ベンチで語りあったり、手をしっかりつないだり、膝枕をしていたり、と随分、多くのカップルがいた。
 わあ、見ないようにしなきゃ、とまりえが心の中で慌てていると、玲一が言った。
「子供の頃、この公園で大滝とキャッチボールとかしたよ。今はカップルだらけだけど」
「そうなんですね。あの…私みたいな地味なタイプが玲一さんの結婚相手で、大滝さん、びっくりされたんじゃないでしょうか」
「何か言われた?」
「いえ。ただ意外だったと」
「それは、地味だから、とかそういう意味じゃないよ。第一、もう君は地味じゃない」
「え…」
「わかってないんだな。君はすごく…その、魅力的だ」
「社長?」
「今日だって装った君は、本当に綺麗で…正直に言う。大滝に見せびらかしたかった」
 公園の奥の木陰で、玲一は言った。濃い影のせいで、玲一の顔がよく見えない。
 まりえは戸惑っていた。玲一から綺麗とか見せびらかしたかった、なんて言われるなんて思ってもみなかった。だんだんドキドキしてくる。玲一は、じっとまりえの目を見つめた。そこには、はっきりとまりえしか見えていない、という意思表示が取れた。
 まりえは何と言えばいいのかわからなかった。
「しゃ…」
「社長はだめだ。名前を読んで」
「れ、玲一さん…」
 こんな社長、見たことない、と思いながらも、まりえは玲一の言うとおりにした。
 そうさせる熱が玲一から感じられた。
「まりえ」
 玲一の顔が、ゆっくり、まりえに近づいてくる。まりえは硬直してしまってどうすることもできない。
 そこに。ポン、とバウンドしたボールが二人の間に転がってきた。サッカーボールだ。
「あ、すみません。こっちください」
 小学生くらいの少年が声をかけてきた。玲一はぽん、と蹴って少年にパスした。
 玲一とまりえの間が少し離れた。
「帰るか」
 玲一は言って、歩きだし、まりえもそれについて行った。帰宅するまでほとんど喋らなかった。今日から三日ほど、忙しいから、あんまり会えないかもなと、言い残して、玲一は、会合に行った。
 玄関のドアを閉めてしまうと、閉じ込めていた感情が湧き出てきた。
 勘違いじゃなければ…さっきキスされそうになった…?
 思い出しただけで身体が熱くなる。この熱をどうしよう、とまりえは玄関の床に座り込んでしまった。

 翌日、まりえは買ってもらった服の中でもシンプルなワンピースを来て、会社に行った。
 会社で、ナツミとエリカに会うと、あからさまに「げ」という顔をされた。
 更衣室ですれちがうとき、二人がすかさず言った。
「あーやっぱ、ずるいお金の匂いするわあ。すごいね、もう奥様なりきりって感じ」
「ずるい奴って順応性高いから!いやーやってくれるよね。これみよがし」
 まりえは黙って制服に着替えた。ナツミとエリカにディスられるのは想定内だった。それよりもきちんとした新品のワンピースを着ている、という実感の方がはるかに勝っていた。
「好きな時に好きなだけ着ればいい」
 あの時の玲一の言葉がよみがえる。そして、玲一が顔を近づけてきたことも。
 思い出すと瞬間湯沸し器のように、かーっと頬が赤くなる。
 仕事!仕事!と昨日から、なんども再生している記憶を消す。
 そ、そうよ。社長はモテてきたんだから、キスくらい、なんてことないんだわ。
 自分にそう言いきかせて、仕事机についた。

「素敵なワンピースじゃない。若奥様って感じねえ」
 仕事帰りに、カフェで待ち合わせしていた百合が言った。百合には、百合のお陰もあってお見合いが成功し、結婚することになった事を報告してあった。そしてそれが契約結婚であることも。
「どうなんでしょう…私、ちゃんと奥さんのふり、できているのかな」
「なんで?なんか失敗でもしちゃった?」
「そういうことでは、ないんですけど」
「まあ、環境が変わったばかりじゃない。しかも契約結婚でしょう。何もかもとんとん拍子とはいかなくて普通じゃない?」
「はあ…なんていうか、想定外だったんです」
「うん」
「その…高階社長って気を遣ってくださるんですけど、それも他人行儀だったんですよね。契約結婚なんて、そういうものだと思っていたから、それはよかったんですけど。…昨日、ちょっとそれが違ったっていうか」
「ああ、キスでもされた?」
 まりえは、飲んでいたアイスティーを吹き出しそうになった。
「ななな、なんでわかるんですか?」
「だってまりえちゃんが家事全般、上手なの知っているもの。問題はそっちじゃなくて、こっちの方かなあって」
「…キスは…まだ、されてないんですけど、されそうになったというか…」
 まりえは、昨日の玲一の言動を、百合に話した。
「そりゃあ、綺麗にドレスアップした奥さんにぐっときちゃったんでしょうね」
「だって、奥さんって言ったって、仮じゃないですか。それはわかりきっているのに」
「じゃあ、まりえちゃんはどうなの?」
「えっ」
 まりえは言葉を詰まらせた。
「社長がキスしてきた、ってわかって、嫌だった?生理的に無理だった?」
「どちらかというと、頭に血がのぼって、ぼうっとしてました」
「あらら」
 百合は、コーヒーを一口飲んで、なるほど、と頷いた。
「まりえちゃんの中では、言葉になっていないかもしれないけど…社長のことを好きになりかけているのかもしれないわねえ」
「好きになりかけてる…?」
 改めて言葉にすると、とても遠い言葉のような気がした。まりえは、自分がお姫様のような扱いをしてもらってる分、お返ししなくちゃ、と思って料理や掃除を頑張った。それだけのつもりだったけれど、その折に玲一から褒められたり感謝されることを楽しみにしていた。
 恩返しのつもりが、社長を喜ばすことに夢中になってた…?
「だって」
 戸惑いを含んだ声でまりえは言った。
「誰だって、御礼を言われたり、喜ばれたりしたら、嬉しくなっちゃうでしょ…?」
「そうねえ。でも、それが、好きな人から言われたら、もっともっと嬉しいかも」
「うっ。…百合さん、面白がってる」
 うふふ、と百合は笑った。
「なんにせよ、自分って意外と正直なものよ。社長から迫れられて、嫌じゃなかったら受け入れるし、嫌だったら、拒絶すると思うわ」
「流されたりしないでしょうか…」
 まりえが小学生の頃、母の充子は、若い男のバーテンダーに入れあげていた。昼過ぎに起きてその男の世話を焼きに男の部屋に行き、それから男の店へ行く。深夜まで飲んで帰ってくる。お金は母が貢ぐばかりで見返りはいっさいなかったと思う。
 母は、はっきりと、男に振り回されていた。
 自分にも、同じ血が流れている。ひょっとしたら玲一への恋心をもう、持ってしまっていて、ちょっとつつかれたくらいで、恋の濁流に飲み込まれるんじゃ、という不安がある。
 1年で終わる結婚なのに。好きになりすぎたらつらいのは、自分だ。
「大丈夫よ、まりえちゃん、結構、潔癖なところあるから、無理に迫られたらひっぱたいてやればいいわ」
 そんなこと、できるだろうか。アイスティーが妙に甘ったるく感じた。

    ◇
< 玲一サイド >

まりえと見合いする数か月前のことだった。用事があって、実家に帰ると、母が独りで遅い朝食をとっていた。
「母さん、父さんは?」
「レオズクラブでシンガポールに行ってるわ。今頃、グッドウッドパークで美味しいハイティーでも食べてるんじゃない」
「子供の頃、連れていってもらったな。パンプティングが絶品だった。母さんも行けばよかったのに。夫人同伴もOKだったんだろ」
「嫌よ。きっとレオズの人とはべらべら喋って母さんはほったらかしにされるもの」
 容易にその情景がイメージできて、俺は、何も言えなかった。
 高階百貨店の会長、高階祐二.。俺の父だ。俺が28歳まで社長業をしていたが、俺に社長の座を譲ってからは、気楽な隠居暮らしをしている。とは言っても、百貨店のことは未だに気にかけていて、気に入らない催事や、見通しの甘い采配などがあると、きちんと意見してくる。隠居というのは、表面的なことで、本人は、実権を握っている、くらいの気持ちはあるかもしれない。
 レオズクラブは名士の集まる団体で、人脈を作るのに最適だ。高齢の男性が多いけれど、まずつきあっていて損はない。父は、そんなクラブ主催の旅行に行っているらしい。
 夫人同伴だろ、と母に言いながらも、実はそんなこと父がしないのもわかっていた。
 俺の両親は、仲がいいとは言い難い。俺が高校生くらいの頃は、よく母から思いつめた顔で「離婚しようと思うの」と相談された。
 父は女遊びも、ギャンブルもしなかった。その変わり、社長業に関わってくる人付き合いに関しては、どこまでも手を緩めなかった。今の俺もそうなりつつあるが、社長業は、とにかく人に会うのが仕事、という面がある。デパートのテナントの売り上げを見ればいいだけではなく、様々な人脈を維持して経営面に反映させていく必要がある。
 それを喜々としてやってのけたのが百貨店創業者の祖父だ。五年前に他界したが、根っからの社交好きで、祖父が築きあげた人脈は未だに残っている。祖父は、最初は長男である高階良平に百貨店を継がせる気だった。ところが、俺の叔父でもある良平は全く経営に向いてなかった。
 若い時分に、ギャンブルにはまり、百貨店の金を横領しようとした事で、経営から外された。当然の流れだが、良平は経営権を剥奪されたことを怒り、海外へ行き、それから行方知れずだ。
 祖父の社交性などは、長男の良平に受け継がれていて、祖父も期待していたが、そんな顛末になったため、残された次男の父が跡継ぎとなった。
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