超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
 父は、どちらかと言えば、内気な方だ。祖父の後を引き継ぐ、というのは半端な気持ちではできなかったと思う。自分に鞭打って、社交をし、人脈をさらにつくり、百貨店を回していった。並々ならぬ努力だったことだろう。
 しかし、無理をすると何かがおろそかになるものだ。父の場合、しわ寄せが来たのが、家庭、だった。父は俺が物心ついた頃には、はっきりと「身内には冷たい人」になっていた。
 おしゃべりが大好きで、何かと父と共有したい、と考えるお嬢様だった母は、生返事しかしない父に対して、いつも怒っていた。母の社交に関しても、父がフォローするべきところをしないので、「あなたのせいで恥をかいた」「私は、いつもほったらかし」とケンカ腰に喋るのが常だった。
 その流れで、「お父さん(裕二)は私を愛していない。離婚しようと思う」は口癖のように言っていた時期があった。実際、父の態度はあからさまで、家で父が黙って新聞を読んでいる時に、仕事の電話が入ると、人が変わったように饒舌になった。社長という仮面をつけている時だけは、「社交好き」に変身するわけだ。そんな父を見ていると、母が、「何故私にだけ冷たいんだろう」という気持ちになったのは、子供心にわかった。
 社長業を俺に継がせた後は、父も家にいることが増えた。それでも相変わらず母に対しては、生返事だ。母もいい年になって、父に期待するのを辞め、関心は俺に向けられた。
 自分で言うのははばかられるが、俺は母の自慢の息子だったと思う。母の望む高校、大学に躓くことなく入学し、まずまずの成績で卒業した。子供のころから自分が跡継ぎになる気でいたので、祖父ほどの社交性はないものの、百貨店経営には、まあまあ向いていたのだと思う。二十代は常務として父の右腕を勤め、社長にバトンタッチしてからも、業績を落としたことはない。
 結果的に、母の自慢の息子、という事になり、母が躍起になったのは、その自慢の息子の花嫁探しだった。
 高校時代、思うところがあって、自分から能動的に恋人を作ろうとしたことがなかった。高階百貨店の名前に釣られて俺を好きだと言う女性は無数にいたけれど、俺としては全く食指がうごかなかった。
 母は「あんたは仕事はできるけど、女性関係は全くダメね。お母さんが紹介してあげる」そう言って、いくつもの縁談を持ってきた。
 ところが。母の紹介してくる女性は、どれも母に、似ていた。大抵おしゃべりが好きで、明るく、そして高階の財力目当てを隠そうとしなかった。悪く言えばわがままで、「結婚したら新居はタワマンにしてね」と何度言われたことか。そういうタイプは母にとりいるのが上手かった。父にほったらかしにされている母には、べたべたと甘えてくる娘たちが可愛く、うちの嫁になってしまえば、母は寂しくなくなる、という思いがはっきりと透けて見えた。
 母からすると、「私と仲良くしてくれるいい子なのに、どうして玲一はダメなの」と釈然としないらしかった。
 俺は、十代の頃に「母が離婚する」と騒いでいたのを見てきたせいか、母のようなタイプと結婚する気がなかった。父ほどではないが、やはり社長業というのは大変で、それを理解して寄り添ってくれる落ち着いた女性と結婚したかった。
 母の紹介するお嬢様たちは、俺の理想とはかけ離れていて、とても彼女たちが気に入る対応はできなかった。母は、バイタリティがあるので、俺が断っても、断っても縁談をもちかけてきた。
 さすがに辟易して、もう縁談はよしてくれ、と言おうとしていた矢先、持ってこられたのが竹岡まりえとの食事会だった。
 今回は、いつもと違って、仕事の好きなお嬢さんよ、と言われたが、俺はまったく期待していなかった。仕事ができても、高階の知名度に惹かれているのは間違いないだろう。今度は何をねだられることやら、と辟易しながら料亭『柊』に行った。『柊』の料理は美味い。だが普段は、会合と接待ばかりで、『柊』に行くこともなかった。だから俺は『柊』目当てで行ったようなものだった。
 果たして。目の前に現れたのは、ワンピースを着て、薄化粧をした竹岡まりえだった。
 女性のファッションはよくわからないが、落ち着いた装いで、悪くなかった。だが、きっと口を開けば、うちの財力目当てというのがわかることだろう。
 まりえは、ほんの少し喋った後、SNS用の写真も撮らずに食べることに夢中になった。
 普通、お嬢様というのは料亭の懐石コースなんて食べ飽きていて、そんなに喜ばないものだ。ヘルシーでダイエットにいいわ、くらいのことだ。なのに、まりえは、目をきらきらさせて箸を進めている。
 きついダイエットしていて断食明けとか?と訝しがっていると、まりえが大声で言った。
「お刺身、美味しいっ…!」
 俺は思わず吹き出してしまった。それは過剰な演技だろうと思ったのだ。ところが、まりえの話を聞くとそうではなかった。
 まりえは中流家庭のお嬢様なのだろう、と思っていたが、それは全く違っていた。聞くと、実家が貧しく、スーパーの半額シールのついた惣菜を買えなかった、と言う。
 少なからず心が動いた。そんな女性と食事をしたのは初めてだった。そして、貧しいのはどうやら彼女の母親のせいらしいのだが、彼女の口からはそんな母への黒い気持ちは語られなかった。
 お金がなくて大変だったと言うものの、母親に対する愚痴や呪いの言葉はなかった。
 不思議な女性だ。自分が貧しいのを、お酒の席のネタにしてください、と言って笑う。
 単純にすごいな、と思った。もしも、俺が彼女の立場だったら、そんな風に笑えない。母を憎み、世間を憎み、笑うことを忘れそうだ。
 彼女の話を聞いている内に、俺は言葉を失った。彼女の経済状況を見抜けなかった自分の甘さが恥ずかしかった。
 そして、目をきらきらさせて「柊」の料理を食べる彼女を見ていると、他にもいろんなものを食べさせてあげたい、彼女とする食事はいつも新鮮で楽しいだろう、なんてことを考え始めていた。
 彼女は、俺が見合いしてきたお嬢様とは一癖も二癖も違う、地に足のついた女性だ。
 母によると、仕事もできるという。確かに喋っているとそれがわかる。無駄なことは言わないところがいい。
 段々、俺が求めているのは、こんな女性じゃなかったか、と思うようになってきた。
 たった一度の会食で結婚を決めるのは軽率だろうか。だが、こんな女性には二度と会えないだろうという予感があった。
 気が付くと、俺は彼女に『柊』の庭のベンチで、契約結婚しないか、と持ちかけていた。
 結婚ではなく、契約結婚にしたのは、やはり、お試し期間が欲しかったからだ。彼女にも言ったように、自分が結婚生活に向いているか確かめたかった。
 それには、母が連れてきていたような我儘娘では嫌で、彼女のように落ち着いた、生活力のある女性が望ましかった。急な話に聞こえるだろうが、ここで手を打っておかないと、きっと後悔する。
 彼女の家庭ごと経済的援助をするのを条件にすると、彼女は当惑していた。
 しかし、夢であるウェディングプランナーの養成所に通える、と言ったのが、彼女の背を押したようだった。
 彼女は、戸惑いながらも、俺の提案に乗った。
 俺は、母の縁談攻撃から逃れられることと、彼女との新生活がはじまることに、少なからず喜んでいた。

 彼女との結婚生活が始まった。ちょっとしたものを買い与えるだけで、彼女はとても喜んだ。それも他の我儘お嬢様とは違う点だった。お嬢様は与えらえることに慣れていて、返ってくる「ありがとう」は口先ばかりで薄っぺらかった。なんでも当たり前と思っている様子に俺は幻滅していた。
 だが、彼女は、そんな俺の女性へのイメージをどんどん塗り替えていった。
 お金はたっぷり渡しているのに、必要最低限のものしか買わない。ただ俺に作る料理はそれなりにお金をかけようと思っているらしく、食べ応えのある朝食が並ぶ。それも、俺が二日酔いの日にはあっさりしたもに変わる。人をよく見て動くというか、勘もいいのだろう。俺が食べたいと思っているものがテーブルに並ぶ事が多い。
 さらに、広いマンションなのに、掃除も完璧だった。俺が寝ている早朝に起きて、やっているらしかった。その物音で起きたことはないから、気遣ってそっとやってくれているのだと思う。
 自分の仕事だってあるから大変だろう、と言うとけろりとして、
「いえ、これくらいは」
 と微笑む。無理していたり、いやいやなら、絶対に止めさせていたけれど、彼女は楽しそうだった。聞けば、「掃除するたびに、こんな豪邸に住んでるんだって実感がわいてきて楽しくなっちゃうんです」と言う。その言葉に嘘はないようだった。
 俺は舌を巻いた。我儘お嬢様だけでなく、俺もまた与えられることに慣れている。なので、もし俺が彼女の立場になったら、遅くまで起きている俺がうとましいだろうし、金なんかもっと欲しいとごねるだろう。
 彼女との生活は、予想以上に快適だった。俺は夜は会食が多いので、一緒に過ごすことはないが、朝食だけは一緒にとった。彼女の作るうまい朝食とおしゃべり。彼女は饒舌ではなかったが、「いいこと」を見つける天才だった。
「トマトが新鮮でつやつやだったんです」「朝焼けがバラ色で、夢のようでした」「鉢植えのポトスが今日も元気なんです」彼女の言葉たちで、俺の殺風景だった部屋が色づいていく。
 色鮮やかになったことが、もう一つあった。
 彼女の外見だ。見合いの時は、先輩からの借り物の服と化粧なのだ、と笑っていたが、俺にはそんな風に見えなかった。充分、綺麗なレディに見えていた。
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