超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
 まりえは、ルイの誘いに応じるメッセージを送信した。

 日曜日の朝、知人の息子さんの結婚式へ行く玲一を見送った。きりっとフォーマルスーツを着た玲一は今日も素敵だった。
 けれど。いつもの頭ぽんぽんもなく、最近はキスも体を重ねることもしていない。
 会話をすれば、普通の玲一なのだが、やはりどこか上の空で、時折考え込んでいる。
 どうしたんだろう。何かあったのかな…
 そう心配するけれど、まりえが踏み込んでいいのかわからない。こういう時、どうしても互いに干渉しない契約結婚であることが枷になってくる。
 気持ちがグレーなまま、ベージュに刺繍をあしらった、比較的大人っぽいワンピースを選んで着た。これから会うルイがきっとゴージャスな装いでくると思ったので、できるだけ見劣りしないように、と思ったのだ。
 午後2時。まりえはルイから指定されたティールームに来た。壁一面がガラス張りで、通りを行きかう人々が見えるようになっている。
 冷房が効いているので暑さは感じなかったが、夏の日差しがまぶしかった。
 席についてルイを待っていると、数分後、ルイがやってきた。
「おまたせ。まりえさん」
「いえ、私もさっきついたばかりで」
 ならよかった、とルイが向いの席に座った。ルイは明るい茶髪の巻き髪はこの間と一緒で、今日は紫色のツーピースを着ていた。スカートがロングタイトで脇にスリットが入っている。靴は白いハイヒールだった。
 大人の女性、という形容詞がぴったりな装いだ。
 まりえは、自分が急に幼く感じた。お互いにコーヒーを注文し、ルイが言った。
「ここのティールーム素敵でしょう。以前、患者さんだった人が経営してるの」
「患者さん?」
「あ、言ってなかったわね。私、高校では玲一と一緒だったけど、大学は違うの。M大の医学部。今は、美容整形のクリニックをやってるわ」
「お医者さん、だったんですね」
「まあね。玲一は高校時代から、自分の稼業を継ぐつもりだったし、私も開業医になりたかったから、よく経営論なんかを語り合ったものよ」
 そうなんだ、とまりえは思った。まりえの知らない玲一を、ルイが確実に知っているわけだ。
 小さな染みができるように、わずかに嫉妬心が芽生えた。
「玲一、ほかの皆には言えないことも、私には言えたみたい。そりゃそうよね、周りが恋とか音楽とか部活に熱中しているときに、経営の話なんてなかなかできないもの。そういう意味では、とても気があったわ」
 まりえはこれにもそうなんですか、としか答えようがなかった。
 小さなしみがじわじわと大きくなっていく。
「私の話はこれくらいね。ねえ、どうやって玲一と知り合ったの?お見合いのきっかけは?」
 まりえは、大滝に話したように、玲一の母がとりもってくれたことを話した。
「なるほどね…玲一が見合いを嫌がってたのは聞いていたけど。お母さまがすっかりあなたのことを気に入ったってわけね」
「お母さまには、私も感謝しているんです。人生が変わるきっかけをくださったので。だから、今、すこしでも恩を返したくて…でも、私には家事くらいしかできることがなくて」
「家事?家政婦さんじゃなくて、あなたがやってるの?」
「は、はい。家事は好きなので、やらせてもらってます」
「ああ…そう。そういうことなのね」
 深く合点がいった、という風にルイが頷いた。
 ルイはコーヒーを一口すすると、目を伏せ、少し間を置いてから、まりえの目をみつめた。
「まりえさん、実は私、高校の頃、玲一とつきあってたの」
「えっ」
 まりえの胸の内が、びくん、と跳ねた。
 大滝が言っていた、高校時代、玲一が唯一入れ込んでいた彼女がいたと。まさか、その女性がルイなのだろうか。
 玲一の話だと、その彼女以外、玲一から率先して彼女を作ったことはなかったはず。
 映画館や水族館に行った時、一緒に行ったのはまりえが初めてではない口ぶりだった。
 その人が…この、ルイさん。
 改めてまりえは、ルイを見つめた。ルイはゴージャスなだけでなく、知性も感じさせる。落ち着いた話し方で、玲一と仕事の話だってできるだろう。
「今ね、私、変な男に言い寄られていて、困ってるの。それで、最近よく玲一に助けてもらってるのよね。最近、玲一帰りが遅くなかった?そのせいなのよ。その男から守ってもらうように、うちまで送ってもらったりして。そのままうちに寄ってもらったこともあるわ」
 まりえは、目を見張った。玲一の帰宅が遅いのはいつものことだ。仕事が忙しい、そう理解していたのに。
 玲一さんが、私の知らないところで、この人と会っていた…?
「でも、玲一さんは、そんなことひとことも」
 あはっ、とルイは笑った。
「そりゃあ、奥さんにそんなこと言えるわけないじゃない。高校時代の彼女とまた付き合いだした、なんて」
「つ…!」
まりえは絶句した。そんなはず、と否定したいけれど、ここ最近の玲一の上の空状態を思い出すと辻褄があってしまう。
「実は、私、玲一に今度、靴を贈ってもらうことになっているの」
 ルイは誇らしげに微笑んだ。
「あなた、靴屋さんにお勤めだったんでしょう?これがどういうことか、わかるわよね?」
 まりえは、ごくりと息をのんだ。
 靴を愛する人に贈ること。「これからの人生を一緒に歩んでいけるように」というプロポーズを意味する。まりえは、玲一に服は買ってもらったが、靴はまだだった。普段使っているのは自分で買わせてもらったものの一つだった。
「玲一もシャイなところがあるのよね。こんな形でプロポーズしようとするなんて。可愛いと思わない?」
「プロポーズって…でも、玲一さんは、私と結婚をしていて」
「あら、今までの玲一を知っている人間なら、結婚三か月で離婚したって、誰も驚かないでしょうね。あれだけお見合いをつぶしてたんだから」
「そんな…」
「納得できない?玲一はね、お金のかからない、身の回りの世話をしてくれる女性がほしかっただけよ。お金持ちのお嬢さんと結婚しても、お金なんか出ていく一方、さらに家事なんてできないのもよくあるパターンよ。それを考えたら、あなたみたいな女性が適任でしょ」
 確かに、玲一は地に足のついた女性と暮らしたかった、と言っていた。
「でも、私が玲一と結婚したら、もちろん家事だってやるし、仕事の話のサポートだってできる。同じ経営者同士だから、どうしたって話は合うのよ。あなたは家事でしかサポートできないけど、私は玲一のメンタルまでケアできるわ」
 ルイが言葉を重ねれば重ねるほど、自分が玲一にふさわしくない気がしてくる。
 喉がからからに乾いていた。
 まりえの知らないとことで、玲一はルイと会っていたのだろうか。
 そして、ルイさんにプロポーズをしようとしている…。
 まりえとの契約結婚は、玲一が自分が結婚に向いているか確認するためのものだったはず。
 玲一さんは、私と結婚生活を送って、想像よりも結婚に向いているのがわかった。
 それで…以前から特別に好きだったルイさんと改めて結婚することにした。
 ルイが差し出した筋書きがリアルに迫ってくる。ありえない話じゃない、という気持ちがじわじわとやってくる。
 ルイはにっこり笑って言った。
「玲一、あれで結構、情が深いから、自分からは別れを切り出さないと思うわ。あなたから別れてね。うまくいったら連絡ちょうだい」
 それじゃあね、ルイは席を立って行ってしまった。
 まりえは動けず、空席になった向かいの席をじっと見つめていた。

 夕飯の買い物をしなくてはいけないのに、何も頭に浮かばない。胸の内に重い鉛の玉が沈んでいるかのように気持ちが重い。
 どうすればいいかわからないが、とにかく玲一の部屋に戻ろうと思う。
 信号を渡りかけたところで、まりえのスマホに着信があった。
 玲一からかもしれない、とさっと電話に出る。
「玲一さ…」
「あら、まりえさん、私よ」
 玲一の母だった。
「まりえさん、悪いんだけど、うちに玲一の忘れ物を取りに来てくれない?私ちょっといそがしくて届けられないのよ。仕事の書類だから玲一も探してると思うし」
「は、はい…」
 気持ちが沈んでいる今、玲一の母に会うのは気が引けたが、玲一の忘れ物なら取りに行ってあげたかった。
 気持ちをできるだけしゃんとさせて、玲一の実家へ向かった。結婚の挨拶をしたり、何度か玲一の母と玲一の三人で食事をしたこともあるので、道は覚えている。
 玲一の実家である豪邸のドアを開けると、玲一の母がぱあっと顔を明るくした。
「まあ、まりえさん、よく来たわね。もっとうちに遊びにきてちょうだいよ。玲一抜きで来てくれたったいいのよ」
 沈んでいた気持ちに、義母の寄せてくる好意が沁みた。思えば、この人がとりもってくれなければ、玲一と暮らすこともなかったのだ。
 今は、ルイさんのことは考えずに、いい嫁として振舞いたい。まりえはそう思った。
 リビングに案内され、革張りのソファに座るよう言われた。義母が命じて、家政婦がさっと紅茶とお菓子も用意してくれる。
「あー、やっぱり女の子はいいわね。来てくれるだけで華やかっていうか。それに、まりえさん、ずいぶん垢ぬけたわね。お化粧も上手になってるわ」
「いえ、そんな…」
 ルイのことがなかったら、とてもうれしい言葉のはずだった。今は、あいまいに微笑むことしかできない。
「最近、私、じっくりお化粧なんかできなくて。やっぱり病人を抱えていると、何かと忙しいわね」
「え?どなたかご病気をされてるんですか?」
「あら」
 義母が意外そうに目を丸くした。
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