超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
 中学高校の頃には、母と暮らしている以上、幸せな結婚なんてできそうにない。そう確信していた。結婚を夢見るには、心のゆとりが必要だった。毎日、生きること食べることに精一杯で、そんなものは持てなかった。
 ただ、結婚式を悪いものとは思えず、いつしかまりえは、ウェディングプランナーを夢見るようになった。
 結婚式の裏方なら、結婚してなくてもできるもの…それをいつかやってみたいと思うくらい、いいわよね…。
 そんな風に思っているまりえなので、百合の結婚式を楽しみにしていた。百合の花嫁姿を見て祝福したいし、どんな内容の結婚式なのか興味津々だったのだ。
 式は、順調に進んでいった。百合は、予想通り、とても美しい花嫁だった。肩の出たマーメイドラインのドレスが、よく百合に似合っていた。横に並ぶ新郎の旦那様も穏やかな雰囲気で、百合を見つめる目が優しかった。
 大野靴店の事務所で、百合とはよく一緒にお昼ご飯の弁当を食べた。まりえが貧相なお弁当しか持ってこれないのを察して、デパートで買ったスイーツを食後のデザートに、と分けてくれた。
 お菓子なんて滅多に食べれないまりえは、こんなに美味しいものがあるのかと驚いた。
「すっごく美味しいです…!」
 心の底から感動して言うと、百合は嬉しそうに笑った。
「そんなに喜んでくれると、また買ってきたくなっちゃう」
 まりえは恐縮して、申し訳ないです、と言うと百合は、うふふと笑って、またスイーツを買ってきてくれるのだった。
 そんな楽しい時間も、もうなくなるんだな…
 寂しさを感じていると、式は終盤にさしかかり、花嫁から両親に花束を渡す感動的なシーンとなっていた。
 百合の両親であるらしい初老の夫婦は、ぽろぽろと涙を流していた。百合も、こらえきれず、涙を目にあふれさせていた。
 まりえは思わずもらい泣きしてしまった。あんなに優しくて素敵な百合のことだ。結婚することで、今よりも、さらに幸せになるだろう。そう思いながら。
 式が終わって、化粧室に行き、個室トイレに入っていると、聞きなれた声が聞こえた。
「あー、退屈だった。結婚式って長すぎない?」
「そうよねー、あんまり人の結婚式って興味ない。自分のだったら別だろうけどぉ」
 ナツミとエリカだった。忘れていた、この二人も今日の式に出席していたのだ。百合の配慮で、席を離してくれていた。
「ねえねえ、それよりマリセン見た?」
 まりえ先輩だからマリセン。自分の事だとわかる。
「見た―。すごいね。どうやったらあんな最低のスーツ見つけてこれるの。ドレスじゃなくても、あれはないっしょ。うちがド貧乏らしいけどお、いやー、ちょっと勘弁してほしいわ」
「ねえ。やばいよね。毎日、事務所で顔合わすじゃん。やだなー貧乏菌うつりそう」
「マジそれよ。はやく辞めてくんないかなー」
「ダメだよ。あいつ、専務のお気に入りだもん。取り入るのうまいよねー」
 専務というのは、事務所の所長、大野譲のことだ。五十代の男性で、仕事の早いまりえの腕を買ってくれている。そして、『竹岡さんのすっぴんは、清潔感があっていいなあ』などと言うので、化粧の濃いナツミとエリカの逆鱗に触れたのだった。
「そうなんだよね。これみよがしのすっぴん。汚いよね、やり方がさー」
 個室で聞いていたまりえは、「わざとじゃない!お金がないだけ!!」と叫びたかった。だが、そんなことを聞き入れる二人じゃないのもわかっている。
 結局、二人が化粧直しを終えて、化粧室を出て行くまで、まりえは個室から出ていけなかった。
 せっかく百合の結婚式を見て、感動していたのに…ふわっと浮きたった気持ちをぐしゃりと握りつぶされたようだった。
 アパートの部屋に帰れば、母から「一日中、遊び呆けて!あたしのことはほったらかしかい」などと言われ、たまった家事を押し付けられるのは間違いなかった。
 個室から出たまりえは、鏡の前に立ち、口角をあげて笑ってみた。
 お峰さんは、「困ったら笑顔になってごらん」といつも言っていた。
「笑顔になっても…なかなか変わらないね、お峰さん」
 まりえは呟き、鼻の奥がつんとするのをぐっとこらえた。

 百合のいない大野靴店経理事務所での日々が始まった。相変わらずパート二人組は、まりえをディスるのをやめない。顔を合わせると、なんのかんのと嫌味を言ってくる。
 救いだったのは、百合の分の仕事が増えたせいで、そんな小さなことには関わっていられなくなった事だった。忙しくしていると、一日は、あっという間に過ぎる。百合とちょっと喋って笑ったり、一緒にお昼を食べれないのは明らかに寂しかったが、それを嘆いても仕方ないのだ、と言い聞かせた。
 事件が起こったのは、そんな慌ただしい日をこなしていたある日のことだった。
「悪いね、竹岡さんも、本店に行って手伝ってきてくれないか」
 大野専務が困り顔で、まりえにそう言ってきた。大野靴店の本店は、事務所から歩いて五分の高階デパートの二階にある。テナントとしてフロアの半分を占めていて、大野靴店は他にも支店があるが、本店の売り上げは群を抜いている。やはりデパートの集客力は侮れない。三連休前の金曜日で、想定以上の集客があり、本店の人出が足りないから、接客を手伝ってほしい、と言うことだった。今までにもそういうことはあった。もうすでにエリカとナツミも駆り出されている。
「…わかりました。行きます」
 正直、接客には慣れていないので、苦手意識がある。それに、今までは百合と一緒に行っていた。今日は一人で頑張らないといけない。やれるだけ、やってみよう、と自分を鼓舞して本店へ向かった。売り場は明らかに客が多く、盛況だった。
「ありがとうございました」
 二足も買ってくれたお客様に頭を下げ、商品を渡して見送った。
「竹岡さん、その調子。頑張ってね」
 売り場のチーフの女性が声をかけてくれた。まりえは客に言われるまま、客のサイズの靴の在庫を探し、丁寧に対応しただけだった。視野を広げれば、いい人は百合だけじゃないのかもしれない…そんなことを思った瞬間。
 売り場の奥の方で、うずくまっている女性がいるのに気づいた。
 まりえは、慌てて駆け寄った。棚の陰になっていて、気がついたのはまりえだけだった。
「どうされましたか」
「ちょっと…胸が…」
 六十代くらいのシンプルなワンピースを着た白髪交じりの女性だった。相当苦しいのだろう、声も小声でかすれている。 
 まりえは、女性のトートバッグが足元にあるのに気づいた。水のペットボトルが入っているのが見えた。
「お水、飲まれますか」
 女性は、青白い顔で頷いた。水を口にすると、少し落ち着いたようだった。
「かかりつけの病院に行きたいから…タクシー呼んでくださる?」
「わかりました」
 さっき言葉を交わした売り場のチーフに言うと、デパート前のタクシー乗り場よりも比較的ここから近い裏口にタクシーを呼んでくれた。まりえはチーフに言った。
「タクシーに乗るまで、一緒にいてさしあげたいのですが、いいですか」
「そうしてちょうだい。…様に大事があったらいけないわ。よろしくね」
 …様?よく聞き取れなかったけれど、きっとお得意様なのだろう。まりえは、具合の悪い女性客の手を取り、肩をかして、なんとか裏口にたどり着いた。女性客は、息が切れていて、まりえはかなり心配した。裏口の近くの化粧室に行って、ハンカチを水で濡らしたものを手渡した。女性は額に汗をかいていたからだ。女性は、タクシーに乗り込み、ハンカチを額に当てて、ほっと一息ついた。
 そして、心配げにタクシーの外側から覗き込んでいたまりえに向かって言った。
「ありがとう。助かりました。お嬢さん、お名前は?」
 まりえは、え、と戸惑ったが、問われるまま答えた。
「竹岡まりえです」
「大野靴店の竹岡まりえさんね。覚えておくわ」
 具合がこれ以上悪くなりませんように、と祈りながら、まりえはタクシーを見送った。

 数日後。まりえがいつものように、事務所で経理の仕事をやっていた時のことだった。
「竹岡君、ちょっと」
 大野専務が机から立上り、まりえを手招きした。はい、と返事をすると、応接室へ促された。こんなことは初めてだったので、思わず身構えた。
 私、なんか怒られるようなこと、やっちゃった…?
 まりえは、身構えたが、大野専務はにこやかで、嬉しそうですらある。
 何なんだろう…応接室に入ると、まりえは「あっ」と驚いた。
「おつかれさま。竹岡さん。この間は、ありがとう」
 応接室のソファーに座っていたのは、先日のデパートで具合の悪くなったあの婦人だった。まりえを見つめ、微笑んでいる。まりえは思わず問わずにはいられなかった。
「とんでもないです。あの後、お加減はいかがですか」
「もうすっかりいいのよ。あの時、さっと病院に行けたのがよかったみたい」
「そうでしたか…」
 まりえもどうなっただろうと心配していたので、ほっと胸を撫でおろした。
 ただ、さっきから気になっていたことがあった。今日の女性の恰好が先日とは違っていた。シンプルなワンピースにトートバッグというカジュアルな服装だったので、お得意様かな、くらいにしか思っていなかった。
 しかし。今日の女性は、あきらかに一流品のスーツを身にまとっていた。高級な服を見慣れないまりえにもわかるくらい、上誂えのものだった。
 お得意様どころじゃない、超お得意様だわ…
 まりえが見入っていると、女性は微笑んで言った。
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