超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
「まりえ。結婚早々、こんなことになってすまない。こういう現状だから、君の経済的援助はできなくなった。君の結婚のメリットはなくなったんだ。…俺と、離婚するか?」
 まりえは戸惑っていたが、大事な局面だ。思っていることをちゃんと言うことにした。
「…わかりません」
「ん?」
「あの、百貨店の閉店と、どうして離婚が結びつくんですか?」
「だから言ったろう、君の経済的援助はできないと」
「それは、わかりました。百貨店を閉店するって、収入がなくなるってことですよね。でも、お金って働けば稼げるものでしょう?贅沢はできないかもしれないけど、難病や事故にあって働けなくなったって場合とは全然ちがう。
 玲一さんは、仕事ができる人だと思っています。いくらでも仕事で再チャレンジできるでしょう。私も、できる限りサポートします。共働きなんて、当たり前です。一生相手を大事にする…結婚ってそういうものでしょう?」
 玲一は、口をぽかんと開けた。義父が神妙な顔で言った。
「じゃあ、あんたはこのバカ息子と添い遂げるつもりかね」
「はい。何があっても玲一さんと一緒にいます。その覚悟ができたのは最近ですが」
 玲一から本物の夫婦になろう、と言われた時、まりえの気持ちは決まっていた。今後何が起ころうと、この人について行こう、と。
「…ありがとう、まりえさん」
 義父が胸をつかれた顔をして言った。
 一瞬、しんとした空気を破ったのは、ぶはっ、という玲一の笑い声だった。
「ははは…やっぱり、俺の見込んだ通りだ」
「何笑ってる。それどころじゃないだろう」
 義父が怒りをにじませた声を出した。
「すまない父さん。今、話したのは全部嘘だ。RITSUKO、華屋、虎丸もハイブランドだが、新商品の開発で顧客を増やしてる。業績は右肩上がりだよ。当分、閉店する必要はない」
「どういうことだ。親をだますなんて」
「父さん、これが俺の『証明』だよ。うちの百貨店が閉店しても、俺と離婚する気もない。それどころか、自分も働いてサポートしてくれると言う。こんな女性なら、俺の結婚相手にふさわしいだろう。親父も少なからずまりえの言葉に感動してただろ」
「お、親をからかいおって…!」
「忘れてもらっちゃ困る。嫁にふさわしいか証明してみせろって言ったのは父さんだ。だからひと芝居打たせてもらっただけだ」
 義父は難しい顔をしていたが、はあっと溜息をついた。
 それから、まりえを見た。
「まりえさん。こんなとんでもない息子だが…どうかよろしく頼むよ」
「はい。私は、玲一さんが、大好きです」
 玲一は、まりえの隣で、満足そうに微笑んでいた。
「…ふむ。私も、まりえさんを見習って少しは妻を労わるかな」
 義父の言葉に、玲一が目を丸くした。
「母さんも、そんなに簡単に丸め込めるとは思わないけど…それは、母さんがずっと願ってたことだ。これまでの不義理が許されるまで、頑張って労り続けてくれよ」
「そうだな。自分が入院して初めて痛感した。最後に残るのは家族だ。退院したら母さんを温泉にでも連れて行ってやるかな」
「きっと喜ばれると思います」
 まりえが言うと、玲一も頷いた。玲一が言葉にしなくてもとても喜んでいることを、まりえは感じ取った。

「私が離婚するって言うかも、とは思わなかったんですか?」
 病院からの帰りの車の中で、まりえは訊いた。
「まりえは俺と本物の夫婦になると決めてくれた。だから今日みたいな展開になると踏んでたんだよ」
 なんだか見透かされて悔しい気がした。でも、あの時、玲一の人生のピンチを悟ったまりえは、自分のウェディングプランナーの仕事のことも忘れて、玲一のサポートをしよう、と自然に思えた。自分でも驚くほど、それは揺らがなかった。
 私、自分で思っている以上に…この人のことを大切に思ってるんだわ…。
「あっ、ひょっとして玲一さんが上の空だったのって、このお父さんの『証明』のことを考えてたんですか?」
「実はそうなんだ。どうすればいいか、思いつかなくて。随分、悩んだんだが…田代の事件のせいで、『脅かす』っていうキーワードが浮かんだんだ。それで、今回の芝居の筋書きができた」
「何がヒントになるか、わからないですね」
 そんな流れがあったとは。まりえも、思いがけなかった。
 車の窓の外では、街路樹が夏の日差しに照らされてきらきらと輝いていた。
 今日みたいな日も、またいい思い出になるだろうな、そう思っていたところで、玲一が言った。
「まりえ。ひとつ提案があるんだが」

 10月。
 結婚式の準備を始めて、あっという間に式の当日になってしまった。玲一の父と初めて会ったあの日。玲一は結婚式をしよう、と提案してくれた。お世話になっている方にきちんとまりえを紹介したいし、何より俺がまりえのウェディングドレス姿を見たいんだ。そう言ってくれたのだった。
 まりえは、自分が結婚式の主役になれないから、ウェディングプランナーの道を選んだところがあった。しかし、人生はどう転ぶかわからない。
 招待客が膨大な人数の大きな結婚式の主役に、今日なることになってしまった。
 まりえは控室で、鏡の中の自分を見た。
 マーメイドラインのシンプルなドレスを選んだ。ドレス選びには仕事で忙しいのに、玲一も来てくれた。二人とも、このドレスにしよう、と意見が一致したのだ。
 ドアのノックが響き、まりえはどうぞ、と言った。
 白のタキシードを着た玲一が、まりえのそばにやって来る。
「玲一さん、とっても素敵」
 もともとスーツの似合う玲一だが、白のまぶしさが玲一の魅力を増していた。
「なんがか気恥ずかしいよ。まりえは、そのドレスにして正解だったな、よく似合ってる」
 まりえは気持ちがふわっと上向いた。誰に言われるよりも、玲一にそう言われるのが、一番嬉しい。
「それにしても、今日の結婚式は、自分が出るだけじゃなく、まりえの仕事の腕前を見せてもらえるな」
「腕前ってほどじゃないけど…でも、精一杯やりました。後はスタッフの皆さんに頑張ってもらうしかないです。ありがたいです。プランナーとしてはまだまだな自分の意見をくんでもらって」
 そう、まりえはこの自分の結婚式のプロデュースを任せてもらったのだ。初めて請け負った仕事が、自分の結婚式になってしまった。
 それは、嬉しい誤算だった。やりがいがあり、昨日の前日まで打合せをしっかり重ねた。
 あとチェックすることは…などと考えていると、また控室のドアがノックされた。
 母充子が、ぬっと現れた。ヒョウ柄のスーツなんて着てきそうだったので、まりえは、充子のフォーマルスーツも用意した。シンプルなデザインで、美容院にも行かせたので、それなりにきちんとした外見になっている。いつもジャージを履いてる普段の恰好はうまく隠せている。
「ふん。孫にも衣装じゃないか」
 にやっと笑って充子は言った。さすがに今日、あれこれと口をはさむ気はないらしい。
「…お母さんに、今日言いたいことがあったの」
「なんだい、あらたまって」
「私、玲一さんと暮らすようになって、気づいたことがあったの。中学時代が終わるころ、お峰さんが亡くなって。それからすぐ、お母さんは男の部屋に行かなくなった。結局昼間はパチンコに行くから経済的に大変なのは変わらなかったけど…夜、出かけなくなったのは、私のため、だったんでしょう?」
 充子は、少し目を泳がせてから言った。
「ちょうど男と切れたところだったんだ。…でも、あんたはあのばあさんがいなくなって、ちょっとほっとけないくらいへこんでた」
 やっぱり、とまりえは深く頷いた。
「お母さんには、理不尽なこと、たくさんされたけど…それでも、私のお母さんだわ」
「何、当たり前のこと言ってんだい」
「だから。週に一回は掃除しに行ってあげる。お金の管理もね。このままじゃ、またお金に困りそうになるのは目に見えてるもの」
 充子の手の指にはいくつも高価そうな指輪がはめられていた。
「…ふん。勝手にすればいいだろ」
 憎まれ口をたたきながらも、充子は嬉しそうだった。充子はもともとさみしがり屋だから、男に入れ込む傾向があった。いい年をして、かまってちゃんなのだ。
「まりえ、ますます忙しくなるな」
 穏やかなまなざしで玲一は言った。玲一にも母の所に行く了承は得ていた。
 ウェディングプランナーの学校の後、3時間ほど結婚式場でのアルバイトも始めた。現場の空気を知ることが、すごく勉強になっている。
 玲一の夜食づくり、手のこんだ朝食づくり、もろもろの家事もきちんとやる。それに、母充子のところに行くことも加わった。
 忙しくなりそうだけれど、まりえは嬉しかった。自分を必要としてくれる人がたくさんいて、期待されたことをやりぬく喜びを知ってしまった。
 傍らに立つ、玲一を改めて見る。
 あの日、玲一さんと出会ったことで、こんなに人生が変わってしまった…もう、空っぽに近いお財布を見て溜息をついていた自分じゃない。
「玲一さん、ありがとう。今の私があるのは、玲一さんのおかげだわ」
「何言ってる。まだ式はこれからだ。感激するのは、早いよ。それに」
 玲一は、まりえに近づき、耳元でささやいた。
「今夜は、寝かせないからな」
 まりえの頬がぼっと赤くなった。
「わあっ、まりえちゃん、きれい!玲一さんも恰好いいわあ」
 控室に飛び込んできたのは百合だった。このところ忙しくて百合とお茶する暇もなかった。
「百合さん、会いたかったあ」
「私も!落ち着いたらスイーツ食べに行こうね」
 他にも玲一の親友、大滝もやってきた。式の前に、控室だけで大盛り上がりだ。

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