超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
「お店のスタッフに聞いても、竹岡さんはこのフロアにいません、なんて言われて焦ったわ。この事務所からお手伝いに来ていたのね。だからこうして御礼に来るのが遅れてしまったの。ごめんなさいね」
「いえ、そんな」
 わざわざ御礼を言いに来てくださったのだ、とまりえは恐縮した。気の利く言葉を探すが出てこない。顔を固くしたまりえに、大野専務がくすり、と笑った。
「そうか、竹岡さんは知らなかったんだね。この方は、高階会長の奥様なんだよ。よくうちの店にふらりと立ち寄ってくださるんだ。奥様、いつも本当にご贔屓にありがとうございます」
 高階婦人に、身体を向きなおして、大野専務が頭を下げた。
「いいのよ、いいのよ。たまのショッピングがウォーキングがわりなの。改まった恰好をしていくと、店員さんが私にばっかり構うでしょ。店員さんには、私より、うちのデパートのお客さんに対応してもらいたいわけ。だからカジュアルで行くんだけど」
 高階会長の奥様で、うちのデパートって…つまり…
 高階デパートの経営者の奥様ってこと?!
 まりえは、口を開けて驚いてから、慌てて頭を下げた。
「大変失礼しました。私、存じ上げなくて…」
「いいのよ。私も、お忍びでふらふらしたいもんだから、比較的店員さんの少ないところでゆっくり靴を見ていたの。そしたら、年のせいかしらね、具合が悪くなってしまって。病院でみてもらったら、狭心症の一歩前だったわ。竹岡さんが見つけてくれなかったら入院してたかも。ほんとうに助かったわ」
「竹岡さんは、うちの経理の仕事もよくやってくれてるんですよ。一人、この間結婚退職したんで、二人分働いてくれてます。愚痴も言わずに、黙々とね」
「いえ、そんな。まだいっぱい、いっぱいで」
 褒められ慣れていないまりえは、身を縮めるしかなかった。
 そんなまりえに、高階婦人が、にっこりと微笑んだ。
「そうでしょうね。慌てずに対応してくれてたから、きっと仕事もできるんだと思ってたわ。そんな竹岡さんにね、今日は御礼だけじゃなくて、お願いがあってね」
 お願い…私なんかに?と、まりえは戸惑いを覚えた。
「実は、うちの息子がなかなか結婚しなくてねえ。あれこれ世話するんだけど、どこのお嬢様でも、うんと言わないの。仕事ができるのは我が息子ながら認めているけど、女性関係は、からっきしダメね。縁談がまとまりかけたことすらないのよ。どうもいかにもお嬢様然としている女の子が苦手のようね。そこで、竹岡さんにお願いっていうのはね、うちの息子とお見合いしてくれないかってことなの」
「すごいな、竹岡さん。見染められたら、社長婦人だよ。いいお話じゃないか」
 まりえよりも、先に大野専務の方が反応した。
 まりえは、頭が追いつかない。お見合い…私がする…息子で社長?!
「わ、私には身分不相応かと。恐れ多いです」
 思わず、そう返してしまった。ドラッグストアで500円の口紅が買えない自分が、社長とお見合いなんて、「はい、お受けします」とは言い難かった。
「そお?うーん。今までとはタイプが違う女性とお見合いさせてみたいのよ。私も、竹岡さんみたいに仕事が好きな人がお嫁さんっていうのもいいな、と思えてきてね。お嬢さんがたは、遊ぶことばっかりに夢中でしょ。あなたみたいなタイプだったら、息子も頼りにするかもしれないし…ねえ、お見合いなんて堅苦しく考えなくていいから、一度息子と会ってみない?自分の息子をこう言うのも変だけど、わりとイケメンよ」
 いえ、イケメンとかそういうことではなく…まりえは、何と言っていいのか、言葉を探した。
「そうだよ。こんなお話、なかなかないよ。会ってみるくらい、いいじゃないか」
 大野専務は、どういうつもりか、当のまりえの真逆でノリノリだ。
 他人事だと思って…!と、ついまりえは、大野専務を睨みそうになるが、すんでのところで止めて、頭を冷やした。
「申し訳ありません。お時間いただけますか?考えさせてください」
 そう返答するので、精一杯だった。

 その日の夕方、事務室の更衣室で着替えをしていると、コンコンとドアをノックされた。制服から着替えて、カットソーとスカート姿だったまりえは「はい?」と返事をした。
「まりえちゃん。久しぶり」
「百合さん!」
 ドアからひょいと顔をのぞかせたのは、百合だった。退職して、結婚式以来だった。どうしたんですか、と尋ねると、ロッカーに忘れ物しちゃって、と元の自分のものだったロッカーからブレスレットを取り出した。
「ああ、やっぱりここにあった。探してたの。ねえ、まりえちゃん、お茶しない?旦那さんとしか喋ってないからガールズトークがしたくて。奢るから、カフェ行こ?」
 百合は、当分は専業主婦を楽しむのだと言って、結婚後、仕事をしていなかった。まりえこそ、不満ばかり言う母とディスり屋のパート二人組に挟まれた毎日だったので、百合に話したいことはたくさんあった。もちろん今日の大事件も。
「…お言葉に甘えていいですか?」
 二人は、駅裏の小さな喫茶店に行くことにした。百合の料理の失敗談など、新婚生活の楽しそうな話を聞いた。百合さん安定した幸せ路線だ、とまりえは嬉しくなった。コーヒーを飲みながら、ひとしきり話をしたところで、百合がまりえを覗き込むような目をした。
「まりえちゃん。何か悩んでる顔ね。どうしたの?」
 まりえは辺りを伺った。客は、まりえ達とカウンターにいる男性一人だけだった。高階デパート関係者はいそうにない。高階デパートの中のカフェだと事務所から近いけれど、誰かに聞かれたら大変なことだ。地味な経理事務員が、高階デパート社長の御曹司とお見合い。どんなに騒ぎ立てられるかわからない。
「実は…」
 まりえは、高階婦人とのいきさつと、お見合いの話を、できるだけ控えめに百合に話した。
「高階デパートの御曹司で社長。これはまた、大物がきたわねえ」
 驚きをかくさずに百合は言った。
「で、すごいけどいい話じゃない。それなのにまりえちゃんが浮かない顔をしてるのは、何故?」
「いや、だって。私、そんなすごい人とお見合いなんてしちゃっていいのかなって…全然現実味がないっていうか。悪い冗談にしか思えなくて。できればお断りしたいんですけど」
 百合は唇を結んで、ちょっと考えている風だった。
「あのね。人間ってクヨクヨ考えちゃうときって、大抵人からどう思われるかを気にしている時なんだって。今のまりえちゃんも、そんな風に見えるわ。『私なんかがお見合いするなんて、人に笑われそう』とかじゃない?」
「え…まあ、そんな風な…とにかく身分不相応です。私なんか、とても…」
「ふーん…ね、まりえちゃん。今日はうちの旦那様が出張でいなくて、こうして出てきたんだけど。これからうちに来ない?一時間くらいですむから」
 家の家事もまかされているまりえは、今日の晩御飯を、朝のうちに作り置きしておいたのを思い出した。朝、余裕がある時は、夕飯のおかずを作って冷蔵庫に入れておく。帰宅してからの家事がぐっと楽になるからだ。だから、今日は19時頃に帰宅できればいい。まりえは百合の家に寄ることにした。
 百合の新居であるマンションは、喫茶店の側のバス停から十分のところだった。瀟洒なマンションで、百合の部屋は「まだ片付いてないけど」と言う割には、きちんと整理されていた。急に人をあげられるなんて、素敵だな、とまりえは改めて思った。まりえのアパートだったら隠したいところがあちこちにあって、突然人が来たらあたふたしてしまう。
 すすめられたリビングのソファにまりえが座っていると、百合が言った。
「まりえちゃん。こんなの、どうかなあ」
 百合の手には、ハンガーにかかった数着のワンピースがあった。いわゆる「よそゆき」風の素敵なものだ。
「好きなの、選んで。お見合いの時、着ていけばいいわ」
「え…!」
「まりえちゃんは、自分ではそう思ってないかもしれないけど、『私なんか』って思わなくていい、素敵なお嬢さんだと私は、思ってる。まりえちゃんがいてくれて、事務所での仕事、とっても楽しかったもの。何度でも言うわよ。まりえちゃんは『私なんか』なんて、言う必要ない。着ていく服やアクセサリーがないんだったら、借りちゃえばいいのよ、こうやって」
 そう言って、水色のワンピースをまりえの胸にあてる。
「うん。これとか似合いそう。さ、早く着てみて」
「百合さん…!」
 まりえは、胸がいっぱいになった。百合の言う通り、自分がのこのこ見合いに行くなんて恥ずかしいと思っていた。今回も着ていく服はなく、結婚式でディスられたスーツをまた着て、笑われるところを想像していた。とても見合いに行く気にはなれなかった。
 そして、今、百合に手渡されたワンピースは、何より、輝いて見えた。これ着てみたらどんな感じかな…。着てみたいという女子として全うな気持ちが、胸の内からわいてきた。
 百合の部屋を借りて、ワンピースを着た。するりと袖が通るほど、着心地がよかった。
 おそるおそる百合に見せに行く。
「ど、どうでしょうか…?」
「うん。いい。後はメイクね。はい、ここに座って」
 まりえは、ダイニングテーブルの椅子に座らされた。百合は、化粧道具を広げ、てきぱきとまりえにメイクを施した。
「ああ、まりえちゃん、肌がきれいだから、すごく化粧ノリがいいわ。お見合いだから、ナチュラルメイクがいいわよね…うん。こんな感じかな」
 百合は、さっと細長い鏡を持ってきてくれて、まりえの全身を映した。
 まりえは、思わずぽかん、としてしまった。こんな自分、見たことがない。
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