超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
 まりえは恐縮して、慌てて言った。
「そんな。お店で具合が悪くなられたら、店員が動くのは当然のことです。まあ、店員と言っても私はその場ではお手伝いで、普段は経理の事務員でしかないですが…」
「その話も聞いてる。仕事が早くて有名だそうだな」
「いえ…同僚が辞めてしまったので、二人分の仕事をこなさなきゃって必死なだけで…」
「…必死に仕事をやれるのは、悪いことじゃない。褒められたらありがたく受け取っておくといい」
「はあ…」
 ずっと黙っているので、一目でまりえを嫌いになったとか、全く喋らないで帰るつもり満々なのかとか、いろいろまりえ的に気をもんでいたのだけれど、どうやらそういうわけではないらしい。
 少しほっとして、一番楽しみにしていたお刺身を食べてみた。
 !!
 まりえは、思わず大きな声を出してしまった。
「美味しいっ…!」
 そのまりえを見て、ぶはっと玲一が笑った。
「そんなに演技しなくていいよ、竹岡さん。今どき、刺身くらいでそんなに大騒ぎする女子はいない」
 ぴた、と食べるのを止めて玲一を見る。玲一は、目をふせているが、大笑いしそうなのをこらえているように見えた。
「演技って…」
「そうだろう。出された料理を大げさに喜ぶ。確かに、男の気を引く鉄板のやり方だ。でも、やり過ぎだと逆効果だと思うけどな」
 さっきまで美味だったお刺身が、急に味がしなくなった。
 目の前にいるこの人は、私が演技で喜んでると思ってる…。
 そうか。わからないんだ、子供の頃から裕福に暮らしてきた人には、本当にお刺身が美味しいと思って感動してしまう気持ちが。
 少しでも場を盛り上げようとか、楽しんでもらおうとか考えていた気持ちが一気にしぼんだ。
 住む世界が違いすぎるから。
 こうなるのは、当たり前のことなんだ。
 そう思うと、急にまりえは、ふっきれて、言った。
「…面白がってください」
「ん?」
「気を引くなんて高等テクニックは持っていません。それよりも面白がってほしいです。こんな貧乏な家庭の人間もいるんだなって。お酒の席でのネタになるかもしれません」
 玲一は、何を言っているのかわからない、と言った顔をした。
「スーパーの半額シールがあるのはご存じですか?閉店まぎわになると、売れ残ったお惣菜とかを売りさばくために安くなるんです」
「ああ、もちろん知ってるよ。うちの食料品売り場でもやっている」
「よくお金のない人は、あのシールが出るぎりぎりまでねばったよね、とか言う話で盛り上がるんです。高校時代ファミレスでバイトしてた時は、パートの主婦の方が多かったので、時々そんな話をしていました。でも…私は、半額シールが貼られていても、そのお惣菜が買えませんでした。母は、私を置いて飲みに行って帰ってこないことも多くて。五百円玉ひとつで一週間どうにか食べて過ごせ、と言われることなんかザラでした。半額シールの商品を買う人をいつもうらやましく思っていました。子供の頃は、特に」
 玲一は、食事の手を止めた。
「じゃあ、スマホを持っていないのは…」
「はい、うちにお金がなかったからです。他にもいろいろあります。中学の頃は…」
「いや、もういい」
 低く、静かな声で玲一は言った。
「悪かった。演技だなんて言って。君の家の経済状況が悪かったのは判った。母が、君のことをいろいろ言っていたんだが、全く耳に入れていなかったんだ。またあの人が面白がって、変わり種のお嬢様を連れてきたんだろう、くらいに考えていた。その…今日の君は、きちんとした恰好をしているから…中流家庭くらいのお嬢様だろうと勝手に思ってたんだ。スマホも単にポリシーがあって持っていないんだろう、と」
 中流家庭くらいの…お嬢様?
 まりえの耳は、その言葉にピンと反応した。
「本当ですか…?私がお嬢様に…ふふ、嘘みたい」
 さっきまでしぼんでいた気持ちが、ふわっとふくらんだ。
 お嬢様みたいに見えるなんて…私にしては上出来じゃない?
 嬉しくなったまりえは、全てを打ち明けたくなった。だって、もうこの目の前のイケメン社長とは、食事が終わったらさよならするんだもの。デパートで遭遇することも、今までなかったように、これからもないだろう…。
 ふ、と口角をあげて、まりえは言った。
「実は、このワンピース、仕事の先輩から借りたものなんです。メイク道具もその先輩からもらいました。すごい付け焼刃ですけど、お嬢様気分が味わえてよかったです」
 まりえは、そう言うと、肩の力が一気に抜けた。美味しいお食事を堪能しよう、と気持ちをリセットした。
 やっぱりお刺身は堂々の一位で美味しいし、煮物も蒸しものも最高だ。かみしめるように美味しさにひたり、最後のデザートまでしっかり食べた。
 まりえが話してすっきりした後、玲一は、黙り込んでしまった。怒ったり苛ついたりしているようには見えない。何かを考え込んでいる風だった。
 どうしちゃったんだろう…
 まりえはそう思いながらも、もう少しでお別れだから、いいか…と最後のコーヒーを味わっていた。
 コーヒーを飲み終え、自分から「失礼します」と言って立上っても作法的におかしくないだろうか?などと考えていると、黙り込んでいた玲一が口を開いた。
「竹岡さん。庭を少し、歩かないか」
「は、はあ…」
 確かに天気はいいし、外は快適そうだ。うまく断る理由も見つけられず、まりえは玲一の後をついて行った。
 庭には、小さな池があり、その手前にベンチが置いてあった。玲一はそこに座り、まりえを隣に座らせた。
 玲一は、まりえをじっと見つめて言った。
「竹岡さん。…もしよかったら、君の夢を聞かせてほしい。もしも、経済的に問題がなかったら、どんな風に人生を歩いてみたい?」
「え?」
 唐突な問いかけに、まりえは戸惑った。
 急に言われてもそんな、と思ったが、玲一の目は真剣で、変なごまかしは通用しそうになかった。
「そうですね…夢の生活なら…素敵なマンションに一人暮らしして、化粧品をとかお洋服とか好きなものを揃えて、ときどきお洒落なカフェでランチして…書店で新刊の本をいつも買えるとか…いろいろありますけど、一番は、決まってるんです」
「へえ、何」
 今日、一番まりえに関心を持ってくれたとわかる顔つきで玲一が言った。
「ウェディングプランナーの養成学校に通うことです。前に本屋さんで『ウェディングプランナーになるには』っていう本を立ち読みして、知ったんです。基礎からちゃんと教えてもらって、勉強できる。しっかり勉強して、一流のウェディングプランナーになって稼ぎたいです」
 そうか、と玲一は、ぽつりと言って、目の前にある池をじっと見つめた。
 それからおもむろに、まりえの方を向いた。
「竹岡さん。俺と、結婚しないか?」
 まりえは、耳を疑った。
 結婚?この人、結婚って言った?
 目を見開いて何とか口を開く。
「な、何を仰ってるのか…」
 と言いながらも、この食事会はもともとお見合いだった、と思い出し、さらに慌てた。
「驚くのも無理はないと思うが…聞いてほしい。これは、契約結婚の依頼なんだ」
「契約結婚…」
「うん。君も会ったことがあるから、わかると思うけど、俺の母親は、すごくマイペースな人だ。だから、俺の意向を問わずに次から次へと縁談を持ってくる。俺が仕事ばっかりしてるから、結婚関係は、自分が何とかしなきゃと思ってるんだ」
「は、はあ…」
 確かに、この食事会兼お見合いのお話も唐突で、強引さはあった。あの婦人には矢継ぎ早に縁談を持ってくるバイタリティのようなものがありそうだ。悪気は全くないのだろうけど。
「そんな母親に俺は、心底困っていて…そんな風に言うんだが、『私にまかせておきなさい、悪いようにはしないから』と、きかないんだ」
 はあ、と玲一はため息をついた。
 な、なるほど…うちの母親とは全く方向性が違うけど、人の話を聞かないところは似ているかも。
 まりえは、親に振り回される子供として思わず同情しそうになった。
(かわいそう…って、そうじゃない。今は契約結婚の話!)
「だから…そんな母を落ち着かせるためにも、仮の結婚をしたいんだ。結婚して、俺と君がうまくいかなかったら、息子は結婚に向いてないんだ、と諦めてくれるだろうから」
「じゃあ、契約結婚っていうのは、結婚したフリをすることですか?」
「そう。期間は一年。俺と結婚生活を送ってほしい」
「期限つきの仮の結婚ってことですね…」
 動揺しながらも、なんとか話についていくのに精一杯だ。
「そう。君にとって都合のいいギブアンドテイクの話だと思ってほしい。まず、君が俺と結婚してくれたら、君のご家庭の経済的援助をする。君のお母さんは働かなくていい。そして、もちろん君の面倒も見る。君は、今の会社を辞めて、ウェディングプランナーの学校に行くことができるんだ」
「あ…!」
 さっきの夢は何、という問いはこういうことだったのか、と合点がいった。
 まりえは、急展開すぎる、と思いながら、改めて玲一を見た。
 玲一は、まりえをじっと見つめている。その目に迷いはなさそうだった。まりえをからかっている風でもない。
「そのお話…明日になったら、何の事?なんて言って冗談にしませんよね…」
「そのつもりだ。君は苦労人だろう。その辺の、旦那をATMだと思っているようなお嬢さんがたとは全然違う。俺は、仮の結婚なのに、物欲まみれの浮ついた生活になるのはごめんだ。君となら、地に足のついた生活ができそうだと思った」
 高階社長なりに、私のことを認めてくれたってこと…?
 まりえは、少し、弾んだ気持ちになった。
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