超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
「いいんですか。結婚したら、私、ばんばん買い物とかして、お金使いまくっちゃうかもしれませんよ」
 玲一は、ふっと笑った。
「その時は、自分の見る目の無さを呪うよ。正直に言う。今までお見合いして、この人となら暮らしてみたい、と思ったことはなかったんだ。でも、今日は気持ちが動いた。そういうことって大事だと思うんだ」
 まりえは、唇を結んで考えた。
 きっとこの人は、今まで見たことがないような貧乏女子を見て、心を動かされたのね…
 高階社長くらいの御曹司なら、そうなっても仕方ないのかも。
 目の前にいる紳士は、まりえのことを経済的に助けると言ってくれている。それなのに何故か、まりえが彼と仮の結婚をすることで、彼を助けることができるんだ、という事の方に惹かれた。
 何にも持っていない私にも、できることがあるんなら…やってみてもいいかも…。
「高階社長」
「うん」
「そのお話、受けさせてください。契約結婚、了承しました」
「そうか」
 玲一は、ぱあっと顔を明るくさせた。
「よし。婚姻届けをもらいに行こう」
「え、今からですか?」
「もちろん。君だって俺だって、明日になったら気が変わるかもしれないだろ」
 快活に言う玲一を見て、まりえは思わず笑ってしまった。
 そうか、この人の中ではきっと契約結婚もゲームみたいなものなんだわ…私もそれに乗って楽しんじゃえばいいんだ。
「了解です。鉄は熱いうちに、ですね」
 それから料亭の庭から室内に戻り、玲一が会計をすませた。その後、言葉どおり二人で区役所に行って婚姻届けをもらった。
 天候も気温も申し分なくて、なんだか祝福されているようだった。

 アパートの自分の部屋に帰って、まりえは洗濯物をたたみ、夕飯の準備をした。母充子は、韓流ドラマにはまっていて、動くのはトイレの時くらいだ。
 夕飯を食べながら、まりえは言った。
「お母さん。結婚するから本籍地教えて」
「け、結婚?」
「そう私、結婚することになったの。高階デパートの御曹司と。お母さんの生活の面倒もみてくれるらしいわよ」
 充子は、ぽかんと口を開けた。その後、まりえの想像どおり、あんたはだまされてるんだ、と言い始めた。そんな都合のいい話があるもんかと、ひたすら否定しかしない。
 うるさく騒ぐ充子の言葉を聞き流していると、テーブルに置いたスマートフォンが鳴った。
「あんた、携帯なんていつの間に」
「高階社長が必要だからって買ってくださったの。えっとこれ、どうやったらいいのかな」
 なんとか通話ボタンをタップする。
「今、話せるか?」
 玲一からだった。はい、と返事をしてスマホを耳にあてたまま、台所へ移動する。なるほどね、こんな風に歩きながら電話できるの、確かにいい、などと感心してしまう。
「今週、俺は出張なんだ。君に会えるのは週末になる。その時に、新居の物件を見に行かないか」
 今日、料亭を出た後、今後のことをいろいろ話しあっていた。今月末までには結婚生活を始めようという流れになった。まりえも異存はなかった。ただ、気になることがあった。
「あの、新居のことなんですが、今、高階社長が住んでいらっしゃる部屋に、私が行くのはどうでしょう?一年のことなのに、わざわざ新居を構えるのは、もったいない気がします」
 玲一が話の折に、部屋数の多いマンションを借りていて、持て余している、と言っていたのを覚えていたのだ。
「それで、君はいいのか。新婚生活、と言ったら、やはり女性は新居に住みたいものだろう?」
 まりえは苦笑した。今まで、いかに玲一がお金持ちのお嬢様と見合いしてきたのかがわかるセリフだった。結婚したら、絶対家を買ってね、などと言われていたに違いない。
「はい。私、自分の寝室があるだけで充分です。寝室にできれば勉強用の机もあると嬉しいですが
…スペースがなかったらリビングで勉強します」
「いや、リビングで勉強しなくても、大丈夫だ。君用に広めの部屋を空ける。そうか、俺の部屋に来てくれるんなら、引っ越しの手間が助かるな」
「はい。高階社長、お忙しいと思うので…私のことで時間をたくさん使わないでいい方法を選ぶといいかと…」
「ありがとう。気を遣わせたな」
 不意に感謝されて、ドキッとした。玲一はいつも冷静で、物事をどんどん処理していくタイプに見えた。その分、人に対してクールな印象がある。その玲一からお礼の言葉を聞くと、なんだかくすぐったい。ありがとうって言われただけなのに、私、意識しすぎだわ…。
 話し合って、今度の週末にまりえが玲一の部屋に引っ越すことになった。今度もまた急展開だ。社長業が忙しい玲一は、何でも早めに手を打っておかないと、予定していた事が半年先とかになるんでね、と静かに言った。
 まりえは改めて玲一の忙しさを痛感した。週末の段取りをつけて、話が終わりそうになった。
「あの、出張お気をつけて行ってきてください」
 すぐに電話が切れてしまいそうだったので、まりえは慌てて言った。
「ああ…じゃあ週末に」
 そこで切れた。やはりまた「ありがとう」と言わないかな、と思ったが、そうはいかなかった。
 超忙しい男の人と共同生活か…自分に何ができるか、よく考えておかなくちゃ。
 そう思っていると、背後に充子が立っていた。
「い、今の電話。その…なんとか社長からかい?」
「そうよ。週末に、私、高階社長の家に引っ越すわ。お母さん、少しは家事やらなくちゃだめよ。とりあえず、お母さんの口座に百万振り込むって言ってくれてるから、当面はそれで生活して」
「ひゃっひゃく…!」
 充子は腰が抜けたのか、床にへたりこんだ。いきなりな展開に頭がついていかないのだろう。
 そんな母を見て、まりえは、まあ仕方ないか、と思った。自分だって急展開だと感じている。でも、何故か地に足はついている。玲一の申し出は夢のような話だ。なのに、浮かれてしょうがない、とはならない。
 好きな人と結婚するんだったら…もっとウキウキするものなのかな…
 新婚の百合のことを思い出す。百合は、結婚するの、と教えてくれたとき、すごい幸せオーラが出ていた。結婚という言葉を口にする前から、もう甘い何かがあふれていた。まりえは、きっとお見合いした人とうまくいってるんだな、と推測していたが、結婚、という強いワードが出てきて、なるほど、と思った。
 私が浮かれていないのは…やっぱり契約結婚だから?
 なんだかちょっとでも浮かれてしまいそうになると、いや、契約結婚だから、と自分に言い聞かせている。
 言い聞かせないと、だって…
 そこまで考えて、言葉が浮かばなくなった。自分の心の奥底がもやもやしているのに、うまく言葉にならない。なんだろう、と考えあぐねていると、不意に違う方向からひらめきがあった。
「あ。やばい。忘れてた」

「ま、まさか竹岡君、本当に…?」
 母の充子が大騒ぎするのは予想していたが、ここにもまた大騒ぎする人物がいたことを忘れていたのだ。大野靴店経理事務所の応接間で、大野専務が、口をあんぐりと開けて言った。まりえが玲一との結婚の報告をしたからだ。
「はい。なんというかその…思いがけず、気があってしまったというか…」
 まりえは、いろいろ言い方を考えてみたのだが、こう言うしかなかった。仮面夫婦であることは、もちろん大野専務にも高階デパート側にも知られてはいけない。もしばれたら、玲一は信用をがたりと失ってしまうだろう。まりえは、経済的に援助してもらっていいことばかりな分、玲一の信用を落とすような真似は絶対にしないようにしよう、と心に決めている。
「そんな奇跡みたいな話が本当にあるんだねえ…いや、失礼。竹岡君がそれだけ魅力的だったってことだね!いやあ、いい話じゃないか、とは言ったものの…まさか本当に結婚なんてねえ…」
 やっぱり、いい加減に煽ってたんだな、とまりえは微笑みながら思った。ノリノリになりながらそんなうまい話ないよね、くらい考えていたんだろう。まったくもう、と顔に出さず胸の内でつぶやく。そして、話は結婚のことだけじゃないことを思い出す。
「それで専務、申し訳ないのですが…結婚退職を考えておりまして…」
「へっ?!あーそう、そうなの。いやー、まいったな。竹岡くんの後任か、誰か経理のできる社員いたかな…いやーまいったなー」
「あの…では…後任との引継ぎまで一か月くらいは在籍しても…?」
「あ、そう?そうしてくれる?助かるわー悪いねえ。百合くんが結婚退職したばかりだろ?今、君に退職されると困るんだよね。いやいや、社長夫人にすいませんねえ」
 がはは、と大野は笑った。実を言うと、玲一はすぐに退職してウェディングプランナーの学校に行けばいい、と言ってくれていたのだ。だが、大野の困り顔を見ていたら、そんな事言えなくなってしまった。

金曜日の夕方。仕事を終えて更衣室に行くと、パートのナツミとエリカが二人で喋っていた。こんな風に仕事終わりにだらだら喋っているのは、よくあるパターンだった。夕飯を作らなければいけないまりえは、いつも「お先に」とばたばた帰っていた。そのつきあいの悪さも、ナツミたちがまりえを「感じ悪い」と言う一因だったらしい。
 制服から私服に着替えていると、早速二人がまりえをディスってきた。
「ねーなんかさーすごいやな匂いがするんだけど」
「するする。それって、お金目当てで結婚しちゃう人の匂いじゃない?」
「そうかも!こずるいとさ、体臭まで変わってくるから怖いよねー」
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