超貧乏でしたが御曹司に溺愛されて身も心も癒されました
 また始まった、とまりえはため息をついた。まりえが高階社長と結婚すると知って、二人がまっさきに考えたのは「金目当ての結婚」ということだったらしい。「貧乏だと捨て身で何でもできるのね」なんてことも数回言われた。
 まりえは口答えする気にもなれず、今日も黙って聞き流した。第一、ナツミたちの言っていることは、確かに当たっている。経済的に援助してもらえるのは、結婚する理由のひとつだ。ただ契約結婚なのは公にできないけど…と、まりえは思った。
「社長ってんだからさ、いくつ?腹の出たおっさんでしょ」
「うーん、マリセンに手を出すくらいだから、ちびデブハゲなんじゃないの?」
 着替え終わったまりえは、ロッカーを閉めながら吹き出しそうになった。
 そうなのだ。まりえが玲一の顔を知らなかったように、ナツミたちも高階社長の外見を知らないのだ。
 本物の高階社長を見たら、二人はどんな反応をするんだろう…
「じゃあお先に」
 まりえが、ふたりに向かって軽く会釈すると、ナツミが声をあげた。
「あ、やべ。飲み会、あるんだった」
 ナツミが、ばたばたとせわしなく、まりえを追い越すように事務所の出口に向かって行く。ところが、ナツミは出口の前でぴたりと立ち止まった。どうしたんだろう、とまりえがナツミの横に立つと、目の前に黒のレグザスが停まっていた。
 まりえが近寄ると、レグザスから玲一が降りてきた。
「来てくださったんですか?」
「ああ。時間ができたから明日の打合せをしとこうかと」
 玲一は、いつものようにスーツをビシッと着こなしている。仕事疲れも見えず、さわやかなものだ。
「え…すごい…イケメン…」
 ナツミが呟くのが聞こえた。どうやら高級車から誰が降りてくるのか見たかったようだ。玲一は、まりえに言った。
「彼女は、君の同僚?」
「はい。仕事内容は違うけど、ここに勤めています」
 ふうん、と玲一は、ナツミを一瞥して、言った。
「高階です。うちのまりえがお世話になっています。あと一か月ほどですが、よろしくお願いします」
 玲一は、軽く頭を下げた。玲一には、結婚生活が始まってもすぐに経理事務所を退職できなくなったことを伝えてあった。
「は、はい。こちらこそ…えっと…」
 ナツミはイケメンで社長の玲一に声をかけられて、しどろもどろになっていた。
 高階社長はチビでもデブでもないんだから…ちょっといい気分。
 まりえは、思わず頬を緩めた。
 家まで送る、という玲一に恐縮しながら車に乗り込む。車を走らせだすと、玲一は言った。
「とりあえず、明日、君の荷物を俺の部屋に運び込んだら、家具売り場に行こう。君の勉強机が必要だからな」
「家具売り場って…高階デパートの、ですよね。私の机なんて、ホームセンターので充分です」
「いや、家具売り場の売り上げにも貢献したいしな。ベッドはゲスト用のがあるので、買う必要はないが、君好みのシーツや枕も買うといい。寝具売り場で」
「そ、そんなにしてもらえるんですか?…何だか、恐れ多いです」
 まりえが思わず言うと、
「いや、好きでもない男と結婚するんだ。身の回りのものくらい好きなもので揃えたいだろう」
 そうなのだ。まりえはつい新品のシーツや枕に気持ちが弾みそうになったけれど、これは契約結婚の始まりでもあるのだ。
 ふわふわ甘く考えちゃダメなのよ…
 まりえがそう自分に言い聞かせていると、玲一が言った。
「他に欲しいものはないか?クッションとか食器とか」
 いえ、全く、と言おうとして、ちらっと考えてしまったことがあった。それが表情に透けて見えたのか、玲一が改めて「どうした?」と聞いた。
「あの…一つだけお願いがあってですね…」
「うん?」
「その…好きな雑貨屋さんがあって、そこで小物を揃えたいんですが、いいでしょうか…?」
 おそるおそる、という体でまりえは言った。ずいぶん我儘を言っているようで気がひけた。
「うちのデパートじゃだめなのか」
「あの…いつも、仕事帰りに覗いてた愛着のあるお店なんです。いつかそこでお買い物してみたかったんです」
 玲一は、ピンとこなかったらしく、しばらく黙っていた。
「雑貨屋か…カードが使えないかもしれないな。君用のキャッシュカードを作ろう。何かと現金がいることもあるだろうし。その雑貨屋にも、明日、寄ろう」
「え、いいんですか…ありがとうございます…!」
 まりえは、小躍りしたいくらい嬉しくなった。物欲は薄い方だけれど、それなりに女子らしい小物のある部屋に憧れがあったのだ。
「いや、今みたいに言ってくれると助かる。女性のことは、よくわからない」
 まりえは、高階夫人が、玲一は女性が苦手だと言っていたのを思い出した。
 こんなにイケメンだったらモテたはずなのにな…モテすぎて嫌になっちゃったのかな。
 そんなことを考えつつ、そうだ、自分にもできることをしないと、とまりえは、改めて思った。
「あの、高階社長は、和食と洋食、どちらがお好きですか?」
「どちらかと言うと和食系だ」
 まりえは、ほっとした。それなら、なんとかなるかも。玲一が不思議そうに「どうして」ときいた。
「私…これからの結婚生活で、お食事を作らせてほしいんです」
「何言ってる。君もあと一か月は事務所で働くんだろ。家事なんか、家政婦を雇えばいい」
「でも、今、社長は家政婦さんを雇っていないわけですよね。私、できるだけ家事をしたいんです。それくらいしか、私がお返しできることってないですし」
 玲一は意外そうに目を見開いた。
「君がそう言うなら構わないが…いいのか?せっかく、楽ができるのに」
「はい。慣れてますから、大丈夫です」
「そうか。確かに、人を雇うのに少し抵抗はあったんだ。君が、それでいいのなら、ありがたい」
 玲一は、淡々と言った。玲一は礼儀正しく、ありがとう、とか助かる、とか言ってくれる。それは、まりえも嬉しいのだが、言葉に温度が感じられない。なんだか仕事の延長で言っているように聞こえる。
 そうよね、契約結婚だものね…私にはいいことが目白押しだけど、高階社長からしたら、私と二人で暮らすようになるだけ、なのよね。せめて、お荷物にならないように、家事を頑張らないと。
 まりえは心の中で、よし、と気合を入れて、それから車の中で、玲一がどんな食べ物が好きかリサーチした。玲一は、問われるままに答えてくれた。
 翌日。まりえの家から、玲一の部屋へ荷物を運んだ。もともとまりえの持ち物が少ないので、引っ越し作業は、あっという間に終わった。時間がもったいないから、とすぐに高階デパートに行き、昨日、話し合っていた買い物をすませた。
 慣れないデパートの買い物に、まりえは目をキラキラさせた。思う存分、ゴージャス感を味わった。
「高階社長、ちょっといいですか?」
 売り場の社員に、声をかけられ、玲一は応じていた。込み入った話らしく、しばらくかかりそうだった。まりえは手持無沙汰になって、通路に設置された休憩用のソファに座った。
 ふう。慣れないとこに来ると、緊張しちゃう。
 そう一息ついた時。
「お姉さん、独り?俺と、ランチデートしない?」
 金髪にGジャンの派手な若い男に声をかけられた。
「いえ、あの…」
 デパートでナンパされるとは思わず、まりえは戸惑っていた。言葉が出てこない。
 なんて断ればいいんだっけ?
「失礼。私の、連れに何か?」
 金髪男とまりえの間に玲一が、さっと割って入った。金髪男は、すぐに引き下がり、立ち去りながら男がいるならそう言えよ、とぶつぶつ言っていた。
 まりえは、玲一に謝った。
「ごめんなさい。なんて言っていいか、わからなくて」
「バカだな。夫がいるって言えばいいんだ。夫婦なんだから」
 そう言った時の玲一の顔が、とても精悍で、まりえは思わず見とれてしまった。
 そうだ、こんな恰好いい人が、私の旦那様なんだわ…仮では、あるけれど。

 デパートを出ると、まりえの行きつけの雑貨屋へ、玲一もつきあってくれた。
 今までは雑貨屋の店員に申し訳ないような気持ちで、品物を眺めたものだった。見てるだけで買わないお客さんのことを冷やかし、という。でも、今日は冷やかし、じゃない。
 雑貨屋の自動ドアから店内に入った瞬間、思わずまりえは、玲一を見た。
 玲一は、ん、と少し考えてから、ふ、と笑った。
「好きなものを好きなだけ、買うといい」
「少しだけでいいので…ありがとうございます」
 ぺこり、と頭を下げて、まりえは雑貨を見始めた。どれもこれも、欲しいと思っていたけれど、買えなかったものだった。どれでも選んでいいんだ、と思うとドキドキと高揚した。
 時間をかけて選び、まりえはピンクの琺瑯のマグカップとラベンダー色のパジャマを買った。
 いろいろ見たけれど、本当に欲しいと思えるのはこの二つだけだった。
 会計をすませる前に玲一が言った。
「本当に、これだけでいいのか?」
「はい。じゅうぶん、満足です」
 まりえはにっこり微笑んだ。玲一は言った。
「まあ、また欲しくなったら言ってくれればいい。このくらいの価格帯ならお安い御用だ」
 まりえが選んでいる間に、玲一も商品を見たらしい。デパート経営者としては、どんな商店でも関心があるのだろう。
 カップとパジャマは可愛い袋に入れられ、店員から渡された。満ち足りた気分でまりえは紙袋を胸に抱いた。
 買い物が終わって、次に待っていたのは、玲一の部屋の探検だった。
「ここが、リビング」
 午前中に、まりえの荷物を運んだ時は、さっと見ただけだったので、改めて案内された。
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