血に堕ちたライラックはウソにまみれている

第十六話 フェアラート4

「ジェイド。すぐに戻ってくれて助かった。感謝する」

「いえ、途中で心当たりのない騎士団の馬車とすれ違いまして……」

「いい判断だ。リラ。君は部屋で休んでいるといい。ジェイドは、俺と少し話そう」

「しかし、リラを一人にするわけには……」

「今は休ませてやれ」

「なら、リラを部屋に送ってきますので、ブラッド様は書斎でお待ちください」



 ジェイド様が振り向こうとした。それをブラッド様が胸ぐらを掴んで止めた。



「やめておけ。リラが怯えているのがわかるだろう? 使用人たちもすぐに下げろ」

「……っ、は、はい! 失礼しました」



 ジェイド様の胸ぐらを離すと、ブラッド様が微笑むような表情で私を見た。



「リラ。ゆっくりと休みなさい。俺は今夜はフェアラート公爵領の街に滞在するから、何かあれば、いつでもおいで」

「……は、はい。ありがとうございます」



 ブラッド様に頭を一つ下げて、急いで自室に向かって駆けあがった。



♢



 部屋に閉じこもって、すでに夜になった。クレメンスに触れられて、嫌なことを思い出した。



 襲われた夜会で、私は意識もうろうとしながら廊下を歩いていた。その頃には、フィラン殿下はアイリスと浮気をしており、私など見向きもしなかった。あの夜会でも堂々とアイリスといたのだ。私は壁の花となり、一人でワインを飲んでいた。何杯も飲んだワイン。そのうち、眩暈がして私は夜会会場から下がれば、そのまま誰かに、部屋に引きずり込まれた。



 何杯ものんで気分が悪くなったかと思っていた。でも、違うのだろう。いつの間にか、きっと何かを盛られていたのだ。

そして、ベッドに押し倒されて、私は……



 __コンコン。

 あの日を思い出していると、ノックの音がした。思わず、びくりと身体が震えた。



「リラ。大丈夫か?」

「ジェイド様……」



 扉に近付いたのに扉を開けられなかった。そのまま、扉越しでジェイド様に返答した。まだ、少しだけ手が震えている。



「今日は悪かった。俺が邸にいない時に王妃の手の者が来るなど……」

「ジェイド様のせいではありません。すぐに帰って来て下さいましたし……」

「リラ。ここを開けてくれるか?」



 開けたくない。あの襲われたことを思い出されて、怖くて開けられない。



「ごめんなさい……どうか、今夜は一人にしてください。誰にも会えなくて……」

「クレメンスの言ったことなら、気にするな。あれは、ウソだとわかっている」



 ジェイド様の言葉にキュッと唇をかみ締めた。



「……どうして、ウソだとわかるのですか?」

「それは……その……リラに純潔がないなど信じられないからだ。クレメンスは、上昇志向の強い男で、人を見下すような性格だったし……」

「クレメンスをご存知でしたか?」

「騎士団の訓練時代の同期だった。最初は俺に近付いて来たのだが、俺が親密にならないとわかれば、ずいぶんと敵視されたものだ。あいつは、次期公爵の俺と親密になりたかったのだろう」



 クレメンスは、野心家なのだろう。だから、爵位のある人間、とくに上級貴族と仲を深めたかったのだ。でも、真面目なジェイド様と合わなかった。ジェイド様が、クレメンスのような下品な男を引き立てるわけがないからだ。



「クレメンスのことは、私も覚えています。騎士団の見学会に行った時に、彼とも握手しました。食事に誘われたこともあります。でも、いやらしい視線を向けられて、私はお断りをしたのです。きっと、私を恨んでいたのですね」



 何をしてもいい、とまで言っていた。実際に、あのまま連れて行かれたら、私に手を出しても、王妃は何の咎めもしないだろう。それどころか、王妃の手で暴行は握りつぶされるはずだ。



「……ジェイド様は何とも思わないのですか? 私は……あんな噂があって……そのうえ、王妃様に狙われていて……」

「……リラ。男が怖いのだな……だが、俺はクレメンスとは違う」

「でも、これからもご迷惑をおかけすると思います。そうなったら……」

「それがどうした。俺は、決して君を見捨てたりしない。王妃からも必ず守ってみせる。誰にもリラを渡さない」



 ジェイド様は、絶対に私を離さないだろう。いつも熱っぽい視線を私に向けている。



「リラ。ここを開けて。君の顔が見たい」

「今夜はお許しください。どうか……」



 ガリッと扉を掻く音した。扉を開けない私にジェイド様は憤っている。



「開ければ嫌いになる?」

「……そうなりたくないのです」

「わかった……今夜は、我慢する。ブラッド殿下にも、嫌われたくないなら、しばらくそっとしてやれ、と言われたからな……」

「ブラッド様が?」

「ああ、そうだ。フェアラート公爵邸にも、部下を数人置いてくださって、今夜からブラッド殿下の部下たちが警備のために邸を滞在することになっている。王都の騎士団への出立も明日になったから、2、3日会えないが……土産を買って来る。その時は出迎えてくれるか?」

「はい。必ずお出迎えします」

「では、その時を楽しみにしている」

「はい」

「たくさん買ってくるよ……君が好きなんだ」

「……はい」



 扉越しの告白をして、ジェイド様が静かに去って行った。部屋の中を振りむけば、バルコニーの開いた窓から冷たい風が優しく吹いた。涙が出る。ライラック色の髪が風でなびいていた。











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