血に堕ちたライラックはウソにまみれている

第九話 冷たい血と脆弱なアイリス 2

「……ブラッドだ。ブラッド殿下が、我が物顔でやって来たのだ」

「まさか、私を捕らえに!?」

「そうではない。だが、もうお前を隠すことも出来ん。来ることがわかっていれば、どこかに行かせていたのに……っ、余計なことを言うなよ。無実ならなおさらだ」



 そう言うと、書斎の扉が開かれた。



「失礼する。ウィンシュルト公爵」

「……無礼ではないか? ブラッド殿下」

「俺が無礼と思われるとは、何か密談でもしていたか? そうなら、是非とも密談に入れていただきたいものだ」



 背筋が凍る。ブラッド殿下は、妾の子だった。陛下の従姉妹の子だと言われている。でも、陛下とは違う髪色の彼には、陛下の子ではないとの噂もまことしやかにあった。

でも、陛下の子ではないと、大っぴらに言えるものではない。陛下が彼を自分の子供だと認知しているからだ。

そのうえ、彼は容姿端麗。なのに、フィラン殿下の柔らかな雰囲気と違い、彼は戦場に出るような恐ろしい殿下だ。戦場に行きさえしなければ、妾の子でも社交界で人気もあっただろうに……それほど、彼は人目を惹く容姿だった。

 今も縁談を夢見る令嬢が多くいるほどに……。



「アイリス嬢。フィラン殿下殺害時の様子をもう一度聞かせてもらいたい」

「な、何度も言いましたわ! 私はあの日、フィラン殿下に呼ばれて……っ!」

「だが、フィラン殿下のスケジュールに君との約束は入ってなかった」

「そ、そんなはずは……」

「そもそも、何をしにフィラン殿下に会いに行ったのだ? 最近は、フィラン殿下は君を避けていたとの情報も入っている」



 側近だ。フィラン殿下のスケジュールを調整している側近が証言したのだ。そうでなければ、私とフィラン殿下の仲など誰にもわからない。



 それに、フィラン殿下に会いに行く理由は一つだ。フィラン殿下にリラを愛妾に迎えるのをやめて欲しいと言いに行ったのだ。



 何度訴えても、彼はリラのことは聞き入れてくれない。リラを捨てた時は私に夢中だったのに……。だから、最近は私との時間を減らし、スケジュールにも入れなかったのだ。



 あの日会う約束をしたのに、彼は逃げる気だったのだ。



 それどころか、きっと私ではなく、リラを呼び出して……だから、リラがあの部屋にいたのかもしれない。そうなら、フィラン殿下の死体の隣にいたリラは犯人に襲われたのではないだろうか。それで、一緒に倒れていたんじゃ……そして、私はリラが目覚めた時に発見したなら……。



「フィラン殿下が……私を捨てようとして……」



 声が震えた。もう嫌。勝手に暗殺されて、私は無実で何も知らないのに、捨てられそうになった男のせいで、追い詰められている。こんなことなら、フィラン殿下に近付くんじゃなかった。



 ガクンと膝の力が抜けて、腰を抜かしたようにその場に座り込んだ。涙が出る。何も知らないのに、事情聴取だと言って、何日にも渡って騎士団が邸にやって来る。お父様が追い返さなければ、毎日の聴取に心が砕かれそうだ。

 ブラッド殿下が直々に来たのも、毎日お父様が騎士団を追い返すから、騎士団長である彼が直々に来たのだ。



「大丈夫か?」

「ブラッド殿下……」



 婚約者のいない殿下。こんなことなら、彼と婚約を結べば良かった。妾の子とはいえ、彼は陛下が認知した紛れもない王子なのだ。



「ブラッド殿下、私は何も知りませんっ……助けてください。そのためなら何でもします」



 今のままでは、私は一生社交界にも出られない。すでに邸からの外出も叶わない。下手をすれば修道院いきか、田舎で一人寂しく終わるだけ……あと一歩で私は、誰もが敬う国で一番の女性である妃殿下になるはずだったのに。



 差し出されたブラッド殿下の腕に涙ながらに縋った。



「……縋って来られるのは嫌いではない。泣く女もそそられるものはあるが……」



 艶めいたと言うのだろうか。怪しげな笑みをこぼしたブラッド殿下に打算的な考えが浮かんだ。このまま、弱い女を演じれば、フィラン殿下のように彼を落とせるのだと……。美しい令嬢だともてはやされた私には出来ると、根拠のない確信を感じたのだ。

 それなのに……。



「でも、君じゃない。君では、そそられるものは無いな」



 打算的な確信は一瞬で壊れた。ブラッド殿下は、私を憐れむことすらないのだ。

 涙目で顔を上げれば、ブラッド殿下の冷たく感情のない青い眼と視線が交わる。



「まだまだ、お嬢様だな……まだ、自分は特別だと思っている。何も捨てられない公爵令嬢様だ。そこで、身体を使ってでも俺を落とそうとすれば、ほんの少しは助けようかと思えたかもしれないが……君には無理だな」



 情も何もない冷たい物言いに戦慄した。私には、ブラッド殿下が恐ろしいと思ったのだ。









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