今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った
ふたりの秘密
詠の話を聞き終えた後、響はやっと口を開いた。
「話についていけるくらいしかテレビ見ないから、詠の事全然知らなかった。去年、夏祭りの途中で詠が帰った後、颯真と鈴夏に話を聞いて本当にビックリした」
詠は響の方を見る事が怖くて、口をつぐんでいた。
二人の沈黙の隙間は、カエルとセミが埋め尽くしている。去年も一昨年も全く同じはずなのに、今の詠には大合唱を音ととらえる余裕がなかった。
「実はさ。二人に詠が芸能人だって聞いた時、俺、なんかとんでもない事をしちゃったんじゃないかって思ったんだ。めちゃくちゃ有名な人だって知らないで遊んでたから……。でも、颯真が録画してたドラマとか見てると、そこに映ってるのは詠なのになんか、俺の知ってる詠じゃなくて……。別人に見えたんだよ。で、今日実際に詠に会ってみたら、やっぱり別人って感じがする。だから詠が芸能人って実感、全くないんだよね」
どんな言葉を返そうか。そう思っているともう、家に着いてしまった。
響の祖母は、去年と何一つ変わらずにこの場所にいた。
「詠ちゃん、いらっしゃい」
そういって受け入れてくれることが、堪らなく嬉しい。
「こんにちは、響のおばあちゃん」
だから響と真剣な話をしている途中でも、心の奥底から溢れる安心感で詠は思わず笑顔になった。
開け放たれたガラス戸。高い風鈴の音。揺れる木漏れ日。
裸足で太陽に温められた廊下に触れると、去年と一昨年に感じたこの場所の温かさを、全て思い出す。
ここはきっと、真夏の一番奥。
「ちょっと待ってて」
客間につくと、響は隣の部屋に続く襖を開けて出て行った。
響は台所の方で何かを話しているらしい。響はそれから客間に戻ると、詠の向かいに座った。
「……私が来ないって思わなかった?」
「思わなかった」
響は詠の言葉に間髪入れずにそう言うと、薄く笑った。
「じゃあ詠は、俺があの神社で待ってないって思った?」
「……思わなかった」
「じゃあ、一緒だ」
どうしてそう思うのかはわからない。ただ、響はきっとあの神社で待っているのだろうと信じて疑わなかった。
「怖かった。響がみんなみたいに私と距離を取ったらって思ったら……。私はやっと、居場所を見つけたって思ったから」
「うん」
響は小さくそう呟くと、詠から視線をそらした。
「わかるよ。詠の気持ち」
その一言がなぜか胸に響いて。
響の言葉はきっと、上辺をなぞっただけの同意ではない。言葉を変えるなら共鳴。きっと似た感情を感じて、思いをはせている。
「響、」
詠の言葉を遮るように、響の家のチャイムが鳴った。
響は「いこう」と言いながら立ち上がって廊下を通って玄関に移動した。
ガラガラという音を立てて響が引き戸を開けると、そこには颯真と鈴夏がいた。
「二人とも、詠に謝りたいんだって」
詠は玄関先に並んで立っている颯真と鈴夏を見た。
謝られるような事をされた覚えはないが、二人は申し訳なさそうな顔をして俯いていた。
「詠ちゃん、去年はごめん」
「会えた事が嬉しくて、ついはしゃいじゃって。ごめんなさい」
颯真に続いてそういう言った後、鈴夏は頭を下げた。それに続いて今度は颯真が頭を下げる。
想像していなかった状況に焦った詠は、両手を前に出して首を振った。
「いいから、そんな。……別に、何も、謝られるようなことはされてないし……」
声をかけられた事で迷惑だったと謝られたのは初めての事で。詠は動揺を隠しきれないまま口を開いていた。
どちらにしろ、あの夏祭りに参加した時点でおそらく時間の問題だったのだ。いや、そうじゃなくてもいつか必ずボロが出ていたに違いない。
「俺本当に詠ちゃんのファンで、その……だから、テンション上がって騒いじゃって。一昨年もそうだけどさ、プライベート? っていうの? それで来てるのに騒がれるのはいい気しなかっただろうなって思って。謝りたかったんだ」
「私もずっと謝りたくて。だから私達、響にまた詠ちゃんが来たら教えてってお願いしてたんだ」
鈴夏の口から聞く〝響〟という言葉に、ほんの少し胸の内がざわつく。
この気持ちは何だろう。
この気持ちはまだ、知らない。
「私こそ、混乱しちゃって。走って逃げたりして感じ悪かったよね。ごめんなさい」
正直に言えば二人に対する態度なんて、ここ一年で一度たりとも頭をよぎりはしなかった。響にどう思われているか。それだけで頭の中はいっぱいいっぱいで。
しかし直接謝られて初めて、心の底からの申し訳なさを感じた。
「じゃあ解決。誰かさんが黙って帰ったせいで一年もかかったけど」
響は嫌味っぽい口調でそういう。詠がぶすっとした顔で響を見ると、彼は笑顔を浮かべた。それを見て詠も笑顔を浮かべる。
「テレビで見たまんまだ」
まじまじと詠の顔を見ながらそういう鈴夏は、詠と目が合うと遠慮するように少し身を引いて困ったように笑った。
「ごめんね。可愛いなって思って、つい」
鈴夏は女の詠から見ても愛らしく、守ってあげたいという気持ちが芽生える、可愛らしい子だ。
少し関わっただけでわかる。鈴夏は心の綺麗な人だ。自分の気持ちに誠実で素直な人。
勧善懲悪。どんなドラマでも映画でも、幸せになる結末を迎えるのは素直な人だと決まっている。
響と一緒にいられる鈴夏が羨ましい。
そんなことを口にできる素直さは、持っていない。
〝見た目が綺麗〟という理由なら、当たり前だ。
日焼けできないから、どれだけ暑くても夏に半袖は着られない。肌が荒れればすぐに皮膚科に駆け込むし、食べ物だって好きなものを好きな時には食べられない。痛い思いをして整体に通ったり、辛い思いをして運動をする。だけど全部、当たり前。綺麗でいなければいけないんだから。
「ありがとう。凄く嬉しい」
きっと、私は素直にはなれない。そう察した詠はせめて綺麗に笑った。丁寧なフリをするくらいしか、鈴夏に対抗できる術を持ってはいないと確信していたから。
「響、いいな。詠ちゃんと仲良しで」
鈴夏の声色は、複雑。目立つのは、どこか少しだけ寂しそうという印象。
おそらく六割はその言葉通り。しかし四割はきっと、響に対してではない。おそらく自分に対してだろうと、詠は何となくそう思っていた。
鈴夏は響が好きなんだろうかという、ほとんど確信のある疑問。女の勘というヤツだった。
そして明らかにチクリと胸が痛んだ。
「本当、羨ましい」
颯真はそう言ってちらりと鈴夏の事を見た。こちらはかなりわかりやすい。そんな二人と、全く興味なさ気な響の温度差が面白くて、詠はもやもやとした気持ちをふいに溢れた笑顔でかき消した。
「じゃあもう話は終わりね。二人ともバイバイ。また学校で」
響はそういうと、二人を締め出すように玄関を閉めた。
すりガラス越しにまだ存在を感じる二人に、詠は「じゃあ、またね!」と言った。次会う機会があるのかわからないが。
すりガラス越しの二人の姿はすぐに消えた。外側から感じていた熱気が遮断されたことによって、玄関の空間は寒色のタイルを筆頭にして、ひやりとした空気感を演出する。
「詠が秘密を教えてくれたから、俺の秘密も教えてあげる」
「響の秘密?」
「そう。俺の秘密」
響はそう言うと響はあの廊下を通って客間を通り越し、隣の茶の間へと続く襖を開いた。
「部屋、入っていい?」
「もちろん。どうぞ」
問いかけはしたが、おそらく響は祖母からこの返答が返ってくることを知っていたのだろう。
響は襖を閉めると、踵を返して客間を通り過ぎる。そして廊下に出て、奥へと進んだ。
そして詠が入った事のない隣の部屋の障子を開いた。
その部屋には大きな仏壇以外は、特に何もない部屋だった。
「これが、俺の秘密」
仏壇の前まで移動しながら、響はそういった。詠は響の後ろ姿から仏壇に視線を移した。そこには二十代くらいの男女が笑っている写真が、それぞれ飾ってあった。
「俺の父さんと母さん。俺がまだ赤ちゃんの時に交通事故で死んだんだ」
何と答えたらいいのかわからないまま、詠はしばらく黙り込んだ。
去年、この家で着付けをしてもらった時、「お父さんとお母さん、まだ帰ってこないの?」と当たり前に問いかけて「両親に挨拶がしたい」と言ったはずだ。
その時響はどんな返事をして、どう思っていたんだろう。
「今度は俺の話、聞いてくれる?」
詠は考えるよりも先に頷いた。響は仏壇に背を向けて座り、それに釣られて詠は響の前に座った。
「話についていけるくらいしかテレビ見ないから、詠の事全然知らなかった。去年、夏祭りの途中で詠が帰った後、颯真と鈴夏に話を聞いて本当にビックリした」
詠は響の方を見る事が怖くて、口をつぐんでいた。
二人の沈黙の隙間は、カエルとセミが埋め尽くしている。去年も一昨年も全く同じはずなのに、今の詠には大合唱を音ととらえる余裕がなかった。
「実はさ。二人に詠が芸能人だって聞いた時、俺、なんかとんでもない事をしちゃったんじゃないかって思ったんだ。めちゃくちゃ有名な人だって知らないで遊んでたから……。でも、颯真が録画してたドラマとか見てると、そこに映ってるのは詠なのになんか、俺の知ってる詠じゃなくて……。別人に見えたんだよ。で、今日実際に詠に会ってみたら、やっぱり別人って感じがする。だから詠が芸能人って実感、全くないんだよね」
どんな言葉を返そうか。そう思っているともう、家に着いてしまった。
響の祖母は、去年と何一つ変わらずにこの場所にいた。
「詠ちゃん、いらっしゃい」
そういって受け入れてくれることが、堪らなく嬉しい。
「こんにちは、響のおばあちゃん」
だから響と真剣な話をしている途中でも、心の奥底から溢れる安心感で詠は思わず笑顔になった。
開け放たれたガラス戸。高い風鈴の音。揺れる木漏れ日。
裸足で太陽に温められた廊下に触れると、去年と一昨年に感じたこの場所の温かさを、全て思い出す。
ここはきっと、真夏の一番奥。
「ちょっと待ってて」
客間につくと、響は隣の部屋に続く襖を開けて出て行った。
響は台所の方で何かを話しているらしい。響はそれから客間に戻ると、詠の向かいに座った。
「……私が来ないって思わなかった?」
「思わなかった」
響は詠の言葉に間髪入れずにそう言うと、薄く笑った。
「じゃあ詠は、俺があの神社で待ってないって思った?」
「……思わなかった」
「じゃあ、一緒だ」
どうしてそう思うのかはわからない。ただ、響はきっとあの神社で待っているのだろうと信じて疑わなかった。
「怖かった。響がみんなみたいに私と距離を取ったらって思ったら……。私はやっと、居場所を見つけたって思ったから」
「うん」
響は小さくそう呟くと、詠から視線をそらした。
「わかるよ。詠の気持ち」
その一言がなぜか胸に響いて。
響の言葉はきっと、上辺をなぞっただけの同意ではない。言葉を変えるなら共鳴。きっと似た感情を感じて、思いをはせている。
「響、」
詠の言葉を遮るように、響の家のチャイムが鳴った。
響は「いこう」と言いながら立ち上がって廊下を通って玄関に移動した。
ガラガラという音を立てて響が引き戸を開けると、そこには颯真と鈴夏がいた。
「二人とも、詠に謝りたいんだって」
詠は玄関先に並んで立っている颯真と鈴夏を見た。
謝られるような事をされた覚えはないが、二人は申し訳なさそうな顔をして俯いていた。
「詠ちゃん、去年はごめん」
「会えた事が嬉しくて、ついはしゃいじゃって。ごめんなさい」
颯真に続いてそういう言った後、鈴夏は頭を下げた。それに続いて今度は颯真が頭を下げる。
想像していなかった状況に焦った詠は、両手を前に出して首を振った。
「いいから、そんな。……別に、何も、謝られるようなことはされてないし……」
声をかけられた事で迷惑だったと謝られたのは初めての事で。詠は動揺を隠しきれないまま口を開いていた。
どちらにしろ、あの夏祭りに参加した時点でおそらく時間の問題だったのだ。いや、そうじゃなくてもいつか必ずボロが出ていたに違いない。
「俺本当に詠ちゃんのファンで、その……だから、テンション上がって騒いじゃって。一昨年もそうだけどさ、プライベート? っていうの? それで来てるのに騒がれるのはいい気しなかっただろうなって思って。謝りたかったんだ」
「私もずっと謝りたくて。だから私達、響にまた詠ちゃんが来たら教えてってお願いしてたんだ」
鈴夏の口から聞く〝響〟という言葉に、ほんの少し胸の内がざわつく。
この気持ちは何だろう。
この気持ちはまだ、知らない。
「私こそ、混乱しちゃって。走って逃げたりして感じ悪かったよね。ごめんなさい」
正直に言えば二人に対する態度なんて、ここ一年で一度たりとも頭をよぎりはしなかった。響にどう思われているか。それだけで頭の中はいっぱいいっぱいで。
しかし直接謝られて初めて、心の底からの申し訳なさを感じた。
「じゃあ解決。誰かさんが黙って帰ったせいで一年もかかったけど」
響は嫌味っぽい口調でそういう。詠がぶすっとした顔で響を見ると、彼は笑顔を浮かべた。それを見て詠も笑顔を浮かべる。
「テレビで見たまんまだ」
まじまじと詠の顔を見ながらそういう鈴夏は、詠と目が合うと遠慮するように少し身を引いて困ったように笑った。
「ごめんね。可愛いなって思って、つい」
鈴夏は女の詠から見ても愛らしく、守ってあげたいという気持ちが芽生える、可愛らしい子だ。
少し関わっただけでわかる。鈴夏は心の綺麗な人だ。自分の気持ちに誠実で素直な人。
勧善懲悪。どんなドラマでも映画でも、幸せになる結末を迎えるのは素直な人だと決まっている。
響と一緒にいられる鈴夏が羨ましい。
そんなことを口にできる素直さは、持っていない。
〝見た目が綺麗〟という理由なら、当たり前だ。
日焼けできないから、どれだけ暑くても夏に半袖は着られない。肌が荒れればすぐに皮膚科に駆け込むし、食べ物だって好きなものを好きな時には食べられない。痛い思いをして整体に通ったり、辛い思いをして運動をする。だけど全部、当たり前。綺麗でいなければいけないんだから。
「ありがとう。凄く嬉しい」
きっと、私は素直にはなれない。そう察した詠はせめて綺麗に笑った。丁寧なフリをするくらいしか、鈴夏に対抗できる術を持ってはいないと確信していたから。
「響、いいな。詠ちゃんと仲良しで」
鈴夏の声色は、複雑。目立つのは、どこか少しだけ寂しそうという印象。
おそらく六割はその言葉通り。しかし四割はきっと、響に対してではない。おそらく自分に対してだろうと、詠は何となくそう思っていた。
鈴夏は響が好きなんだろうかという、ほとんど確信のある疑問。女の勘というヤツだった。
そして明らかにチクリと胸が痛んだ。
「本当、羨ましい」
颯真はそう言ってちらりと鈴夏の事を見た。こちらはかなりわかりやすい。そんな二人と、全く興味なさ気な響の温度差が面白くて、詠はもやもやとした気持ちをふいに溢れた笑顔でかき消した。
「じゃあもう話は終わりね。二人ともバイバイ。また学校で」
響はそういうと、二人を締め出すように玄関を閉めた。
すりガラス越しにまだ存在を感じる二人に、詠は「じゃあ、またね!」と言った。次会う機会があるのかわからないが。
すりガラス越しの二人の姿はすぐに消えた。外側から感じていた熱気が遮断されたことによって、玄関の空間は寒色のタイルを筆頭にして、ひやりとした空気感を演出する。
「詠が秘密を教えてくれたから、俺の秘密も教えてあげる」
「響の秘密?」
「そう。俺の秘密」
響はそう言うと響はあの廊下を通って客間を通り越し、隣の茶の間へと続く襖を開いた。
「部屋、入っていい?」
「もちろん。どうぞ」
問いかけはしたが、おそらく響は祖母からこの返答が返ってくることを知っていたのだろう。
響は襖を閉めると、踵を返して客間を通り過ぎる。そして廊下に出て、奥へと進んだ。
そして詠が入った事のない隣の部屋の障子を開いた。
その部屋には大きな仏壇以外は、特に何もない部屋だった。
「これが、俺の秘密」
仏壇の前まで移動しながら、響はそういった。詠は響の後ろ姿から仏壇に視線を移した。そこには二十代くらいの男女が笑っている写真が、それぞれ飾ってあった。
「俺の父さんと母さん。俺がまだ赤ちゃんの時に交通事故で死んだんだ」
何と答えたらいいのかわからないまま、詠はしばらく黙り込んだ。
去年、この家で着付けをしてもらった時、「お父さんとお母さん、まだ帰ってこないの?」と当たり前に問いかけて「両親に挨拶がしたい」と言ったはずだ。
その時響はどんな返事をして、どう思っていたんだろう。
「今度は俺の話、聞いてくれる?」
詠は考えるよりも先に頷いた。響は仏壇に背を向けて座り、それに釣られて詠は響の前に座った。