今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った
閑話
なんのために
夕暮時、人気のない公園で詠はベンチに座っていた。
たくさんの大人たちの、不自然な沈黙。
「……はい、オッケー」
撮影のカメラが監督の声で止まるまでの短い沈黙を抜けて、ふっと肩の荷が下りる感覚。
響は今、何をしているんだろう。
こうしている間にも、響は誰かと付き合ってしまったんじゃないか。
もしその相手が鈴夏だったら。
考えても仕方がなくて、考えても誰も答えを知らない妄想がずっと頭の中を巡っている。
響の事を考えていないのは、誰かを演じているときだけかもしれない。それくらいいつも、響の事を考えている。
ぼんやりしたまま撮影の一日が過ぎて、家で待っていてくれた小梢と久々に夕食を取る。
「最近の詠ちゃん、なんだか疲れてる?」
「うーんなんかね。ちょっと考え事」
中学三年生になり会う時間が減っても、小梢とは時間を合わせて今日みたいに食事をとっていた。
他人のようでいて、他人じゃない。家にいるけれど、ずっとじゃない。そのつかず離れずの関係性がいいのかもしれない。
年々距離も気持ちも離れて行く母親とは大違いだと詠は他人事のように思った。
しかし、やはり小梢にも響の事を話す気にはなれない。響は自分だけの特別でいてほしいような、そんな気持ち。
もしかすると中学三年生になってもまだ、おとぎ話のようなことを考えているのかもしれない。
〝いい夢は人に話すと正夢にならない〟という願掛けと同じように、一年に二週間しか会えない響の事を現実世界で話してしまえば、もう二度と彼に会う事はできないかもしれないという、非現実的な願掛け。
「お母さんの事?」
小梢はなるべく何気ない様子を装っているみたいに、詠に問いかける。
小梢が母親の話題を進んで聞き出そうとすることは珍しい。だからきっと、今の自分はいつもよりずっと不自然なのだろうと詠は他人事のように考えた。
母との距離感の遠さは今に始まった事じゃない。いつからかは分からないが、だんだんと距離が離れて行った。
詠が時間を合わせてリビングで待っていなければ、顔を合わせないのは当たり前の事だ。母親はわざわざ自分の部屋に入ってきて〝今日はどんな一日だった?〟とは聞かないし、〝明日の予定は?〟とも聞かない。
お互いに自分の人生を、自分の好きなように生きている。干渉はしない。
詠は長年の距離感でそういうことだと結論付けていた。
詠にも収入はあり、金銭的に特別何かを頼ることもない。家族というよりは同居人という感じだ。
中学三年生になり、担任は高校に向けた話をする。
しかし一貫校に通う詠を含めたクラスの人たちに外部にはあるであろう受験の緊張感は全くない。
別のクラスには外部の高校を受験する人がいるそうだが、詠にはよく分からなかった。
去年よりもずっと、あの事この子が付き合ったという恋愛話が活発になる。
告白される回数に比例した断る回数。
周りの人たちを見ていて思う事がある。どうしてそんなにあっさりと好きな人ができて、気持ちを通じ合わせる事ができるのだろう。
この一年が過ぎれば高校生になる。
高校を卒業すれば大学生になって仕事を続けるのだろうか。
それとも退路を断って仕事一筋で生きていくのだろうか。
全く想像がつかない。
考えるのはいつも同じこと。
どうすればもっと長い間、響と一緒にいられるだろう。
最近の自分は、なんだか少しおかしい。
「習い事でもしてみようかな」
「忙しいのに、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。私、忙しい方が好きだし。小梢さん、最近何かチラシとか入ってなかった?」
「塾と……あと英会話が入っていたけど」
「英会話のチラシまだあるなら見せて」
小梢はチラシを一枚詠に手渡した。
「これにしてみようかな」
気晴らしにあっさりと英会話を習い始める事に決めた。小梢の心配そうな視線には、気付かないフリをする。
東京での生活は忙しいのに、とても退屈。
演技をしているときは、響と響の祖母が見ていてくれるという気持ちでのめり込むことが出来るのに、日常生活は一分一秒の隙間にも、とても退屈だと思う。
響に会える以外の季節を全部、忙しさで埋めたい。
時間は平等に流れるというのは、きっと嘘。響に会えるのを待っている時間は、嫌味なくらいゆっくりと流れている。
ここ最近、本当に響の事ばかり考える。考えてしまうから、どうしようもないから、同じくらい気を紛らわせることを考える。
やっと七月一日から始まったバツ印がマルにたどり着いた頃、詠は不安になっていた。
響の学校はおそらく多くの人たちと同じように高校受験を経験するのだろう。
一貫校の自分とは違う。話が合わないことはないだろうか。世間の厳しさを知らないお気楽なヤツだと思われたりしないだろうか。
それにもし、塾に通っていて、響が自分の理想的な女の子を見つけてしまっていたら。そもそも響は好きな人ができた時、自分から積極的に関わるタイプなのだろうか。そんな気もするし、そうじゃない気もする。
響は一体、学校ではどういうタイプなんだろう。詠には学校生活を送っている響が、全く想像ができなかった。
もし響と同じ学校に通っていたら、きっと凄く毎日が楽しいだろう。学校帰りにハンバーガーを食べに行ったり。いや響は本が好きだから、本屋に行きたいというかもしれない。
ただなぜか、響と同じ学校に通うとなるとそこには颯真がいるような気がして。颯真がいるという事は、鈴夏がいる気がする。
その三人の輪の中に自分が加わる所を、想像できない。
頭の中はいつでも、あの田舎にいる響の事。
それから時々連鎖して、颯真と鈴夏の事。
ここには、心がない。
まるで一年の内、たった二週間の為だけに生きているみたい。
たくさんの大人たちの、不自然な沈黙。
「……はい、オッケー」
撮影のカメラが監督の声で止まるまでの短い沈黙を抜けて、ふっと肩の荷が下りる感覚。
響は今、何をしているんだろう。
こうしている間にも、響は誰かと付き合ってしまったんじゃないか。
もしその相手が鈴夏だったら。
考えても仕方がなくて、考えても誰も答えを知らない妄想がずっと頭の中を巡っている。
響の事を考えていないのは、誰かを演じているときだけかもしれない。それくらいいつも、響の事を考えている。
ぼんやりしたまま撮影の一日が過ぎて、家で待っていてくれた小梢と久々に夕食を取る。
「最近の詠ちゃん、なんだか疲れてる?」
「うーんなんかね。ちょっと考え事」
中学三年生になり会う時間が減っても、小梢とは時間を合わせて今日みたいに食事をとっていた。
他人のようでいて、他人じゃない。家にいるけれど、ずっとじゃない。そのつかず離れずの関係性がいいのかもしれない。
年々距離も気持ちも離れて行く母親とは大違いだと詠は他人事のように思った。
しかし、やはり小梢にも響の事を話す気にはなれない。響は自分だけの特別でいてほしいような、そんな気持ち。
もしかすると中学三年生になってもまだ、おとぎ話のようなことを考えているのかもしれない。
〝いい夢は人に話すと正夢にならない〟という願掛けと同じように、一年に二週間しか会えない響の事を現実世界で話してしまえば、もう二度と彼に会う事はできないかもしれないという、非現実的な願掛け。
「お母さんの事?」
小梢はなるべく何気ない様子を装っているみたいに、詠に問いかける。
小梢が母親の話題を進んで聞き出そうとすることは珍しい。だからきっと、今の自分はいつもよりずっと不自然なのだろうと詠は他人事のように考えた。
母との距離感の遠さは今に始まった事じゃない。いつからかは分からないが、だんだんと距離が離れて行った。
詠が時間を合わせてリビングで待っていなければ、顔を合わせないのは当たり前の事だ。母親はわざわざ自分の部屋に入ってきて〝今日はどんな一日だった?〟とは聞かないし、〝明日の予定は?〟とも聞かない。
お互いに自分の人生を、自分の好きなように生きている。干渉はしない。
詠は長年の距離感でそういうことだと結論付けていた。
詠にも収入はあり、金銭的に特別何かを頼ることもない。家族というよりは同居人という感じだ。
中学三年生になり、担任は高校に向けた話をする。
しかし一貫校に通う詠を含めたクラスの人たちに外部にはあるであろう受験の緊張感は全くない。
別のクラスには外部の高校を受験する人がいるそうだが、詠にはよく分からなかった。
去年よりもずっと、あの事この子が付き合ったという恋愛話が活発になる。
告白される回数に比例した断る回数。
周りの人たちを見ていて思う事がある。どうしてそんなにあっさりと好きな人ができて、気持ちを通じ合わせる事ができるのだろう。
この一年が過ぎれば高校生になる。
高校を卒業すれば大学生になって仕事を続けるのだろうか。
それとも退路を断って仕事一筋で生きていくのだろうか。
全く想像がつかない。
考えるのはいつも同じこと。
どうすればもっと長い間、響と一緒にいられるだろう。
最近の自分は、なんだか少しおかしい。
「習い事でもしてみようかな」
「忙しいのに、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。私、忙しい方が好きだし。小梢さん、最近何かチラシとか入ってなかった?」
「塾と……あと英会話が入っていたけど」
「英会話のチラシまだあるなら見せて」
小梢はチラシを一枚詠に手渡した。
「これにしてみようかな」
気晴らしにあっさりと英会話を習い始める事に決めた。小梢の心配そうな視線には、気付かないフリをする。
東京での生活は忙しいのに、とても退屈。
演技をしているときは、響と響の祖母が見ていてくれるという気持ちでのめり込むことが出来るのに、日常生活は一分一秒の隙間にも、とても退屈だと思う。
響に会える以外の季節を全部、忙しさで埋めたい。
時間は平等に流れるというのは、きっと嘘。響に会えるのを待っている時間は、嫌味なくらいゆっくりと流れている。
ここ最近、本当に響の事ばかり考える。考えてしまうから、どうしようもないから、同じくらい気を紛らわせることを考える。
やっと七月一日から始まったバツ印がマルにたどり着いた頃、詠は不安になっていた。
響の学校はおそらく多くの人たちと同じように高校受験を経験するのだろう。
一貫校の自分とは違う。話が合わないことはないだろうか。世間の厳しさを知らないお気楽なヤツだと思われたりしないだろうか。
それにもし、塾に通っていて、響が自分の理想的な女の子を見つけてしまっていたら。そもそも響は好きな人ができた時、自分から積極的に関わるタイプなのだろうか。そんな気もするし、そうじゃない気もする。
響は一体、学校ではどういうタイプなんだろう。詠には学校生活を送っている響が、全く想像ができなかった。
もし響と同じ学校に通っていたら、きっと凄く毎日が楽しいだろう。学校帰りにハンバーガーを食べに行ったり。いや響は本が好きだから、本屋に行きたいというかもしれない。
ただなぜか、響と同じ学校に通うとなるとそこには颯真がいるような気がして。颯真がいるという事は、鈴夏がいる気がする。
その三人の輪の中に自分が加わる所を、想像できない。
頭の中はいつでも、あの田舎にいる響の事。
それから時々連鎖して、颯真と鈴夏の事。
ここには、心がない。
まるで一年の内、たった二週間の為だけに生きているみたい。