今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った
中学3年生、夏

まっすぐな夢を見ていたい

 新幹線から電車に乗り換えるまでは、ぼんやりしていることが多かった。
 それは連日の仕事での疲れが抜けきっていないだけなのかもしれないし、考えても仕方のない事を考えすぎなのかもしれない。

 ローカル線の中でまどろみからゆっくりと覚醒して見えた景色で、不安よりも楽しみが勝っていく。はやる気持ちを抑えようとすると、自然と顔が綻んだ。

 この気持ちはまだ、去年までと何も変わっていない。
 景色を見て迎え入れてもらっている気持ちになることも。

 いつもの駅に祖母が迎えに来て、詠は母の話を聞かせた。毎年何ら変わりない内容。
 だってほとんど、母とは関わっていないんだから。

「行ってきます!」

 そう元気な声で言う詠の様子を、祖父母は心底嬉しそうな顔で見送っていた。やっぱり何も変わらない。
少し走っては、少し歩くを繰り返す。
畦道を鳥居まで真っ直ぐ歩いていると、少し不安になった。

 響はまた、身長が伸びているだろう。自分たちは大きくなっている。間違いなく、大人になっていく。

 一体、いつまで人生を交わらせていられるんだろう。そんな漠然とした不安。

 眠っているのだろうか。長い石段の中間地点、いつもの所に座っている響は本を傍らに置いて目を閉じていた。

「響」

 詠は石段を上がっていると響が目を開けた。響の顔に木漏れ日が揺らめく。
 たった今起きたのか、それとも最初から眠っていなかったのかはわからない響と目が合って、夏が来たことを実感する。

 やっと、また会えた。

「やっと来た」

 響はそう言うと、優しい顔で笑う。胸の内が騒がしくなる。詠は響にこの気持ちが気付かれないように、なにより自分自身がそれを直視しないように、詠は「約束してるんだから、来るよ」と可愛気もなく、そして何の気もないように呟いた。

「何してた? ここ一年」

 そう言うと響は大きく伸びをして立ち上がる。そして何を言う事もなく二人は同じタイミングで石段を上がった。

「英会話教室に通い始めた」
「受験の為?」
「全然。何となく。退屈だったから」
「アバウトだな。でもなんか詠らしい」
「響は? ここ一年、何してたの?」
「別に何も。普通に生活してた」
「高校は決めた?」
「ほとんど選択肢ないけど、一番近い高校にしようかなって思ってる。推薦で行けそうだから」
「そっか。響って頭いいんだ」
「別に特別いい方ではないけど」

 石段を上がり切り、二人で並んで社殿に向かって手を合わせた。
詠が顔を上げてちらりと響を見ても、響はまだ社殿に向かって手を合わせていた。

 毎年毎年、この神社に来るたびに響と二人でこの社殿に向かって手を合わせる事が当たり前になっている。しかし自分が一体、なんの神様にどういう目的で手を合わせているのか。詠は今更になって今まで一度も疑問に思わなかったことを考えている。

 大人になっている証拠だと思った。そして今ならもっと響とちゃんと話ができるのかもしれない。

「前にもこの話したと思うけど」

 響から視線をそらし終えた後で、詠は口を開く。響は合わせていた手を下ろして、それから詠を見た。

「響は今、神様って信じてる?」

 響は詠の言葉を聞き終えると、社殿に視線を移した。

「俺は別に、どっちでもいいかな。……詠は?」

 前に響と話をした時、もし本当に神様がいるのならこれだけ手を合わせているのだからきっと二人の人生はいい風に転ぶはずだと話した。
 今でもその気持ちは変わらない。
 変わらないはずなのに、二人の人生がもし交わるのならどんな形になるのか。詠には想像ができなかった。

 そして交わらない先で人生がいい風に転んでいるとも思えない。
 神様が本当にいるのなら、二人の未来すら知っているのだろうか。

「……私は、どうかな」

 自分から始めた話を曖昧に濁す詠に響は何を言う事もなくて。二人は社殿に背を向けて、石段を降りながら、会っていない間の一年間の話をした。
 少しでも空白の時間を埋めたくて。そう思っているのが自分だけじゃありませんようにと、願っている。

「詠、何かしたい事ある?」
「なんでもいいよ」

 響の家に向かいながらいつもの調子でそう聞く響に詠は何の気なしに答えた。
 しかし今の自分の気持ちを伝えたのなら、その言葉ではあまりにも足りない。

「響と一緒なら!」

 詠のつけ足した言葉に響は足を止めた。振り向く響の顔を見る事ができずに、詠は俯いたまま口を開いた。

「響と一緒なら、なんでもいい」

 響は何も喋らない。
 今年こそは二人きりで一緒にいたいと思っているのは自分だけだろうか。
 カエルとセミの大合唱が沈黙を隠しきれなくなったのは、一体いつからだろう。

「じゃあ今年こそは、邪魔されないようにしないと」

 詠は弾かれたように顔を上げて響を見た。前を向こうとする横顔には、優しい笑顔が浮かんでいる。
 ほんの少しだけ気持ちが重なった嬉しさが、騒いでいる胸の内を少しだけ落ち着かせて温かくさせた。

 響の祖母に挨拶をして仏壇に線香をあげた後、二人で天ぷらとそうめんを食べて、それから氷がたくさん入った麦茶を縁側で飲み干して家を出た。

 他愛もない話をしながら歩いた。目的もなく歩いているように見えたが、どうやら響には目的の場所があったらしい。

 しばらく歩いて到着したのは、小さな毬の様な白い花が咲いている野原。
 詠は思わず感嘆の声を上げた。

 よく見る花だが、一面がその花で埋め尽くされていると圧巻だった。普段から誰も来ないのだろう。人が踏み荒らした形跡も全くない。

「さすがにここなら誰も来ないだろ」
「学校でも塾でも付き合ってる事を内緒にしてる、イチャイチャしたいカップルとか来るかもよ」
「なかなかいないんじゃない。そんな理由でこんな場所まで来るカップル。いたらさすがに譲ってあげよう」

 二人はそういった後、しばらく考え込むように黙った。
 それぞれが想像のキャラクターの事を語っていた訳だが、まるで自分たちの事のようじゃないか。そう思ったのはどうやら詠だけではないようで、先に噴出したのは響だった。それに釣られて詠も笑った。

 それから何を言う事もなく野原の真ん中に座り込んだ。しかしまた、不思議な気持ちになる。
 もう一歩踏み込んでみたかったような、このままの関係でいたいような。
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