今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った
シロツメクサの花冠
「静かな場所だね。あの神社とは違った感じがする」
「田舎だから。少し入れば誰もいないし何もないよ」
静かな場所で、静かに座って景色を眺める。
昔はいつもはしゃいでいた。ほとんど走って、たくさん笑って。体力勝負ではもうきっと、響に勝つことはできない。
鬼ごっこや競争をしなくなったのはいつからで、いつから身体を動かす事よりも話ばかりをするようになったんだっけ。
詠は風にそよいで不意に手に触れた小さな花を見た。
「久しぶりに勝負しようよ、響」
「勝負?」
隣で不思議そうに声を上げる響に、詠は小さな粒ほどの花弁がいくつも重なって丸い形を作っている花を摘み取って自信満々の様子で見せつけた。
「この小さな花と言えば?」
「なにその質問。クローバーって事?」
「……えっ、この白い花、クローバーの花なの?」
「そうだよ。シロツメクサって言うんだけど……ちょっと待って。質問の意味が全然わからない」
「じゃあ、そのシロツメクサで作るものと言えば?」
「あーそういう事。冠とか、指輪とか?」
「そうそう。作った事ある?」
「ないよ」
「私もない! だから、作る勝負しよう」
「うん。いいよ」
響があっさりと承諾したことによって、二人の花冠作りが始まった。
「……なんかできた」
みつあみにしてみたり、捻じってみたり。試行錯誤している最中に聞こえた響の声に詠が視線を移すと、響の手元には見本のような立派な花冠があった。
しかし当の本人響は、自分が作った立派な花冠を唖然とした表情で見つめている。
「……なんでそんなに上手なの?」
「なんで俺上手なんだろう」
そう言いながら唖然としている響が面白くて、詠はしばらく笑っていた。
それから響に作り方を教えてもらってやってはみたものの、なかなかうまくいかない。
詠に指導をしている間にも、響は一部分にだけふんだんにシロツメクサをあしらった花冠や、緑よりもシロツメクサばかりが目立つ花冠を作っては詠の頭に乗せていった。
詠がやっと一つ不格好な花冠を作り終えたところで、響は五つ目の花冠を詠の頭に乗せた。
「勝負にもならなかったな」
ぐうの音も出ないとはまさにこの事で、詠は項垂れた拍子に膝に落ちてきた立派な五つの花冠を手に取って眺めた。
「よく考えたら私、まともに響に勝てた事ないよね」
「そういえばビーチフラッグとかやったな。鬼ごっことか、よくやってたし」
そう言うと急に響は笑い出した。
「負けっぱなしなのが悔しくて、一年間鍛えてきたのは本当に面白かったな。で、ちゃんといい勝負してた」
「私って昔から単純だね。本気で響を捕まえようと思ったらそれしか浮かんでこなかったもん。モチベーションが下がった時はかわいいランニングウェア買ったりして必死だった」
そう言って笑い合う頃にはもう、日は傾きかけている。
もう間もなく、夕方。
まだこんなに明るいのに。
「もう夕方だ。帰ろうか」
「うん」
響の言葉に頷いて詠は立ち上がった。
「あっという間だね」
詠はぼそりと呟いた。
響と過ごす時間はいつもあっという間。小学五年生の時から今まで一度だって、ゆっくりと時間が去ったことはない。
しかし昔とは、明らかに違う感覚。
明日が楽しみ。そんな言葉で片付けられていたことが、まるで嘘みたい。
離れたくない。明日が待てない。ずっとずっと、響の側にいたい。
詠は二人で並んで歩くことのできるこの時間を噛みしめていた。
記者に追われることもコソコソと話をされることもない穏やかな時間。
夏がずっと、続けばいいのに。
帰り道、神社を横目に口を開く。
「神様がいるかどうか、今はわからないけど」
「うん」
「……響とずっと一緒にいられたら信じる事にする」
詠がそう言うと、響は少し目を伏せたまま薄く笑った。
「じゃあ、俺も」
畦道を通って、別れる。
もう一日が終わってしまった。
今年の夏は何かをするというよりも、二人で何気ない話をする事が多かった。
それは響が夏の始まりに言った「じゃあ今年こそは、邪魔されないようにしないと」という言葉を体現した夏。
誰にも邪魔される事はなかった。
その分静かに過ごした夏は、今日で終わろうとしている。
「今年は夏祭りに行こうと思うから、帰りが遅くなるかもしれない」
詠は最終日に家を出る時、祖父母に嘘をついた。
響と夏祭りに行く予定も、そんなつもりもない。ただ、少しでも響と長く一緒にいられたら。
響の都合はいったん外に置いた、どうにでも形を変えることができる真実のような嘘。
真っ直ぐに響と待ち合わせをしている神社に向かう。もう何度も響に会う為に神社に向かっているのに気持ちがはやる。そして響に会えると、心底安心する。
人がいなさそうな場所を二人で回ってはみたが、結局神社の木陰が一番涼しく、昼すぎになってまた神社の石段に座り込んだ。
今日で夏が終わる。
お互いに、その事には触れない。
「この前教えたところは、できるようになったの?」
遠くから声が聞こえる。
先に反応したのは響だった。
「詠、立って」
聞いたことがある。これは誰の声だっけ。そう考えている詠の腕を掴んだ響は、詠が立ち上がった事を確認すると同時に腕を引っ張り、石灯篭の間を抜けて木陰に身をひそめた。
後ろには大きな木の幹があり、目の前には見上げなければ視線が合わない響が立っている。
圧迫感と緊張に詠は身を固くしたが、ゆっくり息を吐いた後、木の陰から顔をのぞかせた。
鳥居をくぐって石段を上がってきたのは鈴夏と颯真だった。
「それをいずれできるようになる為に神頼みしに行くんだよ」
「そのお願いはさすがに神様も聞いてくれないんじゃない? あといつも言ってるけど、この神社は農耕とか豊穣の神様だから、颯真の願い事は専門外だよ」
「神様は神様だろ。きっと学問の神様あたりに取り次いでくれる」
颯真は鈴夏の言葉を聞いてもなお、胸を張って言う。
鈴夏が颯真に神様違いだといつも教えているのに懲りずに願い事を言いに来ることもおもしろいし、どこからくるかわからない自信に満ち溢れている所もおもしろい。
言い方は悪いが、あまりにまぬけな颯真の様子に詠は思わずくすりと笑った。その途端、颯真は動きを止めた。
「今、何か聞こえなかった?」
「私には何も……。神様が颯真の顔を見に来たんじゃない? いつもいつも専門外のお願い事をしに来るヤツは誰だって」
二人はそう言うと、また石段を登って行った。
響は責める様に詠の額を指で小突いた。
「ごめん、響。面白くて」
詠は笑いの余韻を残しながら響に言う。
しばらく身を潜めていると、二人は坂道を降りてきて鳥居をくぐって出て行った。
それを見送った詠は大きく息を吐く。響は詠から身を離すと、溜息をついた。
「あの二人にはよく会うな。去年もそうだったし」
「ね、本当」
詠はそう言って、二人の去った方向を見つめた。
鈴夏が響に向ける感情も、颯真が鈴夏に向ける感情も、何も変わっていないのだろうか。
きっと颯真の鈴夏への思いは変わっていないだろう。詠は先程の出来事と、去年の颯真を思い出してクスクスと笑った。
「なに笑ってるの?」
「颯真くんってさ、わかりやすいよね。真っ直ぐな感じ」
「……詠は、颯真みたいな人が好き?」
平坦な口調でそういう響が、何を考えてそう問いかけているのかわからない。
「どういう意味?」
わからないから、響に聞き返した。
「田舎だから。少し入れば誰もいないし何もないよ」
静かな場所で、静かに座って景色を眺める。
昔はいつもはしゃいでいた。ほとんど走って、たくさん笑って。体力勝負ではもうきっと、響に勝つことはできない。
鬼ごっこや競争をしなくなったのはいつからで、いつから身体を動かす事よりも話ばかりをするようになったんだっけ。
詠は風にそよいで不意に手に触れた小さな花を見た。
「久しぶりに勝負しようよ、響」
「勝負?」
隣で不思議そうに声を上げる響に、詠は小さな粒ほどの花弁がいくつも重なって丸い形を作っている花を摘み取って自信満々の様子で見せつけた。
「この小さな花と言えば?」
「なにその質問。クローバーって事?」
「……えっ、この白い花、クローバーの花なの?」
「そうだよ。シロツメクサって言うんだけど……ちょっと待って。質問の意味が全然わからない」
「じゃあ、そのシロツメクサで作るものと言えば?」
「あーそういう事。冠とか、指輪とか?」
「そうそう。作った事ある?」
「ないよ」
「私もない! だから、作る勝負しよう」
「うん。いいよ」
響があっさりと承諾したことによって、二人の花冠作りが始まった。
「……なんかできた」
みつあみにしてみたり、捻じってみたり。試行錯誤している最中に聞こえた響の声に詠が視線を移すと、響の手元には見本のような立派な花冠があった。
しかし当の本人響は、自分が作った立派な花冠を唖然とした表情で見つめている。
「……なんでそんなに上手なの?」
「なんで俺上手なんだろう」
そう言いながら唖然としている響が面白くて、詠はしばらく笑っていた。
それから響に作り方を教えてもらってやってはみたものの、なかなかうまくいかない。
詠に指導をしている間にも、響は一部分にだけふんだんにシロツメクサをあしらった花冠や、緑よりもシロツメクサばかりが目立つ花冠を作っては詠の頭に乗せていった。
詠がやっと一つ不格好な花冠を作り終えたところで、響は五つ目の花冠を詠の頭に乗せた。
「勝負にもならなかったな」
ぐうの音も出ないとはまさにこの事で、詠は項垂れた拍子に膝に落ちてきた立派な五つの花冠を手に取って眺めた。
「よく考えたら私、まともに響に勝てた事ないよね」
「そういえばビーチフラッグとかやったな。鬼ごっことか、よくやってたし」
そう言うと急に響は笑い出した。
「負けっぱなしなのが悔しくて、一年間鍛えてきたのは本当に面白かったな。で、ちゃんといい勝負してた」
「私って昔から単純だね。本気で響を捕まえようと思ったらそれしか浮かんでこなかったもん。モチベーションが下がった時はかわいいランニングウェア買ったりして必死だった」
そう言って笑い合う頃にはもう、日は傾きかけている。
もう間もなく、夕方。
まだこんなに明るいのに。
「もう夕方だ。帰ろうか」
「うん」
響の言葉に頷いて詠は立ち上がった。
「あっという間だね」
詠はぼそりと呟いた。
響と過ごす時間はいつもあっという間。小学五年生の時から今まで一度だって、ゆっくりと時間が去ったことはない。
しかし昔とは、明らかに違う感覚。
明日が楽しみ。そんな言葉で片付けられていたことが、まるで嘘みたい。
離れたくない。明日が待てない。ずっとずっと、響の側にいたい。
詠は二人で並んで歩くことのできるこの時間を噛みしめていた。
記者に追われることもコソコソと話をされることもない穏やかな時間。
夏がずっと、続けばいいのに。
帰り道、神社を横目に口を開く。
「神様がいるかどうか、今はわからないけど」
「うん」
「……響とずっと一緒にいられたら信じる事にする」
詠がそう言うと、響は少し目を伏せたまま薄く笑った。
「じゃあ、俺も」
畦道を通って、別れる。
もう一日が終わってしまった。
今年の夏は何かをするというよりも、二人で何気ない話をする事が多かった。
それは響が夏の始まりに言った「じゃあ今年こそは、邪魔されないようにしないと」という言葉を体現した夏。
誰にも邪魔される事はなかった。
その分静かに過ごした夏は、今日で終わろうとしている。
「今年は夏祭りに行こうと思うから、帰りが遅くなるかもしれない」
詠は最終日に家を出る時、祖父母に嘘をついた。
響と夏祭りに行く予定も、そんなつもりもない。ただ、少しでも響と長く一緒にいられたら。
響の都合はいったん外に置いた、どうにでも形を変えることができる真実のような嘘。
真っ直ぐに響と待ち合わせをしている神社に向かう。もう何度も響に会う為に神社に向かっているのに気持ちがはやる。そして響に会えると、心底安心する。
人がいなさそうな場所を二人で回ってはみたが、結局神社の木陰が一番涼しく、昼すぎになってまた神社の石段に座り込んだ。
今日で夏が終わる。
お互いに、その事には触れない。
「この前教えたところは、できるようになったの?」
遠くから声が聞こえる。
先に反応したのは響だった。
「詠、立って」
聞いたことがある。これは誰の声だっけ。そう考えている詠の腕を掴んだ響は、詠が立ち上がった事を確認すると同時に腕を引っ張り、石灯篭の間を抜けて木陰に身をひそめた。
後ろには大きな木の幹があり、目の前には見上げなければ視線が合わない響が立っている。
圧迫感と緊張に詠は身を固くしたが、ゆっくり息を吐いた後、木の陰から顔をのぞかせた。
鳥居をくぐって石段を上がってきたのは鈴夏と颯真だった。
「それをいずれできるようになる為に神頼みしに行くんだよ」
「そのお願いはさすがに神様も聞いてくれないんじゃない? あといつも言ってるけど、この神社は農耕とか豊穣の神様だから、颯真の願い事は専門外だよ」
「神様は神様だろ。きっと学問の神様あたりに取り次いでくれる」
颯真は鈴夏の言葉を聞いてもなお、胸を張って言う。
鈴夏が颯真に神様違いだといつも教えているのに懲りずに願い事を言いに来ることもおもしろいし、どこからくるかわからない自信に満ち溢れている所もおもしろい。
言い方は悪いが、あまりにまぬけな颯真の様子に詠は思わずくすりと笑った。その途端、颯真は動きを止めた。
「今、何か聞こえなかった?」
「私には何も……。神様が颯真の顔を見に来たんじゃない? いつもいつも専門外のお願い事をしに来るヤツは誰だって」
二人はそう言うと、また石段を登って行った。
響は責める様に詠の額を指で小突いた。
「ごめん、響。面白くて」
詠は笑いの余韻を残しながら響に言う。
しばらく身を潜めていると、二人は坂道を降りてきて鳥居をくぐって出て行った。
それを見送った詠は大きく息を吐く。響は詠から身を離すと、溜息をついた。
「あの二人にはよく会うな。去年もそうだったし」
「ね、本当」
詠はそう言って、二人の去った方向を見つめた。
鈴夏が響に向ける感情も、颯真が鈴夏に向ける感情も、何も変わっていないのだろうか。
きっと颯真の鈴夏への思いは変わっていないだろう。詠は先程の出来事と、去年の颯真を思い出してクスクスと笑った。
「なに笑ってるの?」
「颯真くんってさ、わかりやすいよね。真っ直ぐな感じ」
「……詠は、颯真みたいな人が好き?」
平坦な口調でそういう響が、何を考えてそう問いかけているのかわからない。
「どういう意味?」
わからないから、響に聞き返した。