今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った
高校1年生、夏
ただ、そばにいたくて
詠は畦道を走る。
身体が重たく感じるのは、自分がもう子どもを卒業して、一歩一歩一人の女性へと成長している証拠なのだという実感。
それでも詠は走った。
一秒でも早く響に会いたかったから。
「響!」
詠が石段の下から呼ぶと、響はいつもの場所に座っていて、いつものように優しい顔で笑った。
夏が始まる。
今年もまた、夏が来る。
「詠、久しぶり」
「久しぶり」
響は去年よりずっと、大人になっていた。
走ってきたからか、響に会えたからか。ドクドクとうるさい心臓を空気を吸い込むことで抑えつけて、石段を上がって響の隣に座った。
側に響の気配を感じると、言いようのない気持ちが込み上げてくる。嬉しくて嬉しくて、それなのにどこか悲しい。
やっと響に会えた幸せは、離れる悲しさを連れてくる。
また一年、響に会えない。
「高校、受かった?」
「受かったよ」
いつものように二人で石段を上り切って、社殿に手を合わせる。
それから響の家で響の両親に線香をあげて、響の祖母の作ってくれた天ぷらとそうめんを食べて、麦茶を飲む。
真夏の最奥。
うだる暑さが骨の髄に到達しても、夏以外の身を焦がす季節に比べればどうという事はない。
二人は何をするか話し合って、今年はまず商店街の駄菓子屋に向かう事にした。
「うわ、懐かしい」
「俺も久しぶりに来た」
店の外観は時が止まっているのではないかと錯覚する程、記憶の中にある景色と何も変わらなかった。
腰を曲げて座ってうちわを片手に持っているおばあちゃんも、何も変わらない。
いったいいつから二人は〝懐かしい〟を語り合えるようになったのか、もうわからない。
前回来た時は芸能人だとバレないようにビクビクして縮こまっていた。それを思い出した詠は、肺いっぱいに息を吸った。
「こんにちはー」
「はい、こんにちは。あらー、別嬪さんねぇ。あの子によー似とる。……誰やったかいね。あの、そうそう。〝咲村詠〟ちゃんね。時代劇しよった子よ。昨日もテレビに出とった」
駄菓子屋のおばあちゃんの言葉に、詠は今度こそと笑顔を浮かべた。
それから二人はそれぞれ、好きな駄菓子を選んだ。
「高校生になったし贅沢しよ」
そう言って響が手に取ったのは、以前来た時には選ばなかった凍らせた大きなゼリー。
「店の中もアイスケースの中身も全然変わらないね。あれから何年たったんだっけ?」
「小学六年生の時だから、四年ぶりじゃない?」
「もうそんなに前になるんだね。全然実感ないや」
そうは言ったものの、バレないようにと縮こまっていたのだからそれくらいの年数はたっているのかと納得する。
そしてまた、響の優しさに気が付く。きっとその間響は、なるべく人目に触れない場所を選んでくれていたのだろう。
駄菓子屋リベンジができた気になって気分がよかったが、実感がないくらいに響と過ごす時間が短いのだと嫌でも認識してしまう。
「ありがとうね」
駄菓子屋のおばあちゃんの声を背に聞きながら、袋に入った駄菓子を見つめて歩く。
あの頃はまだ二人でビーチフラッグや鬼ごっこをしていた。ここでの出来事を思い出していると、なんだか無性に泣きたくなる。
「暑いね」
この言葉で自分の感情を誤魔化すようになったのは、一体いつからだろう。
「詠」
「なに? やっ、冷たいっ!!」
響は凍ったゼリーを詠の頬に押し付けた。詠は響と距離を取ると、冷たい自分の頬に手を当てて温めた。
「びっくりした!」
「感傷的になりすぎだよ」
ぼそりと呟く響の言葉に詠が息を呑んだのも束の間、響は笑って再びゼリーを詠の頬に押し付けた。
詠は必死になって響の手を掴んでゼリーが頬に触れる事を阻止する。
「冷たいって!!」
「暑いって言ってたから冷やしてあげようと思って。俺、優しいから」
詠は隙を見て袋から凍ったゼリーを取り出すと、響の首元に押し付けた。
周りから見れば完全にイチャイチャしているカップルだろうが、今はどうでもいい。どちらが相手に手元の凍ったゼリーを押し付けるのかについては本気だった。
詠は一旦響と距離を置こうとしたが、響は詠の手首を握って引き戻した。
二人の距離が一瞬で縮まって、二人はしばらく近い距離で見つめ合っていた。
今この瞬間だけは、誰にも邪魔されたくない。
そんなバカげた事を、考えている。
「逃げるのは反則」
「何そのルール」
「今作った」
そう言うと響は再び詠にゼリーを押し付けたが、詠は両手で響の手を握る。
「手加減してやろうとか思わないの!?」
「勝負に手加減とかないから」
「響はいっつもそう、」
「詠ちゃんも響も、久しぶりー!」
詠と響が声のした方を見ると、笑顔で手を振る颯真と颯真を止めようとする鈴夏がいた。
響と詠と目が合った鈴夏は申し訳なさそうな顔をしたあと、眉を下げて笑う。
詠は弾かれたように響から離れて何事もなかったという顔で響から距離を取ろうとするも、響は離れようとする詠の手を握った。
「ひっ、久しぶり。……颯真くん、鈴夏ちゃん」
「うん。久しぶりだね、詠ちゃん。……あの、ごめんね」
鈴夏はちらりと二人の手に視線を移したが、すぐにそらして気付かないふりをしながら、申し訳なさそうにそうに言う。
笑顔の颯真が、詠と響が手をつないでいる事に気付いている様子は微塵もない。
「今年も来てたんだ、詠ちゃん。ところで響さー、いっつも思ってたけど学校以外では本当全然会わないよな?」
「なんでだろうね。夏休みは毎年毎年毎年会うのに」
「……去年も会ったっけ?」
二人がそんな会話をしている間に詠は響の手を離そうと試みるが、響はしっかりと詠の手を握って離さない。
「せっかく詠ちゃんも来てるんだから、四人で海でも、」
「行かない。今日から二週間、朝から晩まで予定全部埋まってるから」
「……響、めっちゃ多忙じゃん」
響の言う事を真に受けて唖然としている颯真に、詠は思わず笑う。
「颯真、もう行こう」
「えーもう?」
鈴夏の提案に颯真は「せっかく会えたのにー」といじけた様子で文句をいう。
「本当にわからないの? 私達今、二人の邪魔してるんだよ」
困った様子でそう告げる鈴夏から告げられた言葉の意味を、颯真は頭の中でロード中の様子だ。
鈴夏はもう吹っ切れたんだろうか。詠にとっては非日常のこの場所は、響や鈴夏にとっては日常の真ん中で。
そう考えると、鈴夏の持っていた感情が成長と共に変わっていくことは当然に思えた。
颯真はやっと状況の整理が終わったのか、響と詠の繋がれた手を見た後、響の顔を見た。
「え、何。とうとう? 付き合った?」
「そんなんじゃないって」
「そっか。そうだよな。滅多に会えないんだよな」
颯真は小さな声で考えるようにそう呟いた。はたから見れば、カップルに映るだろう。
しかし二人は一年という長い期間の中で、たった二週間しか一緒にいる事が許されない。
「いや! でも! 手!!」
詠が考え事をしていると、颯真は繋いでいる二人の手を指さした。
「付き合ってないと手を繋いだらダメなんてルールはない」
「ええっ? ちっ、違うの……? 大人……」
響の言葉に打ちのめされたのかみっともなく呟く颯真を、鈴夏は「ごめんね本当に」と謝りながら引きずる形でどこかへ連れて行った。
「毎年毎年、本当に騒がしいな」
一歩踏み出しながらそう言った響が、手を離そうと力を緩めたのが分かった。詠が反射的にその手をしっかりと握ると、響は立ち止まった。
響は、何も喋らない。
どんな顔をしているのかわからないが、きっと驚いているだろう。そう考えると途端に恥ずかしくなった。それをぐっとこらえて、ごちゃごちゃと頭にいろいろと浮かぶ前に口を開いた。
「もう少しだけ、ダメかな。手、繋ぐの」
まとまりのない言葉を発すると、響は離しかけていた詠の手をしっかりと握った。そして、引っ張る様にして先に歩き出す。
「行こ」
お互い顔を見ないようにして歩いた。
「暑いな」
「うん、暑いね」
二人はそう言うと、確かめるようにしっかりと互いの手を握った。
その日は一日、手を繋いでいた。
夏がずっと、終わらなければいいのに。
身体が重たく感じるのは、自分がもう子どもを卒業して、一歩一歩一人の女性へと成長している証拠なのだという実感。
それでも詠は走った。
一秒でも早く響に会いたかったから。
「響!」
詠が石段の下から呼ぶと、響はいつもの場所に座っていて、いつものように優しい顔で笑った。
夏が始まる。
今年もまた、夏が来る。
「詠、久しぶり」
「久しぶり」
響は去年よりずっと、大人になっていた。
走ってきたからか、響に会えたからか。ドクドクとうるさい心臓を空気を吸い込むことで抑えつけて、石段を上がって響の隣に座った。
側に響の気配を感じると、言いようのない気持ちが込み上げてくる。嬉しくて嬉しくて、それなのにどこか悲しい。
やっと響に会えた幸せは、離れる悲しさを連れてくる。
また一年、響に会えない。
「高校、受かった?」
「受かったよ」
いつものように二人で石段を上り切って、社殿に手を合わせる。
それから響の家で響の両親に線香をあげて、響の祖母の作ってくれた天ぷらとそうめんを食べて、麦茶を飲む。
真夏の最奥。
うだる暑さが骨の髄に到達しても、夏以外の身を焦がす季節に比べればどうという事はない。
二人は何をするか話し合って、今年はまず商店街の駄菓子屋に向かう事にした。
「うわ、懐かしい」
「俺も久しぶりに来た」
店の外観は時が止まっているのではないかと錯覚する程、記憶の中にある景色と何も変わらなかった。
腰を曲げて座ってうちわを片手に持っているおばあちゃんも、何も変わらない。
いったいいつから二人は〝懐かしい〟を語り合えるようになったのか、もうわからない。
前回来た時は芸能人だとバレないようにビクビクして縮こまっていた。それを思い出した詠は、肺いっぱいに息を吸った。
「こんにちはー」
「はい、こんにちは。あらー、別嬪さんねぇ。あの子によー似とる。……誰やったかいね。あの、そうそう。〝咲村詠〟ちゃんね。時代劇しよった子よ。昨日もテレビに出とった」
駄菓子屋のおばあちゃんの言葉に、詠は今度こそと笑顔を浮かべた。
それから二人はそれぞれ、好きな駄菓子を選んだ。
「高校生になったし贅沢しよ」
そう言って響が手に取ったのは、以前来た時には選ばなかった凍らせた大きなゼリー。
「店の中もアイスケースの中身も全然変わらないね。あれから何年たったんだっけ?」
「小学六年生の時だから、四年ぶりじゃない?」
「もうそんなに前になるんだね。全然実感ないや」
そうは言ったものの、バレないようにと縮こまっていたのだからそれくらいの年数はたっているのかと納得する。
そしてまた、響の優しさに気が付く。きっとその間響は、なるべく人目に触れない場所を選んでくれていたのだろう。
駄菓子屋リベンジができた気になって気分がよかったが、実感がないくらいに響と過ごす時間が短いのだと嫌でも認識してしまう。
「ありがとうね」
駄菓子屋のおばあちゃんの声を背に聞きながら、袋に入った駄菓子を見つめて歩く。
あの頃はまだ二人でビーチフラッグや鬼ごっこをしていた。ここでの出来事を思い出していると、なんだか無性に泣きたくなる。
「暑いね」
この言葉で自分の感情を誤魔化すようになったのは、一体いつからだろう。
「詠」
「なに? やっ、冷たいっ!!」
響は凍ったゼリーを詠の頬に押し付けた。詠は響と距離を取ると、冷たい自分の頬に手を当てて温めた。
「びっくりした!」
「感傷的になりすぎだよ」
ぼそりと呟く響の言葉に詠が息を呑んだのも束の間、響は笑って再びゼリーを詠の頬に押し付けた。
詠は必死になって響の手を掴んでゼリーが頬に触れる事を阻止する。
「冷たいって!!」
「暑いって言ってたから冷やしてあげようと思って。俺、優しいから」
詠は隙を見て袋から凍ったゼリーを取り出すと、響の首元に押し付けた。
周りから見れば完全にイチャイチャしているカップルだろうが、今はどうでもいい。どちらが相手に手元の凍ったゼリーを押し付けるのかについては本気だった。
詠は一旦響と距離を置こうとしたが、響は詠の手首を握って引き戻した。
二人の距離が一瞬で縮まって、二人はしばらく近い距離で見つめ合っていた。
今この瞬間だけは、誰にも邪魔されたくない。
そんなバカげた事を、考えている。
「逃げるのは反則」
「何そのルール」
「今作った」
そう言うと響は再び詠にゼリーを押し付けたが、詠は両手で響の手を握る。
「手加減してやろうとか思わないの!?」
「勝負に手加減とかないから」
「響はいっつもそう、」
「詠ちゃんも響も、久しぶりー!」
詠と響が声のした方を見ると、笑顔で手を振る颯真と颯真を止めようとする鈴夏がいた。
響と詠と目が合った鈴夏は申し訳なさそうな顔をしたあと、眉を下げて笑う。
詠は弾かれたように響から離れて何事もなかったという顔で響から距離を取ろうとするも、響は離れようとする詠の手を握った。
「ひっ、久しぶり。……颯真くん、鈴夏ちゃん」
「うん。久しぶりだね、詠ちゃん。……あの、ごめんね」
鈴夏はちらりと二人の手に視線を移したが、すぐにそらして気付かないふりをしながら、申し訳なさそうにそうに言う。
笑顔の颯真が、詠と響が手をつないでいる事に気付いている様子は微塵もない。
「今年も来てたんだ、詠ちゃん。ところで響さー、いっつも思ってたけど学校以外では本当全然会わないよな?」
「なんでだろうね。夏休みは毎年毎年毎年会うのに」
「……去年も会ったっけ?」
二人がそんな会話をしている間に詠は響の手を離そうと試みるが、響はしっかりと詠の手を握って離さない。
「せっかく詠ちゃんも来てるんだから、四人で海でも、」
「行かない。今日から二週間、朝から晩まで予定全部埋まってるから」
「……響、めっちゃ多忙じゃん」
響の言う事を真に受けて唖然としている颯真に、詠は思わず笑う。
「颯真、もう行こう」
「えーもう?」
鈴夏の提案に颯真は「せっかく会えたのにー」といじけた様子で文句をいう。
「本当にわからないの? 私達今、二人の邪魔してるんだよ」
困った様子でそう告げる鈴夏から告げられた言葉の意味を、颯真は頭の中でロード中の様子だ。
鈴夏はもう吹っ切れたんだろうか。詠にとっては非日常のこの場所は、響や鈴夏にとっては日常の真ん中で。
そう考えると、鈴夏の持っていた感情が成長と共に変わっていくことは当然に思えた。
颯真はやっと状況の整理が終わったのか、響と詠の繋がれた手を見た後、響の顔を見た。
「え、何。とうとう? 付き合った?」
「そんなんじゃないって」
「そっか。そうだよな。滅多に会えないんだよな」
颯真は小さな声で考えるようにそう呟いた。はたから見れば、カップルに映るだろう。
しかし二人は一年という長い期間の中で、たった二週間しか一緒にいる事が許されない。
「いや! でも! 手!!」
詠が考え事をしていると、颯真は繋いでいる二人の手を指さした。
「付き合ってないと手を繋いだらダメなんてルールはない」
「ええっ? ちっ、違うの……? 大人……」
響の言葉に打ちのめされたのかみっともなく呟く颯真を、鈴夏は「ごめんね本当に」と謝りながら引きずる形でどこかへ連れて行った。
「毎年毎年、本当に騒がしいな」
一歩踏み出しながらそう言った響が、手を離そうと力を緩めたのが分かった。詠が反射的にその手をしっかりと握ると、響は立ち止まった。
響は、何も喋らない。
どんな顔をしているのかわからないが、きっと驚いているだろう。そう考えると途端に恥ずかしくなった。それをぐっとこらえて、ごちゃごちゃと頭にいろいろと浮かぶ前に口を開いた。
「もう少しだけ、ダメかな。手、繋ぐの」
まとまりのない言葉を発すると、響は離しかけていた詠の手をしっかりと握った。そして、引っ張る様にして先に歩き出す。
「行こ」
お互い顔を見ないようにして歩いた。
「暑いな」
「うん、暑いね」
二人はそう言うと、確かめるようにしっかりと互いの手を握った。
その日は一日、手を繋いでいた。
夏がずっと、終わらなければいいのに。