今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った
夏祭りのお裾分け
次の日から二人は、確実に人目がない場所で手を繋いだ。
「どこに行きたい?」
そう問いかける響に、詠はなるべく人気のない場所を選んだ。
「次は響が決めて」
詠が言って響が答えるのもまた、詠と同じような場所。
夏が駆け足で過ぎていく。振り返れば響と過ごしたひと夏は、あっという間。
もう、最終日。
二週間の内で唯一、夜まで出歩く口実を作れる日。きっと響も、自分と同じ嘘をつくという確信があった。
夏がもう終わってしまう。
いつもいつも、夏は短い。
「響は何かしたい事ある? って言ってももう暗くなるし、できる事なんてそんなにないけど」
日が落ちる頃、小学校に背を向けて畦道を歩きながら詠は響に問いかけた。
「なんでもいいよ。詠と一緒なら」
その言葉に詠は思わず笑みを浮かべて「私も」と返事をした。
二人は一体、どこに向かっているんだろう。
それを確かめるには、夏は短すぎる。
だけど、もしもっと長い間一緒にいられるとしても、今思っている事と同じことを思う気がした。
響と一緒にいる時間は短すぎる、って。
「響ー! 詠ちゃーーん!!」
後ろから聞こえた大きな声に二人が振り返ると、颯真と鈴夏が大きく手を振って走ってきた。二人は手にビニール袋を持っている。
「二人ともどうしたの? そんなに急いで」
息を整える二人に詠が問いかけると、鈴夏はビニール袋を詠に差し出した。
「これ、よかったら」
颯真も鈴夏と同じようにビニール袋を響に差し出す。
詠と響はそれぞれビニール袋を受け取った後、中を覗いた。袋の中にはりんご飴やラムネ、やきそばに水ヨーヨーまで。夏祭りの屋台で売っているものが入っていた。
「わざわざ、どうして……」
響は持っている袋から顔を上げると、驚いた顔で鈴夏と颯真を見ている。
「二人ともいつも、夏祭りに参加しないでしょ。だから私達から、夏祭りのお裾分け」
鈴夏はそう言って額ににじんだ汗をぬぐいながら笑った。
詠は泣きそうになる気持ちをぐっとこらえた。
二人の心遣いは夢心地のようなこの場所、日常から外れた田舎の中に自分がいてもいいと許されたような、そんな気がしたから。
「ありがとう、鈴夏ちゃん。颯真くん」
「ありがとう」
詠と響は顔を見合わせた後、二人に向かってそういった。
「いえいえ。じゃあ二人とも、またね」
鈴夏はそう言って先に踵を返した。颯真は響の肩にポンと手を置いた。響はきょとんとした顔をして、胸を張る颯真の顔を見ている。
「響」
「うん」
「頑張れよ!」
「……なにを?」
颯真はそう言うと満足気な様子で数回うなずいて、振り返りながら手を振って走る。鈴夏に追いついた後は前を向いて歩いていた。
「俺はなにを頑張ればいいんだろう」
「颯真くん、『今日から二週間、朝から晩まで予定全部埋まってる』って響の言葉まだ信じてるんじゃない?」
「嘘だろ。アイツそんなアホだっけ。……アホか」
響はそう言うと少し笑って、持っているビニール袋を見た。
「でも、いい友達だな」
しみじみとそういう響に、初めて嫉妬する気持ちが生まれる。
こんな素敵な友達を持つ響が、少し羨ましい。
「本当にね」
しかし幸せそうな響を見ていると思わず笑顔がこぼれる。二人は視線を合わせた後、軽く笑い合って、どちらからともなくまた畦道を歩いた。そして神社の鳥居をくぐって、いつも響が座って待っている石段の中間地点に腰かけた。
「何から食べる?」
「たこ焼き!」
「はい」
響は詠にたこ焼きと割りばしを差し出した。詠は鈴夏から貰ったビニール袋からペットボトルのお茶を取り出す。やはり鈴夏はどこまでも気の利く人だと感心した。
互いにお裾分けをしながら、詠はたこ焼きを、響は焼きそばを食べ終えて、二つ入っていたりんご飴をそれぞれがかじった。
「一気に夏祭りだな」
響はそう言って、もう一度りんご飴をかじる。
詠はいつか夏祭りに行かないのかと問いかけた時に響が言った『俺は夏祭りよりも、詠と一緒にいる方が楽しいし』という言葉を思い出していた。
「……嬉しかったな」
自分の口から出た言葉が鼓膜を通って初めて、詠は思っている事を言葉にしていた事に気が付いた。
「多分俺も今、同じこと考えてる」
焦りや羞恥心が詠の中に沸き上がるより前に、響は落ち着いた口調でそう答えた。
「ねえ響」
「なに?」
「響はさ、東京に興味はないの?」
何気ない会話の様に聞こえていたらいい。
この雰囲気に絆されて、ほんの少しだけ踏み込んでみようと思った。うまく説明できないが、もしかすると鈴夏と颯真に勇気をもらったのかもしれない。
「興味はないな。行きたいって思った事ないし」
「そっか」
「こんな田舎だけど、俺は結構気に入ってるから」
響はこういう時、取り繕う嘘を言わないと詠は知っていた。
二人はそれから喋らないままりんご飴を食べ終えて、ラムネを飲みながらたこ焼きと、鈴の形をしたベビーカステラを食べた。
響はガサゴソとビニール袋を漁って水ヨーヨーを二つ取り出した。響は緑の水ヨーヨーを自分の手元に残して、ピンクの水ヨーヨーを詠に差し出した。
「水ヨーヨー選んだの、絶対颯真くんだよね」
「絶対そうだな。鈴夏はこんな邪魔になりそうなもの入れないと思う」
『邪魔になりそう』なんて辛辣なことを言いながら、水ヨーヨーを見る響の顔はすごく優しくて、それから嬉しそうで。
詠が水ヨーヨーの輪ゴムに指を通して動かすと、響も同じように遊んでいた。
辺りはすっかり暗くなっていた。そろそろ帰らなければいけない。
最後のつもりで、自分の指に輪ゴムを通したまま響の腹部に向かって水ヨーヨーを投げた。すると詠の投げた水ヨーヨーは響の持っていた水ヨーヨーの輪ゴムに絡まって動きを止めた。
「ごめん。絡まっちゃった」
「あー、俺まだ遊んでたのに」
わざとらしく、響は言う。
「ごめんって。すぐ取るから」
詠は笑いながら絡まった輪ゴムを解くために、響の方へ身を寄せた。
響は何も喋らなくなった。
「怒ってるの? こんなことで」
「詠」
茶化すように響く詠の声とは対照的に、響は胸の内にしみこんでいきそうなくらい優しい声で詠の名前を呼ぶ。
詠が返事をするより前に、響は水ヨーヨーに指を通していない方の手で優しく詠を抱きしめた。
身を固くして、されるがままに、響に身を委ねている。
心臓の音がうるさい。
もしかすると響に聞こえているんじゃないか。
そんなことを本気で考えていた。
「まだ輪ゴム、取れてない」
恥ずかしさを隠す為に、思ってもいない事を口にする。
そんな事、本当はどうでもいいくせに。
「うん。知ってる」
響は首を傾けて、さらに詠との距離を縮めた。
詠は水ヨーヨーを持っていない方の腕を、響の背中に回した。
気持ちが重なっている。
何を言わなくても、ちゃんと、全部、わかっている。
人生の閑話のような東京での日常も、仕事も、名残惜しい夏も、ぜんぶぜんぶ、この瞬間の為の伏線だったのではないかと錯覚するほど。
この生きた心地さえ消え失せる多幸感は、どれだけ言葉を尽くしても到底、表現できない。
こんな気持ちがあるなんて、知らなかった。
「まだ、一緒にいたいね」
詠はそういった後、響の返事を聞くより前にもう少し近付こうと身体を動かした。
詠の足にラムネ瓶が触れて、その途端、カラン! と一度立った大きな音に、二人はびくりと肩を浮かせて離れた。
それから、カランカランと少し重たい音を立てて振り子のような動きを繰り返したラムネ瓶は、二人の視線を浴びている最中に留まった。
「びっくりした」
二人は同じタイミングで同じ言葉を言って、深く息を吐く。そして軽く笑い合った。
「帰らないとな」
結局今年も、響がその言葉を言う。
響は立ち上がると、ゴミをビニール袋に突っ込んだ。
それから二人は手を繋いで畦道を歩いた。これから先の未来、どうしたらいいのかわからないのはきっと、お互い様だ。
「もう夏、終わっちゃうね」
「そうだね」
畦道の終わりで二人は視線も合わせないまま、最後の最後まで体温を確かめるようにゆっくりと手を離して、それから向き合った。
「また来年、待ってる」
「うん。約束ね」
そう言うと二人は小指を絡めて、ゆっくりと離した。
また今年も、夏が終わった。
まだこんなに、暑いのに。
「どこに行きたい?」
そう問いかける響に、詠はなるべく人気のない場所を選んだ。
「次は響が決めて」
詠が言って響が答えるのもまた、詠と同じような場所。
夏が駆け足で過ぎていく。振り返れば響と過ごしたひと夏は、あっという間。
もう、最終日。
二週間の内で唯一、夜まで出歩く口実を作れる日。きっと響も、自分と同じ嘘をつくという確信があった。
夏がもう終わってしまう。
いつもいつも、夏は短い。
「響は何かしたい事ある? って言ってももう暗くなるし、できる事なんてそんなにないけど」
日が落ちる頃、小学校に背を向けて畦道を歩きながら詠は響に問いかけた。
「なんでもいいよ。詠と一緒なら」
その言葉に詠は思わず笑みを浮かべて「私も」と返事をした。
二人は一体、どこに向かっているんだろう。
それを確かめるには、夏は短すぎる。
だけど、もしもっと長い間一緒にいられるとしても、今思っている事と同じことを思う気がした。
響と一緒にいる時間は短すぎる、って。
「響ー! 詠ちゃーーん!!」
後ろから聞こえた大きな声に二人が振り返ると、颯真と鈴夏が大きく手を振って走ってきた。二人は手にビニール袋を持っている。
「二人ともどうしたの? そんなに急いで」
息を整える二人に詠が問いかけると、鈴夏はビニール袋を詠に差し出した。
「これ、よかったら」
颯真も鈴夏と同じようにビニール袋を響に差し出す。
詠と響はそれぞれビニール袋を受け取った後、中を覗いた。袋の中にはりんご飴やラムネ、やきそばに水ヨーヨーまで。夏祭りの屋台で売っているものが入っていた。
「わざわざ、どうして……」
響は持っている袋から顔を上げると、驚いた顔で鈴夏と颯真を見ている。
「二人ともいつも、夏祭りに参加しないでしょ。だから私達から、夏祭りのお裾分け」
鈴夏はそう言って額ににじんだ汗をぬぐいながら笑った。
詠は泣きそうになる気持ちをぐっとこらえた。
二人の心遣いは夢心地のようなこの場所、日常から外れた田舎の中に自分がいてもいいと許されたような、そんな気がしたから。
「ありがとう、鈴夏ちゃん。颯真くん」
「ありがとう」
詠と響は顔を見合わせた後、二人に向かってそういった。
「いえいえ。じゃあ二人とも、またね」
鈴夏はそう言って先に踵を返した。颯真は響の肩にポンと手を置いた。響はきょとんとした顔をして、胸を張る颯真の顔を見ている。
「響」
「うん」
「頑張れよ!」
「……なにを?」
颯真はそう言うと満足気な様子で数回うなずいて、振り返りながら手を振って走る。鈴夏に追いついた後は前を向いて歩いていた。
「俺はなにを頑張ればいいんだろう」
「颯真くん、『今日から二週間、朝から晩まで予定全部埋まってる』って響の言葉まだ信じてるんじゃない?」
「嘘だろ。アイツそんなアホだっけ。……アホか」
響はそう言うと少し笑って、持っているビニール袋を見た。
「でも、いい友達だな」
しみじみとそういう響に、初めて嫉妬する気持ちが生まれる。
こんな素敵な友達を持つ響が、少し羨ましい。
「本当にね」
しかし幸せそうな響を見ていると思わず笑顔がこぼれる。二人は視線を合わせた後、軽く笑い合って、どちらからともなくまた畦道を歩いた。そして神社の鳥居をくぐって、いつも響が座って待っている石段の中間地点に腰かけた。
「何から食べる?」
「たこ焼き!」
「はい」
響は詠にたこ焼きと割りばしを差し出した。詠は鈴夏から貰ったビニール袋からペットボトルのお茶を取り出す。やはり鈴夏はどこまでも気の利く人だと感心した。
互いにお裾分けをしながら、詠はたこ焼きを、響は焼きそばを食べ終えて、二つ入っていたりんご飴をそれぞれがかじった。
「一気に夏祭りだな」
響はそう言って、もう一度りんご飴をかじる。
詠はいつか夏祭りに行かないのかと問いかけた時に響が言った『俺は夏祭りよりも、詠と一緒にいる方が楽しいし』という言葉を思い出していた。
「……嬉しかったな」
自分の口から出た言葉が鼓膜を通って初めて、詠は思っている事を言葉にしていた事に気が付いた。
「多分俺も今、同じこと考えてる」
焦りや羞恥心が詠の中に沸き上がるより前に、響は落ち着いた口調でそう答えた。
「ねえ響」
「なに?」
「響はさ、東京に興味はないの?」
何気ない会話の様に聞こえていたらいい。
この雰囲気に絆されて、ほんの少しだけ踏み込んでみようと思った。うまく説明できないが、もしかすると鈴夏と颯真に勇気をもらったのかもしれない。
「興味はないな。行きたいって思った事ないし」
「そっか」
「こんな田舎だけど、俺は結構気に入ってるから」
響はこういう時、取り繕う嘘を言わないと詠は知っていた。
二人はそれから喋らないままりんご飴を食べ終えて、ラムネを飲みながらたこ焼きと、鈴の形をしたベビーカステラを食べた。
響はガサゴソとビニール袋を漁って水ヨーヨーを二つ取り出した。響は緑の水ヨーヨーを自分の手元に残して、ピンクの水ヨーヨーを詠に差し出した。
「水ヨーヨー選んだの、絶対颯真くんだよね」
「絶対そうだな。鈴夏はこんな邪魔になりそうなもの入れないと思う」
『邪魔になりそう』なんて辛辣なことを言いながら、水ヨーヨーを見る響の顔はすごく優しくて、それから嬉しそうで。
詠が水ヨーヨーの輪ゴムに指を通して動かすと、響も同じように遊んでいた。
辺りはすっかり暗くなっていた。そろそろ帰らなければいけない。
最後のつもりで、自分の指に輪ゴムを通したまま響の腹部に向かって水ヨーヨーを投げた。すると詠の投げた水ヨーヨーは響の持っていた水ヨーヨーの輪ゴムに絡まって動きを止めた。
「ごめん。絡まっちゃった」
「あー、俺まだ遊んでたのに」
わざとらしく、響は言う。
「ごめんって。すぐ取るから」
詠は笑いながら絡まった輪ゴムを解くために、響の方へ身を寄せた。
響は何も喋らなくなった。
「怒ってるの? こんなことで」
「詠」
茶化すように響く詠の声とは対照的に、響は胸の内にしみこんでいきそうなくらい優しい声で詠の名前を呼ぶ。
詠が返事をするより前に、響は水ヨーヨーに指を通していない方の手で優しく詠を抱きしめた。
身を固くして、されるがままに、響に身を委ねている。
心臓の音がうるさい。
もしかすると響に聞こえているんじゃないか。
そんなことを本気で考えていた。
「まだ輪ゴム、取れてない」
恥ずかしさを隠す為に、思ってもいない事を口にする。
そんな事、本当はどうでもいいくせに。
「うん。知ってる」
響は首を傾けて、さらに詠との距離を縮めた。
詠は水ヨーヨーを持っていない方の腕を、響の背中に回した。
気持ちが重なっている。
何を言わなくても、ちゃんと、全部、わかっている。
人生の閑話のような東京での日常も、仕事も、名残惜しい夏も、ぜんぶぜんぶ、この瞬間の為の伏線だったのではないかと錯覚するほど。
この生きた心地さえ消え失せる多幸感は、どれだけ言葉を尽くしても到底、表現できない。
こんな気持ちがあるなんて、知らなかった。
「まだ、一緒にいたいね」
詠はそういった後、響の返事を聞くより前にもう少し近付こうと身体を動かした。
詠の足にラムネ瓶が触れて、その途端、カラン! と一度立った大きな音に、二人はびくりと肩を浮かせて離れた。
それから、カランカランと少し重たい音を立てて振り子のような動きを繰り返したラムネ瓶は、二人の視線を浴びている最中に留まった。
「びっくりした」
二人は同じタイミングで同じ言葉を言って、深く息を吐く。そして軽く笑い合った。
「帰らないとな」
結局今年も、響がその言葉を言う。
響は立ち上がると、ゴミをビニール袋に突っ込んだ。
それから二人は手を繋いで畦道を歩いた。これから先の未来、どうしたらいいのかわからないのはきっと、お互い様だ。
「もう夏、終わっちゃうね」
「そうだね」
畦道の終わりで二人は視線も合わせないまま、最後の最後まで体温を確かめるようにゆっくりと手を離して、それから向き合った。
「また来年、待ってる」
「うん。約束ね」
そう言うと二人は小指を絡めて、ゆっくりと離した。
また今年も、夏が終わった。
まだこんなに、暑いのに。