今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った
高校3年生、夏

世界のぜんぶが夏ならいいのに

 結局何も決めきれないまま、夏は来る。

 石段のいつもの場所から詠を見つけた響は嬉しそうに、それでいてどこか悲しそうに笑う。
 また一つ、響は大人になったと思う。

 詠は社殿に手を合わせながら考えた。
 神様がいるのなら、響と自分の将来を知っているのだろう。もし知っているのなら、教えてほしいと思った。

 もし東京で暮らすとして、響は来年もこの場所で待ってくれているだろうか。

「最終日の夜、花火しようよ」

 石段を降りていつものように家に向かう途中で響が言う。
 毎年夜に祖父母が花火を準備してくれているが、東京で花火をしたのは、保育園の頃のお泊り保育と小学校になってから小梢とした二回だけ。

「うん。やりたい」

 響の祖母に挨拶をした後、響の両親に線香を上げて、ご飯を食べて、縁側で麦茶を飲む。
 この流れが当たり前になったのはいつからで、将来について話をしなくなったのはいつからだろう。

 穏やかに夏が過ぎていく。
 いつも通りの夏だ。
 一緒にいられることが堪らなく嬉しくて、それなのに減っていく時間を悲しく思う。

 互いの知らない時間を埋めるような会話をするようになったのは、一体いつからだろう。

 思い出せない。
 もう、どんな気持ちで夏を過ごしていたのか、よく思い出せない。

「ねえ、響。タイムカプセル作らない?」
「タイムカプセル?」
「あの神社に埋めるの。忘れた頃に二人で開けるってどうかな?」
「うん、いいよ」

 タイムカプセルなんて……と響は気乗りしない様子を見せると思っていたが、どうやら見当違いだったらしい。

 意見がぶつかった時になんだかんだと言いながら響が譲るのはいつもの事だが、今回に限っては胸騒ぎを誘発した。

 響はもしかすると、大きな覚悟を決めたのかもしれない。

 例えばもう、次の夏からは会わないとか。
 響の考えていることは大体わかるはずだったのに、わからない事が増えたのは一体いつからだろう。

「ちょうどよさそうなのがあった」

 縁側に座りながら麦茶を飲んでいると後ろからそう言われ、グラスを口から離して振り返った。
 響は詠に群青色の長方形のお菓子の缶をテーブルに置いた。それから響は廊下側から客間を出ると玄関の方へと歩いて行った。それを視線で見送った後、詠は客間を見回した。

 毎年来ているこの客間をゆっくりと眺めたのは、多分小学5年生で初めてこの家に来た時以来。
 何一つ変わっていない。掛け軸も、置物も。
 それなのに一体いつからこんなにぎこちなくて、お互いに探り合いながらも見て見ぬふりをするようになったのだろう。

「紙、何もないからこれでいい?」

 そう言いながら響が持ってきたのは、よく見慣れた大学ノート。

「響もそのノート使ってるんだ」
「定番じゃない?」

 共通点を見つけた気がして嬉しいなんて、子どもじみていると笑われてしまうだろうか。

 響の日常を知らない。
 誰とどんな道を通って学校に行って、どんな態度で授業を受けて、放課後はどんな風に過ごすのか。

 たった二週間の夏。
 それ以外の響を知らない。
 知りたいと思ったことが頭の中を一周しているうちに喉元で絡まるようになったのは、一体いつからだろう。

「タイムカプセルを埋めるんやってね、詠ちゃん」

 響の祖母は茶の間から顔を出して言いながら、響がテーブルに向かって座る客間を通って詠のいる縁側まで来ると、詠に封筒を二枚手渡した。それは千代紙でできていて、ちょうど写真が入るくらいのサイズ。紙が重なっている部分がわずかに湿っていた。

「可愛い。これ、響のおばあちゃんの手作りですか?」
「そうよ。さっき響ちゃんに聞いたから、急いで作ったから。よかったら使って」
「ありがとうございます。すごく嬉しい」

 詠がそう言って笑うと、響の祖母は優しい笑顔を浮かべる。

「ちょっと出るから、ゆっくりして行ってね」

 響の祖母はそう言うと、また茶の間と客間を分かつ襖を締め切った。
 詠は麦茶のグラスを片手に立ち上がる。

「何枚?」
「二枚ほしい」
「おっけー」

 響は詠がテーブルに座った事を確認すると、二枚の紙と三色ボールペンを滑らせるように差し出した。

「ありがとう。封筒、私こっちでもいい?」
「いいよ」

 詠は紙とペンと封筒を一枚手に取る。以前、夏祭りの時に着せてもらった浴衣の柄になんとなく似ている封筒だった。立ち上がってから、足早に廊下側のテーブルの端に移動した。

「響、見ないでね」
「そんな悪趣味な事しない」

 こちらを見もせずにそういう響に安心して、さっそく黒のボールペンを出す。

 しばらく悩んで、現在自分が悩んでいる事、未来の自分に対する問いかけ、そして最後に今の想いを書いた。

 文字を中央に寄せて書いて、青と赤のボールペンで動物やら花やら適当にイラストを散りばめる。書き終わって紙を四つ折りにしてから封筒に入れた。

 そしてもう一枚の紙には、自分の名前と電話番号を書いた。
 どうして今になってそうしようと思ったのか。それはおそらく、響のいつもと違う様子を察したからだ。
 詠はそれを小さく折ってポケットに突っ込んだ。それからちらりと響を見た。彼はペンすら持っていない。

「書かないの?」
「何書いたらいいのかわからない」
「好きな事書いたらいいじゃん。誰に見られる訳でもないんだから」
「好きな事って言われても……」

 どうやら響はこういう作業が苦手らしい。
 詠は響の隣にペンを持って移動すると、自分の紙にも書いたイラストを響の横線だけのシンプルな紙に書いた。

「早く書かないと、この紙がどんどんイラストで埋まります」
「何それ」
「追い詰められたら書く気になるかと思って」

 そう言いながら詠は下から上に向かってどんどんとシュールな絵を書いていく。

「俺もうこれでいいよ」
「いい訳ないじゃん。これ、未来の響が読むんだよ?」
「じゃあ離れといてよ。なんか書きづらい」

 そう言うと響はしぶしぶと言った様子で紙にペン先を付けた。
 詠は顔を逸らしてから、響を見ないようにして先ほどまでいたテーブルの端にゆっくりと移動する。詠が元の場所に戻って振り向くころには、響は封筒に折り畳んだ紙を入れていた。

「はやいよ、響。本当に書いた?」
「書いた書いた。いいんだよ。どうせ俺が見るんだから」
「夢がないなー。響は」

 響がお菓子の缶の中に手紙を入れる。テキトーに折りたたんだのか、響の封筒は詠のものよりも膨れていた。やる気ないなと思いながらも口には出さず、詠も同じように缶の中に手紙を入れた。

 響は缶の蓋を閉めると、ノートとペンを持って立ち上がった。
 詠は何となく響に続いて客間を出た。お気に入りの廊下を左に曲がった正面。玄関から入ってすぐが、響の部屋。

「響の部屋、なんか久しぶり~」
「いつも客間とか庭ばっかりだしね」

 客間同様和室の響の部屋は、凄くシンプル。
 勉強机とベッドだけが広い室内にポツリと浮いているようにも見える。響の机の上には、折り畳みの携帯電話が置いてあった。響が携帯電話を持っていたなんて知らなかった。

 携帯を持っているなら、どうして教えてくれなかったんだろう。
 ズキズキと胸が痛んで、どうしようもない。

「前までは結構ごちゃごちゃしてたのにこんなに綺麗になって……。私は嬉しいよ」
「どっから目線だよ、それ」
「勉強道具とか、服とかないの?」
「ごちゃごちゃしてるのイヤだなって思ったから、全部しまってるだけ。押し入れの中にあるよ」

 響はそう言うと、勉強机の上にノートとペンを置いた。
 この空間で生活している響は、どんな顔をしているんだろう。
 この空間に女の子が入った事はあるのだろうか。

 何か考えるより先に、振り返った響に抱き着いた。
 彼は少しバランスを崩して机に片手を付くと、動きを止めた。
 詠は少し身を屈めていた届く距離にいる響の唇にゆっくりと顔を寄せた。
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