今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った

線香花火

 響はすぐに、顔をそらした。

「ここ、どこかわかっててやってる?」
「わかってる」
「ならタチ悪いよ」
「響ならいいって思ってる」
「……詠、男見る目なさすぎる」
「私は響がいい」

 一年以上、ずっとうじうじと考え続けている。
 東京にいたって答えは出ない。答えは出ないが、自分の気持ちはわかっていた。

 響と一緒にいたい。
 だから勢いに任せたら、後は全て決められるはずで。

「ダメだよ」

 断定的な言葉を使う割に、響の言葉の響きには葛藤と優しさがぐちゃぐちゃに混ざっていた。

「詠。俺、大切にしたいって思ってるよ。詠の事」

 響の〝大切〟はきっと、自分の欲しい〝大切〟とは違う。
 自分の言動がなければ詠がこの田舎で暮らす決断はできない。響がそう思っているという確信が詠にはあった。

 だからきっと響は、今夜、さようならを言う。

「大切に思ってるなら、応えてよ」

 響の目をまっすぐに見つめて、目を閉じて、距離を詰める。

 きっと拒絶されない。
 そんな確信。

「ただいまー」

 カラカラと鳴りながら開いた玄関と一緒に聞こえてくる、響の祖母の声。
 詠は思わず響から距離を取ったが、響は詠を引き戻して抱きしめた。

「ちょっと、響……!」
「静かにしてて」

 響が耳元で囁く。詠は思わず身を固くして、それから熱くなった。
 きっと赤くなっているであろう顔を響に見られないように、詠は響の胸元に顔を埋めた。

 響の祖母は「疲れたねー」と独り言をつぶやきながら、玄関から廊下をまっすぐに通る。
 襖の開け放たれた響の部屋でピクリとも動かない二人を一瞥することなく通り過ぎた。

 足音が段々遠くなって行く。響は長い息を吐いたが、詠は未だに緊張して身を固くしていた。
 こんな調子になるのに、よく響にキスをしようとして知らないその先まで求めようとしたなと、自分で自分に呆れるくらい。

「埋めにいくよ、タイムカプセル」

 誘った自分よりも、誘われた響の方がずっと、余裕があるように見えた。

 響の言葉にうなずいて二人で客間に戻ると、響はお菓子の空き缶を手に取った。
 離れの蔵にある園芸用のよく見るスコップを取った後、二人は神社に向かった。

 それから落ち着きを取り戻した感覚が、身体中を気だるくさせる。

「暑い」

 詠は考えてもいない言葉を、ほとんど無意識に口にした。

「うん。暑い」

 しかし響は、それにいつも通り返事をする。
 まるで先ほどのごたごたなんて、何もなかったみたいに。

 あっという間に神社について、響は自分がいつも背を預けて座っている石灯篭のすぐそばに、二人で大きな穴を掘った。

 出会った年も含めれば、小学五年生の夏から八年。
 日数で換算すれば、一緒にいる時間は四か月にも満たない。
 互いの本質的な部分はよく知っている。それでも、お互いの日常はなにも知らない。

 タイムカプセルを埋め終わった後、響はどうせ掘るときに使うからと、家から持ってきたスコップを物置小屋に入れた。
 それから二人は石段に腰かけた。風を感じる。葉が他の葉に触れて鳴る音が心地いい。

「花火は物置小屋に入れてあるから、このままここで日が暮れるのを待とうか」
「うん」

 頷いた後、大きな風が大きく葉を揺らす。二人はその音を、ただ聞いていた。

「いつ開ける? タイムカプセル」

 詠の問いかけに、座っている石段に深く寄り掛かって木の隙間から見える空を眺めたまま、響は口を開いた。

「大人になったらかな」
「大人って、いつ?」
「さあ。……わかんない」

 一体いつになれば、大人というのだろう。
 誰ならその答えを知っているだろうか。

 それから、他愛ない話をする。
 結局一番好きな駄菓子は何かとか、好きな授業は何かとか。しかしそれは今となっては、酷くわざとらしい気がする。

 辺りが暗くなるのを見計らって、響は物置小屋から花火を取り出した。
 響は詠の持っている花火に、柄が長いライターで火をつける。

 シュワシュワと爆ぜる音がした。

「もう大人がいなくても花火ができる歳になったんだね」
「そうだね」

 響はどこか、ぼんやりとしている。
 その理由は何となくわかっていた。

「響、感傷的になりすぎ」

 そう言うと響は驚いた顔をして、それから呆れたように笑った。

「詠には言われたくないよ」

 それから響は吹っ切れたのか、花火がなくなるまでの時間を笑顔で過ごしていた。

 響が好きだ。
 普通の女子高生でいられたらよかったのに。
 普通の女の子だったら、全部勢いに任せてこの田舎で暮らす決断ができたかもしれないのに。

 でも、普通の女子高生じゃない。

「勝負だよ、響」
「言うと思った」

 二人は最後の花火、線香花火に火をつけた。
 丸い火の玉から火の光が細く伸びて、連鎖して分裂する。
 制止させてみれば雪の結晶のような。
 あえて下を向いて咲いた花のような。

「詠、今年で最後にしよう」

 思っていた通りの言葉を思った通りのタイミングで響が言うから、詠は線香花火から視線を逸らさずに口を開いた。

「どうして?」

 互いに線香花火から、目をそらさない。

「俺は詠の人生に責任を取れるほど大人じゃないから」
「じゃあ、大人ってなに?」

 問いかける詠に、響は答えない。
 もし大人になったとしても、きっと響はこの田舎に自分を縛り付けるようなことはしない。そんな確信があったから、詠はもう、響の言葉をあてにしてはいなかった。

 ――響の線香花火の方が、先に落ちたら

 響の線香花火の中核がぽつりと地面に落ちた。それから間もなく、詠の線香花火が落ちる。

「響の負け」

 詠の言葉を最後に、辺りを夏の夜の静けさが包んだ。

「私、高校を卒業したらここで生活する」

 詠の言葉がよほど想定外だったのだろう。響は目を開いてしばらく固まっていた。

「……意味わからないよ、詠。なんでそうなったの?」
「私が決めたの」

 響は頭の中がいっぱいなのか、それ以上の言葉が浮かばないらしい。

「おばあちゃん達に頼んでみる。自分で生計を立てるまでは旅館に置いてほしいって」

 怖くないかと言われれば嘘になる。
 ただ、響にここに来ると告げた事で退路を断った気持ちになり、うじうじと悩んでいたものが全て離散する。それは、晴れやかな気持ちで。

「大丈夫。私こう見えて結構器用だし。どんな仕事でもできるよ」

 詠は自分を励ますつもりで明るい言葉を選んだあと、先ほどポケットに入れた電話番号を書いた紙を取り出した。

「……これ、さっき書いたの。響が携帯持ってるって知らなかったから電話番号しか書いてないけど」

 響は小さく折りたたまれた紙を受け取っても、未だに信じられないと言う様子でいる。

「もう私は決めたからね!」

 ここまで言えばきっと響は、自分の本当の気持ちを言うだろう。
 例えば、俺はこの二週間の夏だけで充分、とか。

 この沈黙は、監督のカットの言葉を待っているときと同じ。

 響は深く息を吐きながら笑顔を作った。

「こんな何もない田舎に、全部捨てて来るの?」
「そうだよ。響が好きだから」

 そう言うと響はさっきよりも目を見開いた。

「全部捨ててここに来たいの。でも、もしかしたら上手くいかないかもしれないし、またお芝居がしたくなるかもしれない。その時はその時で考えるよ。それよりも私は後悔したくないの」

 響の腕に包まれていた。頭の中で状況を整理した後で密着する響の体温を明確に感じて、背中に手を伸ばす。
 響の手は詠の後頭部に回って、自分の胸に押し付けるようにして動きを止めた。響が身を縮めるから、身体中が密着して心まで響に包まれている、そんな錯覚。

「気の利いた事ひとつ言えない俺のどこがいいのか、全然わからない」
「言葉になんかしなくても響は私を大切にしてくれているって、ちゃんとわかってる」

 響は少し距離を取ってから詠に唇を寄せようとほんの少し顔を近付けたが、直前でピタリと動きを止めた。

「嫌じゃない、よね?」
「私は嫌じゃないよ。響はさっき嫌がったけどね」
「嫌だった訳じゃないよ」
「私は嫌がっているように見えた」
「じゃあごめん。嫌じゃなかったよ。余裕がなかっただけ」

 そう言うと響は、詠に触れるだけのキスを落とした。
 現実世界から無理矢理引き離されるような感覚。目を閉じているからか、上下左右すらわからなくなって、意識がどこに向いているのさえわからない。
 何の感覚もないのに、心の内側には間違いなく温かいものが生まれていて。

 唇が離れて、至近距離で目が合って、それから顔が赤くなるのを感じて、思わず顔をそらした。でも離れたくなくて、響の肩に頭を預けてみる。すると響は、詠の頭に首をかしげるようにして頭を乗せた。

「顔見れないー」
「俺も」

 冗談めかして言い合った後、軽く笑い合う。

「そろそろ帰らないとね」
「まさか詠から言い出すなんて」
「来年からずっと一緒にいられると思ったら、私だってバイバイくらい言えるよ」

 つい先ほどまでうじうじと考えていたのは何だったのだろうと思うくらい、晴れやかな気持ち。
 次に会う時から、ずっと一緒にいられる。

「好きだよ、響」
「うん。俺も」

 気持ちが通じ合うというのは、人をこんなに浮いた気持ちにさせるのか。〝恋は盲目〟というが、今自分は盲目になってしまっているのだろうか。

「また、来年」
「うん。またね」

 小指をはなした後、少しの沈黙。それから人目がない事を確認した二人は、また触れるだけのキスをする。

 別れるのは当然寂しい。
 しかし、この一年我慢すれば、夏以外の季節の響を知れる。それは別れの悲しみを麻痺させて、詠を浮いた気持ちにさせた。

 詠が振り返ると、響も振り返っていた。
 詠が手を振ると、響も大きく手を振り返した。
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