今日もまた、あの夏の真ん中で死にたいと思った

明るい未来

「響ってさー」
「うん」
「将来の夢とかあるの?」
「将来の夢……」

 響はぼそりと呟くと少し間を開けて口を開いた。

「小学校の先生かな」
「へー。なんで?」
「勉強になりそうだから」

 全然意味がわからない回答に詠は息を漏らしながら笑った。

「先生って勉強を教えるんでしょ? 自分が勉強するの?」
「そう。俺が勉強する」

 頑なに態度を変えない響に、詠はさらに笑った。

「本当に響って変わってる。でも、いい夢だね」
「詠はなに? 将来の夢」
「んー。お嫁さんかな」
「……へー」

 あまりに幼稚な答えだと思ったのか、響は絞り出したような口調で言った。

「引かないでよ。ちゃんとした理由があるんだから。あのね、すごく仲良しな家族を作りたいの」
「仲良しな家族って?」
「うーん。なんでも話し合えてー、心を開いていてー、休日は家族の日で、毎週毎週休みを合わせて楽しい事をする!」
「そっか」

 響は呟いた後、詠の方を見て笑った。

「いい夢だね」

 響の言葉に嬉しくなって、詠は笑顔を返した。

「どうせ相手いないだろうから、響のお嫁さんになってあげようか?」
「いや。大丈夫」
「……大丈夫ってなによ」
「俺には荷が重そうだから」
「そこは〝何があっても俺が君を守るよ〟ってかっこよくいう所なんじゃないの?」
「少女漫画の見過ぎ」

 本当に響は変わっているなと思いながらも、自分も同じくらい変わっている自覚があった詠は大して気にすることなく海を眺めた。

「せっかく海に来たんだから、海っぽい事しようよ」

 詠は響にアバウトな提案をしながら辺りを見回した。

「海っぽい事って?」
「例えばー」

 打ち上げられた木の枝を一本拾った詠は、砂の山を作り中央に木の枝を突っ込んだ。

「うつ伏せから、どっちが早く木の枝を取れるか競争!」
「ビーチフラッグか。俺の勝ちだな」

 響はそう言うと、海水から上がって詠の隣に来た。
 二人は砂で服が汚れる事も気にせずに、木の枝から距離を取って足を向けてうつ伏せになる。

「詠の合図でスタートでいいよ」
「じゃあいくよ。……よーーーい、ドン!!」

 詠は間違いなく響よりも早く身を起こした。いや、ズルだと言われればその通り。それくらいフライングして走り出したはずだ。
 しかし、身を起こしてから駆け出すまでの時間は響の方が早く、詠が麦わら帽子を押さえながら走っている間に砂の山に刺さった木の枝は響の手にあった。

「ちょっと待ってて! 次は勝つから! 自信あるから、私!!」

 そう言いながら麦わら帽子が飛ばされないように砂をかける詠を見た響は、先ほど詠が風に飛ばされないようにと砂に埋めた駄菓子のゴミが入った袋を見た。

「何でも砂浜に埋めるじゃん。そういう生き物みたい」

 本気になった詠は呆れる響をよそに準備体操を始める。

 それから何度も何度も挑戦したが、詠が響に勝つことができたのは彼が砂に足を取られて盛大に転んだ数回だった。
 ここに来た時と同じように、海を眺めながら海水に足を浸して汗が引くのを待っていた。辺りは少しずつ少しずつ、オレンジ色になっていく。

「詠が帰る日の前日、小学校で小さい夏祭りがあるんだけど」
「うん」

 いつも通りの口調でそういう響に、詠は何の気なしに短く答えた。

「一緒に行こうよ」

 響と行く夏祭りが楽しい事なんて、考えなくてもわかる事だ。
しかし、もし誰かにバレたら。この関係は終わってしまうだろう。

 関係が終わってしまうくらいなら、夏祭りなんていらない。しかし、どうして夏祭りにいきたくないのかと問いかけ返されると答えられない。

「……私はいい」
「そっか。詠は夏祭りとか好きだと思ってた」
「好きだよ。でも、浴衣持ってないしさ」
「別に浴衣じゃなくてもいいよ。着たいんだったら、俺の家に母さんが子どもの頃使ってたやつがまだあるよ」
「でも……」
「あんまり行きたくない?」
「ううん、そうじゃなくて……」

 夏祭りは夜にあるのだからきっと暗いだろうし、人もいっぱいいるだろう。あれだけ人がたくさんいる東京のテーマパークに行ったときだって、一日いて一度もバレなかった。
 きっと、誰も気づかない。

「やっぱり行きたい。一緒にいく」

 詠がそう言うと、響は嬉しそうに笑った。

 母の顔色をうかがって生きてきた。芸能界では作家である母親の評判を下げないようにいい子でいたし、周りの大人の機嫌を取ってきた。
 だから人より少し、子どもから卒業するのが早かったのかもしれない。

 いろんな人を見てきた。大人も、子どもも。だからよくわかる。
 響は優しい。きっと誰にでも親切だ。でも響は、おそらく自分が嫌いだと思う人と無理に付き合う人ではない。
 散々わがままを言って困らせているにも関わらず、響は受け入れてくれている。認めてくれているという事実が、例え一年を通して見るとごく短い間なのだとしても、残りの季節を耐えていこうと思わせてくれる。

 響と一緒にいる〝咲村詠〟は、東京で生活をしている物分かりがよくて聞き分けのいい〝咲村詠〟とはまるで違う。わがままで、何でもはっきりと口にして、負けず嫌いを全面に出している。そんなどことなく気が強い女の子。そう自覚していた。

 夏祭りの日はあっという間に来た。二人はいつものように朝から夕方まで遊んで、響の家に行った。響の祖母が用意してくれていた浴衣は客間にあった。クリーム色にオレンジやピンクの花があしらわれた温かいデザイン。響の祖母は「懐かしい」「懐かしい」と言いながら目を細めて、詠に浴衣を着つけた。

「響、どう? 似合ってる?」

 詠は障子を開けて、縁側に座っている響の前でくるくると回って見せた。

「うん。似合ってるよ」
「響のお母さん、凄くセンスいいんだね」

 辺りはぼんやりと暗くなり始めていた。

「お父さんとお母さん、まだ帰ってこないの?」
「帰ってこないね」
「ご挨拶したかったんだけど」
「いいよ。そんなの」

 響は縁側から立ち上がると足元を指さした。

「下駄ここにあるよ。足元、気を付けて」

 詠は響の目の前に勢いよく手を差し出した。響は呆れたように笑った後、詠の手を握る。詠は縁側から足を下ろして、片方ずつ下駄を履いた。

「かわいい?」
「かわいい、かわいい」

 響は詠をあしらうと、立ち上がった詠から手をはなす。
 隣に並んでしばらく歩くと、いつもの石造りの鳥居が右手に見える。

「神社の石段の横にある石のアレ」
灯篭(とうろう)のこと?」
「灯篭って言うんだ。あれ、何に使うの?」
「ろうそくに火をつけて、あの灯篭の中に入れるんだよ」
「へー」

 詠はそう言いながら等間隔で整列した石灯篭を眺めた。

「きっと綺麗だろうね。これ全部光ってたら」
「迫力ありそうだね」

 二人は詠の靴や服などの荷物を一旦置くために旅館へと向かった。夏祭りに向かう人たちにバレないかと心配だったが、幸いにも誰にも気づかれなかった。

 祖父母は詠の浴衣姿に大喜びしてすぐにカメラを探しに行った。「俺はいいです」と言う響をほとんど無理やり詠の隣に並ばせた祖母が写真を撮る定位置に戻る間、二人は顔を見合わせて苦笑いをした。
 旅館のエントランスでも外でも何枚も何枚も写真を撮る。

「ごめんね、響」
「うん。別にいいよ」

 小学校までの道を隣に並んで歩きながら、詠はそういった。
 これくらい暗ければ、大人しくしていればそうそう顔もバレないだろう。

「なんか詠、嬉しそう。夜、出歩くのが嬉しいの?」

 響の純粋な疑問に、詠は咄嗟に口を開いた。

「それもそうだけど、響とお祭りに行けるのが嬉しいの。楽しみにしてたんだもん。響は違うの?」

 つらつらと、流れるように嘘をつく。
 もちろん響とお祭りに行けるのは嬉しい。しかし、顔に出ていた気持ちとは違う。顔に出ていた気持ちは、誰にも〝咲村詠〟だとバレないと思ったから。

 笑顔を貼り付けた裏側で感じるのは、嫌な気持ち。
 響に嘘をついた。
 思っている事とは違う事を口にするこの感覚は、東京にいて大人の顔色をうかがう時に似ている。

「詠、俺に何か隠してる?」

 詠は思わず立ち止まった。
 もしかして、知っているんだろうか。もしかして、探られているのだろうか。それとも怪しまれているだけなのか。
 響は詠が立ち止まってから数歩歩いた後、振り返ってしばらく詠を見ていた。

「なんとなくだけど、詠は何か俺に隠してるのかなって思う時あるよ。今だけじゃなくて。……言いたくなかったら別に聞かない。でも、言いたいことがあるなら聞くよ」

 言ってしまおうか。
 もしかすると、響は認めて受け入れてくれるかもしれない。なんだ、そんな事かって、笑ってくれるかもしれない。

「なんでもない」

 ふわふわと考えがまとまらない頭のまま、詠はほとんど無意識に口を開いた。
 口にしてから思う。そんな確信はどこを探しても見つからない。
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