来世に期待します〜出涸らし令嬢と呼ばれた私が悪い魔法使いに名を与えられ溺愛されるまで〜
 すっかり転がり慣れたふかふかのベッドで、一人ぼーっと虚空を仰ぎ過ごし、夜が更けてようやく私は重い身体を起こした。
「後片付け、しなくちゃ」
 のっそりとベッドから降りると、私は夕食の片づけをしに広間へと向かった。


 ──「え?」
 広間を除けばお皿で埋められていたはずのテーブルの上は綺麗に片づけられ、白いテーブルクロスがしっかりと存在を現していた。

 なんで?
 もしかしてオズ様、食器を下げてくださったのかしら?
 首をかしげながら、私は次に厨房へと足を向けた。


 ──「……おぉ?」
 厨房のドアを開けてみると、流し台に皿は一枚もなく、代わりに脇の方にお皿やグラスが伏せて綺麗に並べられているし、流しの中の野菜くずも全て取ってピカピカに掃除されている。

「お、オズ様、かしら……あれ?」
 ふと視線をずらすと、調理台の上に一枚のカードが置いてあるのが目に入った。

“いつもありがとう。とてもおいしかった”

 ぴっしりと揃えられたオズ様の丁寧な字。
 やっぱりオズ様が片付けてくださったんだ。
 私の仕事なのに。

「明日、オズ様に謝ろう」
 そしてちゃんと話をしよう。
 もやもやしたまま、縺れかかった糸がほどけなくなる前に。

 ──翌朝、私はいつもより早く起きると、昨日余ったわずかなキコの実でパンを焼いた。
 野菜をよく煮込んでスープを作り、果物を綺麗な形に切ってサラダと一緒に盛り付ける。

 昨日の挽回をしたくて。

「何というか……すごい気合入ってるわね、朝から」
「うん。朝から果物の飾り切りだなんてそうそうできるもんじゃないよ。しかもドラゴン……」

 目の前にドンっと置かれた主張激しめのドラゴンの飾り切りを見ながらまる子とカンタロウが言った。

「昨日は迷惑をかけてしまったから……。あの、オズ様、洗い物、ありがとうございました」
「いや、いつもしてもらっているんだ。むしろ、いつもありがとうと言うのはこちらの方だ」

 こんなに言っていただけるなんて。
 私は一人もやもやして、迷惑をかけたというのに……。

「あの、オズ様、私──」
「セシリア。頼みがある」
「え?」

 突然オズ様がパンを皿の上へ置き、真剣な顔で私を見つめた。

「食事が終わったら、私と一緒に来てくれないだろうか?」
「えっ……と、はい。わかりました。お供します」

 今日も視察なのかしら?
 3日連続で視察だなんて、何かあったのかしら?
 私の返事にものすごく複雑そうな表情をすると、オズ様は「ありがとう」とお礼をのべ、再びパンに手を伸ばした。

 ***

「あの、オズ様? トレンシスはこっちじゃないですよ?」
「こっちでいいんだ」
 ジュローデル公爵家周囲の森。
 元フェブリール男爵領方面ともトレンシス方面とも違う、西側へと進んでいくオズ様について歩き続ける。
 もともとの足のリーチの違いがありすぎて、戸惑いながらもついていくのがやっとだ。
 ──、と、突然先を行くオズ様がぴたりと足を止めた。

「……すまない。つい先走って、早くなってしまったな。……手を」
「へ!?」
 唐突に私の手を取ると、オズ様は私の手を引いたまま再び足を進めた。今度は私の歩幅に合わせた速度で。

「あ、あの、手……」
「俺が繋ぎたかった。駄目だったか?」

 少しだけ不安げに私の顔を覗き込むオズ様に、私はあわてて首を横に振ると、オズ様は安心したように「よかった」と微笑した。

 繋がれた右手のぬくもりが、昨日までの冷たさを上書きしていく。

「セシリア」
「はい?」
「……俺は、恋愛ごとに離れていない」
「へ?」
 ゆっくりと歩きながら静かに語り始めた言葉に、私は思わずオズ様を凝視した。
 まさかオズ様から恋愛なんて言葉を聞くことになるとは思っていなかったのだから。

「普通の恋人同士が何をするのか。どうすごすのか。何が正しい行動なのかもあいまいで、未知だ。それゆえ、君を不安にさせたかもしれない。すまない」
「オズ様……」
「決して君のことが嫌いだとか、そういうのじゃない。ただ──」
「ただ?」

 言い淀むオズ様に首をかしげると、オズ様はまっすぐ前を向いたまま歩みを止めることなく重い口を開いた。

「……怖かったんだ。あまり距離を詰めて、君を怖がらせたりしないだろうか。傷つけないだろうか。……君に、嫌われないだろうか、と……」

 私が、オズ様を嫌う?
 並べられたその理由たちはどれも私のことを慮るものだらけ。
 それだけで、昨日までのもやもやした気持ち悪さの中に、すっと風が通っていく。

「あぁ、ついたな」
「へ? ……わぁ……!!」

 木々の間から光が漏れ、光の空間に現れたのは、ぽっかりと開けた光の空間。
 キラキラと光る小さな泉に、女性と男性が寄り添っている白石の像。
 その周りには真っ白い小さな花が風に揺れて咲き誇っている。

「綺麗です……。ここだけ開けているんですね」
「あぁ」
「このお二人は?」

 穏やかにほほ笑んでお互いを見つめあう、仲睦まじい様子。
 ご夫婦かしら?

「俺の祖父母だ」
「祖父母!?」

 ということは、このお二人が王都から追放された公爵様と、公爵様に降嫁して僻地についてきたというお姫様?

「政略結婚だとしても、二人で協力し合いながらここでの暮らしをしていくうちに絆を深めていった祖父母は、たいそう仲が良かった。仲が良すぎて、祖父はここに秘密の泉を作ったんだ。魔法で、決して枯れない花を作り、日中常に光が当たるようこの空間だけに結界を張り木々が侵食しないようにし、その中央に泉と自分たちの像を作り上げた」

 貴族間では政略結婚はよくあることだ。
 その場合、最後まで仮面夫婦となってしまう家庭は多い。
 しかもオズ様のおじい様達の場合は、追放といういらぬオプションまでついた政略結婚。
 そんな中でも二人手を取り合って、わかりあい、絆を深めていったというのは、極めてまれと言える。

「とっても良い関係だったんですね」
「あぁ。だからなのか、俺の両親もとても仲の良い夫婦だった。が、父が母に祖父たちのような像でも建てるかと提案したら却下されたと、父が残念がっていたな」

 遠い昔を思い出すかのように石像を眺めながら、オズ様が目を細める。
 そしてその綺麗な赤い瞳を、今度は私の方へと向けた。

「セシリア」
「はい」
「……俺は、君のことが好きだよ」
「!!」

 穏やかな微笑みに、思わず息を呑む。
 無表情がテンプレでクールなオズ様が少しばかり幼さを帯びて見える。
 そしてそんな私の婚約者様は、正面から私に向かい、私の両手を取って大きく深呼吸した。

「家政婦でも、居候でもない。君は私の、唯一の女性だ。至らぬこともあると思う。気づけぬこともあると思う。だけど、もう決して、君を悲しませないと誓う。その努力も惜しまぬつもりだ。だから、ずっと、俺の隣にいてほしい」

「っ……」

 真剣な表情だというのに耳は真っ赤。
 心なしか、私の手を握るオズ様の手も震えている。

 そっか。
 慣れなくて、どうしたらいいのかわからなくて、手探りなのは私だけじゃないんだ。
 そしてオズ様は、それでも私に向き合ってくれる。
 私はちゃんと、思われてるんだ。

 モヤモヤを吹き飛ばし始めた風が今度は暖かなぬくもりをもって私の中を駆け抜ける。
 寒くない。
 この手も、この身体も。
 オズ様の思いが、ちゃんと伝わったから。
 なら私も、ちゃんと自分の思いを伝えなくちゃ。
 私は意を決して、オズ様をまっすぐに見上げ口を開いた。

「ずっと、私は何だろうって、不安でした。居候で、ご飯を作るために置いてもらっている家政婦みたいなもので、婚約者としての自分がどこにもなくて。離れた距離が、いつまでも冷たい右手が、不安を積み重ねてしまいました。……でも、今オズ様の気持ちを聞いて、それは杞憂なのだと、不安になることはないのだと、そう思ったんです。オズ様、私も、オズ様の隣にいたい。きっとこの先も、時々は不安になったり、ぐずぐずしたりしてしまうかもしれません。でも、気持ちはずっと変わらない。私にとってオズ様は、いつまでも愛する悪い魔法使い様です」

 私がいたずらっぽくそう言うと、不意を突かれたようにオズ様は目を見開くと、やがて目尻をくしゃりと縮めて「ふっ、何だそれ」と笑った。

「ふふっ。私達も石像を作るくらい仲睦まじく暮らしたいですね」
「いや、それは……かなり特殊だと思う。……でも、そうだな。そのくらい、お互いを思いあって生きていきたいな」

 そう言ってオズ様は、婚約して初めて私の頭をそっと撫でた。
 久しぶりの頭上のぬくもりに、思わず目を瞑り頬を緩めると──。

「んっ!? っ……はぁっ、オズ様!?」
「ほらな。隙を見せるとこういうことしたくなるんだよ」

 唇に落とされた熱。
 目の前には悪い笑みを浮かべた悪い魔法使い様。

「~~~~っ。隙ありっ!!」
「!?」

 ニヤリと笑った悪い魔法使いの頬に一つ、まるでぶつかるように背伸びをしてキスを贈れば、たちまち真っ赤に染まる大好きな人の顔。

「わ、私に隙を見せても、こういうことしちゃうので……ちゅ、注意してください、ね?」
 今、自分の顔もきっとオズ様と同じような色をしているんだろうけれど、もう恥ずかしいとか関係ない。
 気持ちは、伝えられるときに、ちゃんと伝える。
 それがきっと、これから近い未来、夫婦になる、ということなのだから。

「っ……はぁ……。君には一生勝てそうにない」
 降参だ、と言うように両手を上げてから、オズ様はまた、私をその大きな腕で丸ごと包み込んだ。

「君はいつも俺を翻弄する。悪い魔法使いはもしかしたら、君の方かもしれないな」

 そう言ってまた、私の唇にはオズ様の熱が降り注ぐのだった。


 ぬくもりを取り戻した私は、一年後、最愛の人と結婚する。
 これから結婚までの間、そして結婚してからも、オズ様の糖分が増え続けることを、今の私は知る由もなかった。


 END
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