来世に期待します〜出涸らし令嬢と呼ばれた私が悪い魔法使いに名を与えられ溺愛されるまで〜
屋敷の裏からまっすぐ森の中を進んでいくと、大きな黒い鉄の門が見え、そこを通ると町が見えてきた。
森を抜けた先にこんな町があるだなんて……。
「ここがトレンシス。うちの領地だ」
「トレンシス……」
地図に載っていない、町。
町に入ってすぐの広場には、可愛らしい動物たちの石像が並ぶ噴水。
レンガ調の家々が建ち並び、地面の舗装もしっかりとなされている。
森の奥にもかかわらず、王都に近い男爵家よりもはるかに整備された町並みに、私は目をぱちぱちと瞬かせた。
「おや、公爵様じゃないですか!!」
すぐそばの家の前で洗濯を干していたご婦人が、私たちに気づいて声をかける。
「あぁ、ミト。変わりないか?」
「えぇえぇ、あたしは元気ですよ。そちらの可愛らしいお嬢さんは……もしかして公爵様の恋人!? ひゃぁ~ついに公爵様にも春が……!! こりゃ町の人間総出で祝いの宴を──……」
「待て何の話だ!? 彼女はそういうのじゃないからな!?」
私の方を見て目を輝かせたミトと呼ばれたご婦人の暴走に、オズ様が慌てて否定する。
「あ、あの、セシリア、と申します。オズ様のお屋敷で家事手伝いとしておいてもらっている、しがない居候です」
「何でそうなった……」
あぁ、オズ様が頭を抱えてしまった。
何で?
私の否定にミトさんはあからさまにがっかりした様子で肩を落とす。
「まぁそうでしたか。あたしゃてっきり、公爵様の長い冬の終わりかと……」
「ほっとけ。で、今年も流行り病が広がりつつあると聞いているが、状況はどうだ?」
オズ様が尋ねると、ミトさんは難しい表情で腕を組み、ため息を一つこぼした。
「毎冬のことだけど、今年も厄介な病がはやり始めましたわ。町の半数が病にかかって、仕事も家事も手が足りなくて……」
「半数か……それは多いな。とりあえず、魔法薬茶を持ってきた。各家に配るのを手伝ってもらえるか?」
そう言ってバスケットを差し出せば、ミトさんは「まぁ!!」と声を上げて喜んだ。
「ありがたいわ!! 公爵様の魔法薬茶を飲むと、いつも治りが早いから助かりますよ」
「今回は流行り病特化のものだけだが、何かほかに不調があれば言ってくれれば作る」
「そういえば最近顔のたるみが……」
「それは俺には治せん」
ずいぶんなじんでいるけれど、ここは領民と領主の距離がずいぶん近いのね。
男爵領ではこんなに気安く話をかければ、「貴族に気安く話しかけてはいけない」と叱られる。
聖女であるお姉様に声をかけようものなら「我が家の聖女に無礼だ」とお父様とお母様が激怒するだろう。
住む領が違えば関係性も違ってくるのね。
「ドルトは忙しくしているんだろうな」
オズ様の言葉に、ミトさんは表情を曇らせた。
「それが……ドルト先生もこの間、病に倒れてしまわれましてねぇ……」
「ドルトが!?」
「ドルトさん?」
つい漏れ出た私の言葉にオズ様が「この町唯一の医師だ」と答えてくれた。
「患者を診られる医師がいない、か……。困ったな。薬茶は万能ではないし……」
「聖女様でも来てくれたら良いんですけどねぇ……」
“聖女”という言葉にどきりと心臓が跳ねる。
ここに来たのが出涸らしの私ではなく、お姉様だったら……。
こんな役立たずよりも、聖女であるお姉様ならなんとかしてあげることだってできただろうに。
そう考えると胸が痛い。
ごめんなさい。
口癖となっている言葉が口から出かかったその時。
「ここにいない者のことを考えても仕方ない。第一、聖女が本当に力を使えるのかなんて俺は見てないから知らんからな。今は不確かな人間よりも、確かなことを考えた方がいいだろう。だが、唯一の医師が倒れたとなると……王都に援助要請でもするしかないか……」
あまり気が進まなさそうなオズ様に、ミトさんが俯く。
「それは……町の者みんな、望まないことかと思います」
のぞまない?
王都に援助を求めることを?
流行り病で大変な時なのに?
何か理由があるのかしら?でも、これ以上病を広げない手段がないと……。
ん? 広げない? ──そうだ……!!
「あぁ、でも、それしかないのかしらねぇ……」
「あのぉ……」
私はそろりと手を上げると、二人の視線が一気に私へと集中した。
「どうした?」
「あ、いえ、やっぱり──」
私なんぞが口をはさんでいいのか。
そんな不安が巡ってしまい、私はそこから口をつむらせた。
「……言いなさい、君の考えを。ここには君が意見を言うことを諫めるものなどいない」
まるで私の境遇をわかっているかのような、大丈夫だと言ってくれているかのような落ち着いた声に、さっきまでの不安が落ち着いていく。
不思議な声だ。オズ様の声は。
それから私は意を決して、顔を上げ、口を開いた。
「あの……。マスクをしてみてはどうでしょうか?」
「「マスク?」」
私の提案に、オズ様とミトさんの声が重なり、首を傾げた。
そう。この世界にはマスクという概念がない。
手洗いが大切だという公衆衛生の概念はあっても、じゃぁ他にはどうすればいいか、というところで穴がある。
だから一度出た病は広がりやすく、季節性の今回のような流行り病──前世で言うインフルエンザなどのようなものは広がりやすい季節が過ぎるのを待つしかないのだ。
「はい。口元を覆う布です。病のもとである菌というのは、飛沫や空気を介して感染することが多いので、その感染経路を極力断つのです」
このまま放置していても、おそらく病が収まるまでに何人もの死者が出るだろう。
特にお年寄りや小さい子どもは免疫も万全ではない。
できるかぎりこの状態でとどめる必要がある。
「なるほど……。とりあえずこれ以上患者を増やさないように、ということだな?」
「はい。ひとまずそれで新たな感染を防ぎつつ、オズ様の魔法茶葉で回復を促し、本人の自己回復力を以て回復していけば、じきに収まるかと……。皆さんが王都に極力助けを求めたくないのなら、それしかない……か……な、と……。ご、ごめんなさいごめんなさい!! 私なんぞがよそ様の領地に口を挟んでごめんなさい!!」
あぁもう、またやってしまった。
以前にも他家のことに口を出して、父と母にこっぴどく叱られたというのに……。
「……天才か……」
頭を下げる私の頭上から、そんなつぶやきが降ってきた。
「────へ……?」
なんて?