恋の始まり、ゼロ距離。


「藍原ぁ」
「……」
「藍原伊緒〜」
「すみませんでした」
「まだ何も言ってねぇよ」


 部活動が終わり言われた通り書庫に向かうと、そこには“いつもと違う”坪野先生がいた。
 椅子に座って机に足を掛けている……見るからに最悪な体勢の先生。しかもまた電子タバコを吸っている。教えを説く立場の者がそれでいいのか……。


「お前、今日の授業何? “俺”に見惚れてた?」
「ち、違います。そんなの自意識過剰ですよ」
「そうなのかぁ? “俺”はてっきり、この間のキスが忘れられないのかと思ったけど」
「ッ!!!」


 反射的に体が動き、つい先生の肩を軽く叩く。

 すると勢いよく腕を引っ張られ、また唇を塞がれた。
 ほんのりとタバコのような味がして、先生から感じる大人の雰囲気。

 突然のことにまたフリーズしていると「抵抗しないんだな」なんて言って、先生は私の唇を甘噛みした。



 まるで二重人格のような、坪野先生。


 最初こそ興味も関心も無かったけれど、そのギャップのありすぎる“2人の坪野先生”に、私も段々とハマってしまうような感覚がした。



「ていうか先生。何でいつも書庫に居るのですか」
「ここが“俺”の居場所なの。ほら、司書が病休中だろ。その間、図書室の(もり)を委託されているからさぁ。ちょうど良かったぁ~……みたいな? 暇つぶしにはもってこい、みたいな?」
「意味が分かりません」
「分かれよ」
「分かりません。ここ、文芸部の書籍も置いているのです。誰も来ない保証なんて無いのに、よくそうやって普段と違う姿で居られますよね。しかも、タバコまで吸っちゃって」


 少しだけ強い口調でそう言い放つと、首を傾げながら先生は私に近寄ってきた。
 そしてまた右手を私の顎に添え、クイッと小さく頭を上げられる。

「お宅の顧問が書庫の鍵を“文芸部部長”に預けていることを知っているんだ。故に、ここの鍵は“俺”とお前しか持っていないってこと。……つまり?」
「…………つまり?」
「つまり、そういうことだ」
「……」

 どういうことだ!?

 意味不明にも程がある。
 全然理解できなくて抗議をしようとすると、また先生に腕を引っ張られて唇を塞がれた。

 甘噛みをしながら音を立て、その行為を繰り返す。

「やっぱり、甘い」

 そう呟いて唇を離し、今度は先生の人差し指で唇をなぞられる。
 背筋がぞわっとして、何故か心拍数も上がって胸が苦しい。


「しかし、抵抗しないな。やっぱり忘れられなかったんだろ」
「……」

 凄く余裕そうな先生の一言。

 何でだろう。
 その一言が妙に悔しくて、沸々と怒りが湧き上がってくる感覚がした。

 多分、図星だから。
 私、先生に対して何も思っていなかったのに。先生にされるキスは本当に嫌では無かった。

 図星だから、怒りが湧く。


「……帰ります」
「なぁ、藍原。また明日も来いよ」
「……」


 肯定も否定もしない。
 そんな先生の言葉を無視して、私は足早に書庫を後にした。


 結局、全てにおいて意味が分からない。

 最初は偶然書庫に向かうと、そこに坪野先生がいただけだ。
 それで“見てはいけないもの”を見てしまい、その罰として部活終了後に呼び出されていた。

 それなのに、罰と言う割に罰らしいことなんて1つも無くて、ただキスをするばかり。

 鍵の件もそう。
 先生と“文芸部部長”しか持っていないという事実が何だと言うのだ。

 キスが罰なのだろうか。
 書庫に来る可能性がある人物は“文芸部部長”しかいないということも関係あるのだろうか。

 私には、何がなんやら……全く分からない。



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