シャノワールへようこそ!


物心ついた時から、私にとって家は居心地の良い場所ではなかった。

薄い壁。

両親の言い争う声に怯え、眠りにつく毎日。

今日はお皿、割れないといいな。

窓に赤いランプがチカチカとし、けたたましいサイレンがその横を通過するたびに、うちではないどこかに止まりますようにと必死に祈った。

浮気性の父と、精神的に不安定でまだ少女のような心を持った母。

喧嘩の原因は大体父の夜遊びで、

5歳下の妹と私はそのたびに部屋で肩を寄せ合い"終わり"がくるのをただひたすら待つのだった。

そんな父を持ったものだから、私は男の人が嫌いになった。

それはクラスの男子も例外じゃなかった。

『藤沢がまた同じ服着てる! やーい、貧乏』

『家族旅行行ったことないのかよ? お前ン家なんか変じゃね?』

『前髪自分で切ったのか? 馬鹿だな。店行けよ店』

私は男子の無神経で、著しく欠如した想像力が嫌いだった。

自分の持っているものを他人も持っていて当然だと鷹を括った甘ったれた考え方に虫唾が走った。

そのくせ、いつか言った自分の言葉なんて平気で忘れて、傷つけた心をまるで無かったもののように手のひらを返すんだ。


『藤沢の髪って長くて綺麗だよな。さらさらで絹みたいで。あのさ、俺、藤沢のこと……』

自分勝手で、気持ちが悪い、エゴイスト。

なぜ受け入れてもらえると思うのだろう。

許されると思うのだろう。

絶対許してやるものか。

私はあんたたちのことが……

「藤沢さん」

グンっと後ろに手を引かれる。

振り返らなくてもその声が誰なのか私は分かっていた。

「……離して」

「少し、話がしたい」

「私は何も話すことないから」

手を振り払う。

それは私の非力な力で容易に解けるくらい弱々しく掴まれたものだった。

「ごめん……写真のこと。でも本当に藤沢さんがメイさんなのか?」

「そうだよ」

私は悪くない。

だから絶対に謝ったりなんかしない。

すべて気づかなかった高野くんの落ち度なんだ。

私ははじめから何一つ嘘なんてついてないんだから。

「そっか……」

どんな顔でその言葉を言ったのか、軽蔑するつもりで振り返ったのに。

「なに、その顔……」

高野くんは、今にも泣き出しそうな、もしくは恥じらっているような、およそキリッとした彼には似つかない表情をしていた。

顔が赤く染まって、月並みな表現だけれど、まるで熟れたリンゴのようだ。

「女の人に触れると、近くで話すと、こうなるんだ」


高野くんはたとだとしく言った。

目は合わなかった。

いつものみんなの憧れの高野くんがひどく幼く見えた。

「だから、俺、普段から女子とあんまり話さないようにしてたんだ。……あの日__メイさん、いや、藤沢さんとあそこであった日は、罰ゲームだった。サッカー部で、月得点が低かったやつが毎回やらされるんだ。馬鹿らしいだろう? メイドカフェに行くこと、誰かがそう言い始めて……」

高野くんはふぅとため息をついた。

それから

節目がちな高野くんの瞳がゆっくりと、でも確実に私を射止めた。

「でも信じて欲しい! 通ったのは自分の意思だ」

「どうして、」

「楽しかったから。藤沢さんと一緒に話すのが楽しかったから」

「じゃあ、何で写真なんか……」

「あれは、持ち歩いてたんだ。部のみんなに証拠写真として見せた後、しっかりファイルにしまってたはずなのに……。きっと誰かが面白半分で持ち出して写真を残したに違いない。藤沢さんとメイさんが同一人物だって分かってたら、俺、見せたりなんてしなかった。安易に持ち出したりなんてしなかったのに……。でも、これも全部言い訳だよな。不快な思いをさせてごめん」

「高野くん……」

本当はもうずっと前から分かってた。

許さないのは、許してまた傷つくかもしれないのが怖いから。

私は傷つきたくなかった。

少しだって傷つきたくなかったの。

でも、私は許さないことで、自分が傷つかない代わりに、

ずっと、ずっと他の誰かを傷つけていた。

『そうか、悪かった』

『そんなつもりじゃなかったんだ』

『ねぇ、どうして無視するの』

彼らがどんな気持ちになるか私には分かっていたはずなのに。

それなのに……。

でもこの人は違う。

自分が傷つけられたのに、また傷つくことを厭わず真っ直ぐ人と向き合おうとする人。

「ごめんなさい。私__言えなかったの」

気がついたら言葉が口から飛び出していた。

「同じクラスなのに、覚えられてないのが情けなくて、クラスメイトですって言えなかったの。……こんなことならもっと早く言えばよかった」

「藤沢さんは悪くない。クラスメイトのこと覚えてない俺が問題なんだ。俺、人の名前と顔覚えるのが苦手でさ、正直、クラスメイトも山口くらいしか分からないんだ」

「うそ、」

「本当だ。あいつ社交的だし記憶力いいから、いつも俺が人の名前思い出すのに困ってると、こそっと教えてくれる。……いい奴だろ?」


容易にその姿が想像でき思わず笑みが漏れた。

「……本当だ。そうやって笑うと、藤沢さんはメイさんそっくりだ。何で今まで気づかなかったんだろうな」

その眼差しがあまりにも優しくて、

優しくて__

「なぁ、今度また店に行っていいか?」

「……うん」

雨が止み、晴れ渡った校庭。

廊下に差し込む眩しい光。

いつか、この気持ちも言えたらいいな。

新たに芽生えた感情を胸に、彼の大きな背中の後をゆらゆらと歩いた。
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