すきとおるし



「おまえ、腕も拭いとけよ……」

「ゆんもね。ハンカチ持って来た?」

「忘れた」

 今朝、急遽礼服を引っ張り出し、スマートフォンと財布だけをポケットに入れ、上着をネクタイを持って家を出たらしい彼に、多めに持って来たハンカチを一枚差し出し、わたしもびしょ濡れの腕と、ついでに首も拭いた。

「イチ、おまえ、本当に丸くなったな」

 わたしのハンカチで手のひらを拭いた彼は、それをスラックスのポケットに突っ込みながら言う。

「昔はこんなんじゃなかったろ。何か言うとすぐ食ってかかって来て、喧嘩ばっかしてたろ、俺たち。この一年で、何かあったか?」

 彼の言葉に、わたしは心の中で首を横に振り、違うよ、と否定する。
 この一年で、何かが変わったわけではない。むしろ、変わっていないのだ。

 二年前からわたしは、一歩も進めず、同じ場所に立ち尽くしているのだ。

 何か変わったことがあるとすれば、髪が少し伸びたことと、化粧が少し薄くなったことくらいだ。

 言おうと思ったけれど、目的地が見えて来たから、黙って足を動かした。


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