『46億年の記憶』  ~新編集版~
        偵察魂 
          
「ハッピー・ニュー・イヤー」

 午前零時になった途端、考子と新はシャンパングラスを合わせた。
 但し、妊娠の可能性を考えて、考子のグラスにはノンアルコールのスパークリングワインが入っていた。
 
「ごめんね、一人だけお酒を飲んで」

 済まなさそうな表情で新が左手を立てた。

「大丈夫よ。それにね、これ結構おいしいのよ。もちろんアルコールゼロだからまったく一緒ってわけにはいかないけど、ジュースという感じはしないの。これなら雰囲気を味わえるわ」

 考子はまんざらでもなさそうな表情でグラスを口に運んだ。

「ありがとう。そう言ってもらうと助かるよ」

 新は安心した表情でスパークリングワインを味わった。

「ところで今年はどんな年になるかしら?」

「そうだね、なんといっても今年はオリンピックがあるからね」

「そうよね、7月には世界各国から多くの人が集まってきて物凄く賑わいそうね」

「そうなると思うよ。観光客の数が4千万人を突破する可能性もあるらしいからね」

「楽しみだわ。でも、私は楽しめるようになるかしら」

 東京オリンピックが始まる7月24日は考子が妊娠していたら8か月目に入る頃なのだ。

「8か月目になると……、そうだな、会場に足を運ぶのはちょっとやめておいた方がいいかもしれないね」

「やっぱりそうよね」

 考子の声が沈んだ。楽しみにしていたオリンピックに行けない辛さが滲み出ていた。
 56年ぶりに巡ってきた日本開催というチャンスがやってきたのに、それをみすみす逃すことになるのだ。
 テレビではなく自分の目で開会式や競技を見ることができる貴重な機会を失ってしまうのだ。
 
「あと1年延ばしたらよかったかな……」

 不意に後悔が口をついたが、新はそれに同意しなかった。

「そんなことないよ。56年振りのオリンピックをお腹の赤ちゃんと一緒に体験することができるなんて、これ以上最高なことはないよ」

 その途端、考子がアッという顔になった。

「本当だ。テレビを見ながらお腹の赤ちゃんにいっぱい色んなことを話してあげられる」

 そうだろう、というように新が頷いた。

「ごめんね、妊娠しているかもしれないことを後悔しちゃって」

 考子は甘えるように新にしな垂れかかった。
 それを優しく受け止めた新は彼女の髪に口づけをした。

「2人でお腹の赤ちゃんに話しかけながらオリンピックを楽しもうね」

 考子は胸がいっぱいになった。
 この人と結婚して良かったとつくづく思った。
 だから彼の体に回した手を自分の方に引き寄せてギュッと抱き締めた。
 すると新も抱き締め返して髪に顔を埋めた。
 「新しい命を授かっていますように」と祈りながら。


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