『46億年の記憶』 ~命、それは奇跡の旅路~   【新編集版】
「つわりはね、胎児が送るサインなんだよ」

「サイン?」

「そうだよ。『ママ、気づいてね。ここに私がいるよ』っていう胎児からのサインなんだ」

「ふ~ん」

「そう思うと、つわりが愛おしくなるだろ?」

「……他人事だと思って。気持ち悪いだけで愛おしくなんかないわよ」

 考子が頬を膨らませた。

「まあね。そうなんだろうね。残念ながら男の僕にはその辛さはわからないからね。でもね、外来で『胎児が送るサイン』ということを言ってあげると、妊婦さんに笑顔が戻ってくることもあるんだよ」

 産婦人科の外来で妊婦の気持ちに寄り添って説明をしている白衣姿の彼を想像した考子は、改めて彼が素晴らしい医師であることに気づいて嬉しくなった。すると、愛の結晶である胎児への愛おしさが増してきた。
 
「赤ちゃんは元気に動いているかな?」

 考子がお腹を撫でると、「羊水の中で盛んに運動しているはずだよ」と新が手を重ねてきた。
 その姿を想像すると、更に愛おしさが増してきた。

「さっきはごめんね」

 新は返事をする代わりに考子を優しく抱きしめた。

 私の揺りかご……、

 呟いた考子は胸に顔を埋めて、そのままじっとしていた。
 すると、新が耳元で囁いた。
 
「そろそろ食べてもよろしいでしょうか?」

「あっ、ごめん」

 一人で幸せに酔っていた考子はパッと体を離して椅子に座った。
 それを見て新が可笑しそうに笑ったが、すぐに椅子に座って、「では、いただきます」と手を合わせてから、肉野菜炒めを食べ始めた。
 余りにもおいしそうに食べるので、考子は急に食べたくなったし、食べられそうに思えてきた。
 だから、「少しもらっていい?」と彼にねだった。
 すると、「あ~ん」と言って新が一口食べさせてくれた。
 ちょっと薄味だったが、そのせいか、食べても気持ち悪くならなかった。
 
「もう少し食べる?」

「ううん、止めとく。妊娠に体が慣れるまでは少し控え目にするわ」

「そうだね。いつまでもつわりが続くわけではないから、様子を見ながら食事の量を調節したらいいと思うよ。食べられるものを食べられる時に食べられるだけ食べたらいいんだからね。でもね、水分が取れないほど気持ち悪くなったらすぐに言ってね。その場合、悪阻(おそ)の可能性があるから。治療が必要かどうかは僕が判断するからね」

「わかったわ」

 考子は素直に頷きながら、自分の夫が産婦人科医であることの心強さをしみじみと感じた。
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