亡国王女の占い師は、情熱の地で若き覇王に甘く優しく溺愛される

 はぁ……と気が緩んで、マキラはついよろけてしまう。
 それを男は、優しく抱きとめてくれた。
 またシトラスムスクの良い香りがした。

「ありがとう。すまない、疲れさせてしまったな」

「このくらいなんてことないの……安心して、気が緩んでしまっただけ。私のほうこそ、ありがとう」

「俺は特に何もしていないさ。しばらくこうして、もたれているといい」

「……う、うん……」

 狼男を素手で倒したことが、特に何も……?

 男は聖魔術についても、何も言わない。
 一般市民は、魔術について知識のない者が大勢いる。
 だから彼も、この術がどれほどのものなのか、わかっていないのかもしれない。

 男の逞しい胸元は、なんだか安心してしまうような不思議な感覚だ。
 無鉄砲だとか無知だとか、そんな風に蔑む気持ちになれないような包容力。
 ただ瘴気から助けただけで、こんなにも安心してしまうものだろうか……マキラはそのまま男の胸元にもたれてしまっている。

 シトラスムスクの香りが、彼の熱と合わさって心地よい香りだ。

 しかし此の場所は、狼男が転がり、あと四人もそこらで倒れている……目を閉じている場合ではない。

「この男は死ぬのかしら……あとの四人も犯罪を犯しているようなの。憲兵を呼ばなきゃ」

「こいつはもうダメだろう……憲兵か。俺は先ほど通報照明弾を買って、持っているんだ。それを使って憲兵を呼ぼう」

「え? そうなの? わざわざそんなものを持っているだなんて……」

 通報照明弾とは、身に危険が及んだ時や、事件を目撃した時などに使われる照明弾だ。
 しかしそんな物を持っている一般人は、ほぼいない。
 
「いや、花火のようだと聞いて興味があってな。さっき大通りの露店で買ったんだ」

「えぇ……観光客向けの?」

「あぁ。まさかすぐに、上げられる機会があるとはな」

 観光客には護身用として売る店もあるが、買う人は少数だと聞く。
 本当に変わった男だ。
 いや、ただの観光客なのかも?
 男は左手でマキラを支えたまま、右手でズボンのポケットを探る。
 一本の棒が出てきた。

「これで憲兵を呼べば、この件は一件落着だ。憲兵に危険が及ぶ場合あり注意せよは緑色だと聞いた。これで狼男を発見すれば、対応できる憲兵が来るだろう」

「そうね」

 何も知らず、汚染された狼男に触れれば、憲兵に害が及ぶ。
 
「よし、では撃つぞ」
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